見出し画像

時の流れに身をまかせ


表紙の画像は、私が2002年に32年ぶりに訪れた時に撮ったものだ。1970年にバスを降りた時は、道を隔てた丁度この前辺りだった。この日は丁度祭りの真っ最中だった。このホテルは満杯でネットで注文できずに、近くのホテルに泊まり、タクシーで駆けつけた。

文字数:3465字

 私は26才の時、初めてアメリカへ行った。今でこそ大したことではないが、当時の私にとっては一生の一大事で、それが最初で最後の渡米だと決めてかかっていた。
 1970年というその年は、大阪万博の年であった。LAで牧会をしていた兄の所に1週間滞在して、ミシガン大学での8週間の短期語学研修がその目的だった。
 いよいよデトロイトへ向かうという時に、兄の教会の役員が私を夕食に招待してくれた。
 初めての辛いスペイン料理を食べながらの話は、専らアメリカの怖い一面に絞られていた。UCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)のキャンパス内で殺人事件があったばかりだったからかもしれない。教会員の誰それさんの親戚の娘が車から引きずり出されて滅多打ちにあい九死に一生を得た、などという話がひとしきり続いた。
 その役員は、さんざんそんな話をした後、怯え切っている私の方を見て、「アメリカ東海岸はこんなものではない」とさらに怖い話をしてくれるのだ。ニューヨークでは赤信号でも車を停めたら大変だというわけだ。ある牧師などは赤信号で車を停めていたら、いきなりナイフを突き付けられて金を出せと脅されたというのだ。幸い信号が青に変わったので急発進して事なきを得た、と話を結ぶのだ。
 「デトロイトもニューヨークも似たようなものだよ」
 脅かし足らないと思ったのか、その役員はどうしても私のミシガン行きと結びつけたがった。
 「しかも君一人で行くんだろう?」などといらぬおせっかいを仕掛けてくる。
 デトロイト行きの飛行機に乗っている間の私の不安が想像できようというものだ。
 このような不安を拭い去るには、機内の音楽番組をヘッドフォーンを通して聞くのが一番良い。心地よく聞いていると怯えも消え、不安も忘れ、うとうとと居眠りをして時間はあっという間に過ぎるものだ。
 ハッと気が付くと「もうすぐデトロイト空港に到着です」という機内アナウンスである。時計を見る。まだ3時か4時だ。デトロイト到着予定は7時のはずだったので、急に不安になってきた。心臓は早鐘のようになり続けた。時差のせいだと気づいたのは飛行機を降りてずっと後のことだった。
 隣りの子連れの紳士に「ここはデトロイトですか」と必死の気持ちで確かめる。ニコニコして「そうだよ」と答えるその顔に不安が半分姿を消す。そして最後に降りることに決める。
 列をなして乗客が降りて行く。いよいよ自分も降りる。飛行機から足を離してしまったら一巻の終わりと思って、その直前にスチュアディスに「ここはデトロイトですか」と真顔で聞いている自分の姿を今でも忘れることができない。
 タラップを降りた後もスチュアディスの返事に安心しきれない。キョロキョロ辺りを見回す。私の様子はまさに田舎者そのものだったのではないかと苦笑する。そして「デトロイト空港」の文字を発見した時の喜びは素晴らしかった。
 更に嬉しいことには、その文字の下に日本人を見つけたのだ。私は見知らぬ人に自分から声をかけるタイプではなかったのに、すすっと彼の方に歩み寄って、バス乗り場を聞き出していた。
 じつは大学までバスを利用することは分かっていたのだが、バス停の名前もどのくらいの時間がかかるのかも知らなかったので、私の頭の中はパニック状態だったのである。スマホもネットもない時代はアナログ旅行なのだ。
 「神様、あなたが計画されたことですから、とにかく大学まで無事に着かせてください」
 飛行機のアナウンスを聞いてから、ずっとこの祈りばかりを馬鹿の一つ覚えのように続けていた。だから日本人を見た時、「神様はすごい」と思って何の戸惑いもなく声をかけることが出来たのだ。神様が私の道案内人として配置してくださったのだと確信したほどだった。実は、今もそう思っている。
 気分よくバスに乗ってからしばらくして、急に別な不安が押し寄せる。7時と言えば薄暗い。兄の教会の役員の顔が浮かぶ。彼の話を思い出す。回り灯篭のように次から次へと怖い話が思い出されては消えていく。
 例の日本人に自分が降りるバス停の名前を聞いておくべきだった。
 30分ほど走るとバスは減速する。私は窓に顔をくっつけるようにして外を凝視する。バス停の名前を探していたのだ。それらしいものが全く見当たらない。乗客は私と同様大きな荷物を抱えた人が3、4人いるだけだし、もし悪い人だったらと思うと聞くに聞けない。
 運転手はドライブインレストランらしき所に入って行った。ガラス越しに彼がコーラを飲むのが見える。
 「きっとここはバス停ではなかったのだ」
 勝手にそう思ってみるが、不安は増すばかりだ。外はもう暗闇と化していた。
 
