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君と恋愛にならなくて良かった


#君のことばに救われた

彼と会わなくなる少し前、彼は私に「お銀と恋愛関係にならなくて良かった」と言った。

20代の頃、とても大好きな人がいた。あまりに好きすぎて、相手を神格化しすぎて自分が恋愛相手になるということはほんの少しも期待できなかった。とても対等な関係ではなかった。それは彼のせいではなくて自分がへりくだっていただけだった。ただ毎日会いに行ければよかった。ただ話が出来ればよかった。話している最中に時々、二人で同じものを見ているような奇跡みたいな瞬間があって、それを今もなお宝物のように思っている。それくらい特別で大切だった。真綿のようなもので外界からその人を守りたいと思っているくせに自分でも傷つけたりした、なのにその人が何かに傷ついていたら自分の胸が張り裂けそうになった。どの面下げて…と思いながら幾度となく会いに行った。彼は決して私を傷つけなかった。お酒を飲みながら話してて酔いが深まるとその人の目の前でよく泣いた。存在が丸ごと好きだから、どうか幸せでいてほしいと、泣いた。私たちの間に恋愛関係などほんの少しもなかった。ただひたすら特別に、大事に思っていた。むやみに近づこうとしないことが私が出来る精一杯のことだと思っていた。私の人生の中でも最も未熟で、最も神聖な愛情であった。

 その人は当時プライベートの付き合いになると相手に酷いことをしてしまうと私に話していた。それも真意はわからない。恋愛感情を行動として行使されないようにする予防線だったのかもしれない。それも致し方ないくらい彼は自分の身を守る必要があった(事情は割愛する)ただ、会わなくなる少し前彼はしみじみと私に「恋愛ならなくて良かった」と言った。私はその言葉に感動して打ち震えたのを覚えている。彼にとってはただの雑談であったと思う。それでも私と話していた時間は彼に守られ思いやりを持って提供されていて、私と話したことが彼の心に真実のものとして伝わる瞬間があったのかもしれないと私は思うことが出来たのだった。

今よりもずっと未熟だった若い私が人生で最も愛情を持っていた人に真摯に話したことが伝わった事(と感じた事)。それは今の私にとっても思い出すたびに宝箱からキラキラした宝石を、20代の自分を愛情が結晶化したような宝石を取り出す気持ちにさせてくれるのだった。

それから15年以上経って私も当時とは変わった。昔よりも湿度の低いカラッとした気の良い奴になったと思う。必要以上に怯えず、構えず、期待せず、すぐ落胆せず、狼狽えない。人と関わる時は元気で堂々と優しくしようという気概もある(こういうのは意思が大事)。きっと今なら取りこぼした友情を全て大切に出来る...

そう思っていても、それは幻想なのだとわかっているから私は時折宝石を取り出すまでにしている。そうやって自分だけではなく相手も全ての人もそれぞれの宝石を抱えながら生きていく。それが人を救い生かす、永遠ではない他者との関わりそのものなのだと。

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