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ハイキングに支えられていた頃

毎週末、色々な場所に夫とハイキングに行っていた時期がある。夫が二回目に精神的に不安定になっていた頃。何かに取り憑かれたように、二人でハイキングばかりしていた。

特に川のそばのハイキングコースを夫が好んでいたので、たくさんの川沿いを歩いた。なだらかに流れる大きな川に沿った広い道、川の流れる音がよく聞こえる上流に向かってどんどん狭く険しくなる道、川が時折少し見えるだけの草が高く生えた山道などなど。

滝のそばのハイキングコースにも行った。高所恐怖症の私には、滝から落ちて流れる水沿いの急な階段は無理だったけれど、中ほどのコースだけを歩いて、滝を間近に見上げることができた。

ミニ・グランドキャニオンと呼ばれる峡谷を上から見渡せるハイキングコースにも行った。その時は娘も一緒で、谷底を歩くコースにも娘は行きたがったけれど、何も遮るものがなく太陽が照りつける谷を真夏に何キロも歩くのは却下した。

気に入ったら、同じ場所に何度か行くこともあったけれど、それよりも新しい場所、行ったことのない場所を探して見に行くことの方が多かった。知らない場所を歩くことが、不安定な二人をなぜか支えていたように思う。

単調過ぎる道や慣れたコースだと、夫の思考がさまよい始め、ネガティブな話や私への批判が始まって、ハイキング中に険悪になることがあった。だから、あまり話をする暇もなく、見たことのない景色に心を奪われたり、迷わないように気を配りながら歩くのがよかったのだと思う。日常から離れて、その時、その場所だけに集中できていたのだろう。

その後、犬を飼い始めたら、その犬がほかの犬に異常に反応するタイプだったため、ほかの犬と近くをすれ違わなければいけないハイキングコースには行けなくなってしまった。アメリカのハイキングコースは犬連れの人が多く、たいてい道が狭い。

だから、もっぱら公園を散歩するようになったけれど、その時も色々な公園に行っていた。ほかの犬が来たら距離を大きくあけられるスペースがあるか、違う方向に行ける様々な通り道のある公園を探して。でも、犬との散歩ではよく夫と険悪になっていた。特に行き帰りの車の中は危険だった。なぜか、やはりハイキングじゃないとだめだったらしい。

そして、夫の症状が落ち着いたら、自然と公園にもあまり行かなくなった。犬の散歩はほぼ私の役目になって、夫はたまに一緒に行くくらい。ハイキングへの情熱はきれいさっぱり冷めてしまった。

あの頃、ハイキングが二人の関係を支えていた。次はどこに行こうかとハイキングコースを探したり、川の流れや木々を見ながら無心になって二人で歩く時間が大切だった。毎日が辛かったけれど、今思えば、ハイキングにかなり助けられていた。

そうやって何かに支えられて、どんな大変な時期も何とかなるものなんだろう。渦中にいる時はなかなか気づけないけれど、いつも何かや誰かに支えられて、どんなに辛くても苦しくても何とかなる。人生なんて、そういうものなんだろう。

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