旅は非日常のままで
以前、こんな夢を抱いていたことがある。
毎日ずっと旅ばかりして過ごせるような、旅が日常になる人生を送れたら幸せなのに、と。
あるいは、それは旅好きの人間なら1度は思い描いてしまう「夢」なのかもしれない。
とはいえ、長期で世界を旅したり、ノマド的な働き方をしたり、そんな選択肢も選べるいま、それはちょっと頑張れば、叶えることができる「夢」になった気もする。
ところが、最近の僕は、こんなふうに思うのだ。
いまの僕にとって、旅はあくまでも非日常のままでいいのかもしれない、と。
もちろん、旅を日常に変えていく人生も、とても素敵だと思う。
でも、非日常としての旅を愛する人生だって、なかなか悪くないのではないか。
そう素直に思えるようになったからだ。
年に数回ほど、海外へ短期の旅に出る。
そんな旅の中で、とっておきの「好きな瞬間」が2つある。
ひとつは、成田空港(たまに羽田空港)から飛行機に乗り、その機体が滑走路から離陸して、大空へふわりと飛び立っていく瞬間だ。
その瞬間、普段抱えている仕事とか、面倒な家の中の雑事とか、家族との関わりとか、どうでもいい日々のニュースとか、そういう日常を取り巻いているしがらみから、一気に解き放たれていくような快感を覚える。
身体だけでなく気持ちまで自由になっていくようで、旅が始まっていく嬉しさに、自然と笑みがこぼれ落ちていく。
たった1週間の旅だったとしても、これからの1週間は、旅のことだけを考えていればいい。
仕事で頭を働かせる必要はないし(厄介なメールがくることはあるけど)、部屋の掃除にうんざりすることもないし、高齢の親を気に掛ける日々からは逃れられるし(安否確認の電話を入れることはある)、ワイドショーのつまらない話題に呆れることもなくなる。
ほんの一時でも、日常を離れて、非日常の旅へと向かうこと。その解放感が、僕は好きなのだ。
もうひとつ、海外への短い旅で好きなのは、異国から帰りの飛行機に乗り、やがて窓の下に、日本の穏やかな風景が広がってくる瞬間だ。
たとえば成田なら、房総半島の美しい田園風景が眼下に広がり始める。
ほんの短い旅だったはずなのに、不思議なくらいの懐かしさに溢れた風景を見た瞬間、旅が終わっていく寂しさとともに、無事に日本へ帰ってこられた安心感に包まれていく。
そして、身体は疲れていても、気持ちはどこか前向きに、また頑張ろうと静かに決意している自分がいる。
すぐに再開しなきゃいけない仕事とか、帰ってからの後片付けとか、高齢の親のこれからとか、ついつい見ちゃうネットニュースとか、いろんなことはあるけれど、そんな何気ない日々が、ちょっとだけ愛おしい。
非日常の旅の世界から、いつもの日常へ戻ること。そのホッと心が安らぐ感じも、僕は好きだ。
……非日常の旅へ出る幸せと、非日常の旅から帰る幸せ。
たぶん、どちらの幸せも、「日常」の日々があるからこそ、初めて味わえる幸せだと思うのだ。
もしも、旅が当たり前の日常になったとしたら、飛行機が飛び立つときに、あれほどの解放感は味わえないだろうし、日本へ帰国したときも、そこまで前向きな安心感には包まれないだろう。
旅が特別な非日常で、普段はありふれた「日常」を生きているから、旅はより光り輝いていく。
いまの僕は、そんなふうに思っている。
きっと、非日常の旅そのものよりも、日常の日々を送りながら、ときに非日常の旅へ出ること、その「行き来」こそが、僕にとって大事なんだと思う。
日常を過ごしていれば、もう早く非日常の旅へ出てしまいたい、と思うこともある。
でも、そうして恋焦がれた日々は、旅への思いを高め、また旅に出たときに、非日常の時間を思いっきり楽しむ原動力になっていく。
そして、旅から持ち帰ったたくさんの思い出は、何気ない日常の日々を、ほんの少し彩り豊かな毎日に変えていく。
日常こそが非日常の旅を輝かせ、非日常の旅こそが日常を輝かせる……。
もしかしたら、そんな人生を歩むことが、僕のささやかな新しい「夢」になりつつあるのかもしれない。
旅の素晴らしさを、これからも伝えていきたいと思っています。記事のシェアや、フォローもお待ちしております。スキを頂けるだけでも嬉しいです!