 10分以上経っていたのだと思う。運転手はバスに戻って来ると何も言わずに発進する。闇の中を不安な私を乗せたバスは30分ほどしてまた停車する。
 「神様、私に降車する場所を教えてください。こんなところで降りる場所を間違えでもしたら大変です。あなたが短期留学の願いを起こさせて道を開いてくださったのですから・・・」
 私は後に長期留学した時にも、自分が困ると神様にそう言って泣きついた。泣きついたというよりも神様に責任を転嫁し続けた。
 「もし何か起きたら、神様が失敗したことになってしまうじゃないですか」などとかみつくようにして祈った。
 このバスの中での祈りは、なりふり構わないものだった。祈りながら、神様に文句を言いながら、両目はしっかりと窓の外の闇の中を見据えていた。どんな手掛かりでも欲しかったからだ。
 バスの中では誰一人として口をきく者はいない。みんな私の不安を共有していたのだ。重苦しい雰囲気を乗せたバスはエンジン音だけを振りまきながらひたすら走る。私は両目を瞬きもしないようにして、ありそうにない手がかりを求めながら、神様に必死で責任を転嫁し続けていた。
 空港を出て1時間半ほど経っただろうか。バスが減速を始める。未だにどうしてか分からないのだが、そのバス停で降りたくてたまらない衝動に駆られた。不安が自分を押しとどめようとするのだが、それをかき分けるように、もうどうにでもなれというようなやけくそな気持ちでトランクを引きずるようにしてバスを降りた。
 暗いバス停にポツンと取り残された時の寂しさは譬えようもない。
 「さて神様、これからこんな暗闇でどうしたらいいのでしょうか」
 そこまでくると神様に頼る以外に道はないと覚悟が出来ていた。だからほとんど不安がなかったのが不思議なほどだ。
 背中の方から来る明かりに気づいたのは、まさにこの祈りをした時だ。振り向くと大きな建物が1つ、私の目に飛び込んでくる。トランクを引きずりながら階段を上る。1段ずつ上るたびに「神様よろしく」と言いながら・・・・。
 入口の重たいドアを押し開ける。1人の若い男性がカウンターの向こうから私を見ている。
 「ミシガン大学に行きたいのですが・・・」
 自信なさげに言う。
 「ラッキーだよ君は。ここがそのミシガン大学なんだよ。この建物は大学のホテルだよ」
 「神様感謝します」と心の中で力強く叫ぶ。顔が一気に紅潮する。胸がドキドキする。嬉しさのあまりである。
 11ドル50セント(当時のレートは1ドル=360円 当時の給料は1か月約2万円)のその部屋はあまり広くなかったが、それは誰からも邪魔されない空間だ。ベッドに腰掛けて、感謝の祈りをする。
 シャワーを浴びてからホテルのまわりを散歩していると、はるか向こうから1人のインド人がトランクを重そうに、さもくたびれたようにして歩いてきた。近づいてよく見ると、同じバスに乗っていた人だった。私が降りた場所が最良の地点だったことを再確認することとなったのである。
 その夜寝る前に偶然テレビから流れてきたビリー・グラハム(世界的伝道者)のテレビクルーセードが、神に守られ、見えない手で無事目的地に案内されたことを強く意識させてくれた。この短期留学のためになけなしの金をはたいたことは、神が私に起こさせた願いの結果だと確信させてくれた。
 



報告:「生徒たちの表情」の第2話「しっちゃかめっちゃか」執筆完了しました。(2023.2.19)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?