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「現実」が変わるんだ

 最近の若い人たちは結婚式を挙げることに消極的らしい、という記事を見た。ずいぶん大きな主語だが、少なくはないらしい。まぁ、「らしい」という推定調でしか語ることが出来ない以上、これから言うことはひどく雲散霧消としているんだろう。

 「今の若い人は現実を見ているんですよ」

 なんてコメントも見た。現実を見ているから、結婚式なんて無駄なことをしない。なるほど、そういう意見もあるが、なんだか変に思える。今の若い世代は現実を見ていて、そうではない人は現実を見ていないなんて大雑把な区分分けは通用するはずがないと思った。昔の人だって、それなりに現実に向き合っていたはずだ。

 なら、私たち若い世代と、それより前の人たちの見ている「現実」が変わったとしか言いようがないと思った。結婚式を挙げた人たちが皆、心の底からそうしたくて挙げたのではないかもしれない。皆婚と言われるような時代にあっては、世間体や親族の目を気にしていたのかもしれない。そういうゲマインシャフト的なつながりが、結婚式を行わさせたのかもしれない。

 ※ゲマインシャフト:人間が地縁・血縁・精神的連帯などによって自然発生的に形成した集団

 結婚式を挙げた人も、その時代や環境によって構成された「現実」を見ていたはずなんだろう。そして挙式に消極的な若者も、今の時代によって成り立つ「現実」を見ている。

 多様性。自分らしさ。核家族。都市。ゲゼルシャフト。毒親。少子化。親ガチャ。環境負荷。低賃金。家族の変化。低成長。静かな退職。SNS…etc

 今の若い世代は、現実を見ているから挙式を行わないのではなく、挙式の負の側面をより誇大に捉えるようなまなざしを持っているからこそ、挙式に消極的なのだと思う。変わったのは、若い人だけではない。時代も変わったんだろう。今を生きるこの「現実」が、変わったんだろう。

 果物も、切り方を変えれば姿かたちは変幻自在だ。変わったのは、切り方であったり、切るのに使うその包丁そのものかもしれない。


参考
デジタル大辞泉 「ゲマインシャフト」の意味・読み・例文・類語

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