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こんにちは。妊婦になりました。不安です。

(トップ画像はDALL-Eにて出力しています)

こんにちは。たびちんと言います。普段はフリーランスとして北海道函館市の隣町、七飯町に住んでいます。夫と二匹の猫も一緒です。

この度、36歳にして、安定期を迎え5ヶ月の妊婦となりました。生命が腹の中にいると思うと、すごく不思議な気持ちです。不妊治療を受けているあいだ心を少しずつ折り続けていたので、現実感がありません。この段になって本当に今後上手くいくのか疑ってすらいます。35歳以上は高齢出産と言われるこの妊娠出産界隈において、すでにリスク含みの私としては、悲観的になるのはむしろ必要なことだとすら思っています。

でも、お世話になっている病院によると経過は順調だそうです。検診のたびに、ドンゴドンゴと太鼓を打ち付けるような赤子の心拍をエコー越しに聞いて、「命とはすなわち祭りでございますなあ」というアホみたいな感想を抱いています。

不妊治療の当事者、そして妊婦という立場になってみて、妊娠を巡る環境への見え方が一変しました。この苦労、つらさ、可視化されてなさすぎる。社会的に実装されているはずの子育てのスタートライン前後のこの時期は、私にとって本当に本当に心細い段階です。今も、めっちゃ不安です。

なぜ安定期と言われるこの時期まで、この腹の中に命があるという異常事態を秘密にしていなければいけないのか。子どもがいなかった昔は分かっていなかったのですが、流産の可能性があるからなんですね。

医療機関で確認された妊娠の15%前後が流産になります。また、妊娠した女性の約40%が流産しているとの報告もあり、多くの女性が経験する疾患です。妊娠12週未満の早い時期での流産が8割以上でありほとんどを占めます。

流産・切迫流産|公益社団法人 日本産科婦人科学会

この早い時期での流産の可能性が少なくなっていく時期がいわゆる安定期と呼ばれるものです。今私は安定期になったからこのような文章を書いている訳ではありますが、この後流産してしまう可能性も大いにあります。年齢が上がれば上がるほど、流産の可能性だけでなく、早産や妊娠高血圧症候群など、他のリスクも増していきます。流産をしてしまえば、それまであったつわりはなくなります。「つわりがあるのは赤ちゃんが元気な証拠」という言葉もよく聞きます。

だからって……だからって!つわりという現象は、本当にひどすぎます。秘密として抱えるにしてはあまりにも厳しい。私の場合は、日常生活に支障が出るほどには辛いものでした。

そもそも、つわりって名前は変えた方がいいと思うんですよ。ひらがなであるのが良くない。マイルドな響きは非当事者からはナメられる要因となりえます。痛悪離(つわり)みたいなイカつい漢字当て字にするか、「高頻度不定期ゲロゲロルーレット」とか、「理不尽な消化器官と共に過ごす混沌」とか、長い名前にしてもいいと思うんですよね。つわりがドラマの「ウッ」「もしかして……」の一瞬で終わると思わないでほしい。私もそのように勘違いしていた一人ではあるので、完全に自戒を込めています。

ところがこのつわり、人によって全然違うらしいんです。より厳密に言うと、授かる子ごとに程度が変わるとのこと。そんなァ!完全にガチャすぎませんか!? ……とはいえ誰も悪くないんです。本当に誰も悪くない。根本からの回避もいまの医療ではできそうにありません。最近まで原因がわからなかったなんて、怖すぎる。

よって妊婦は、それぞれに引き当てた状況を過ごすしかないのです。まったくつわりが出ない人もいますし、妊娠してから産むまでずっと水も飲めないぐらいになってしまう妊娠悪阻(にんしんおそ)と呼ばれる症状になる方もいます。状況が人によりけりで、女性同士で「つわりってこういうものだよね。これぐらい苦しいよね」という合意が取りづらいのがとても厳しい。個人差があるという点では、生理痛の話題にも似ているとも思います。

妊娠悪阻については、こちらのコミックエッセイを読んで震えているところです。


私のつわりは、上記の妊娠悪阻ほどではないものの、(私にとっては)なかなかにひどいものでした。2-3ヶ月にわたり、身体的な自由がまるごと奪われる。ベッドに横たわる以外何もできない日々が続きました。発展的な仕事は何一つできませんでした。眠気・吐き気・食べづわりのオンパレード。そしてパレードよろしく、日によって、時期によってつわりの内容も変わっていきます。ざるうどんしか食べられない日。何も食べられず、美酢(ミチョ)を水で割って無限に飲むしかない日。夕食に食べた楽しいディナーをまるごとトイレに出してしまう日。夫が車の運転をしてくれたのに揺れで吐き気を催してしまう日。午前中少しだけ元気で会議にも出席できたのに、午後になると腹のあたりが脈打ち、力が出ず、まったく動けなくなる日。そもそも朝からまったく動けない日。

まったくもって典型的ではあるのですが、ホカホカのご飯の臭いは明らかにダメでしたし、マクドナルドのポテトはどんなに辛くても一応食べられました。すっぱいものしか受け付けないときももちろんありました。それでいて、何を食べられて食べられないかの条件が無数にあり、自分が一般的なつわりの範疇にいるのか、もしくは例外なのかすら分からず、無闇に不安になっていました。「つわりの時期は栄養バランスを考えず、食べられるものを食べましょう」と言われますが、この時期がいつ終わるかもわからない。栄養バランスの偏りを否が応でも感じます。こんな不安が終わらない時期に子どもの妊娠初期の発達に欠かせない葉酸のサプリを飲み忘れた日は、大げさな反応かもしれませんが、絶望的な気持ちになりました。

つわりの時期は、今日食べられたものが、明日食べられなくなることがザラにあります。ストックと思い買った食材が大量に冷蔵庫や食品庫に溜まっていきます。ポテトチップス、インスタントおかゆ、酸っぱいグミ、カップ麺、ゼリー、冷凍ポテト……。勢い余って3年分ぐらいの量のそば・うどんの乾麺を買ったのは、完全に判断ミスでした。とはいえ買い出しに行く元気はめったに出ないので、冬を目前にしたリスよろしく、今食べられるものを買い込むしかありません。

つわり中は、元気を出ることを自分の身体に願う、自前の宗教のような状態になります。頼む頼む明日こそは元気になってくれ。しかし祈りはむなしく、日照りの田んぼを抱えた農家のように、「吐き気のない元気」という幻想のような恵みの雨を待つしかない時期が続きます。このようにして週末が寝ているだけで終わっていくのです。買い物はおろか家事も何も進まないまま、荒れた部屋で、無力感が吐き気を抱えてただ横たわっている。そんなときに、食事を作ったり買い出しに行ったりしてくれる夫の存在がありがたすぎて、涙が出ました。いつもありがとう。何もできなくて、ごめんなさい。

何一つ気力が湧かず、吐き方だけが上手くなっていく日々。吐くときはメガネを外し、口を拭き・涙を拭くためのトイレットペーパーを2-3枚握りしめての実施が今のところのベストプラクティスです。吐きたくて吐いてるわけじゃないのに、上達してしまうのは不本意の極みとしか言いようがありません。この吐きづわりビックウェーブに際し、家庭内協議の結果、トイレに暖房器具が導入されました。腰と尻が激烈に寒いなかで、涙を流しながら吐くのは本当につらい。人間の形を失っていくような気分にさえなります。近年ここまで心細いことはありませんでした。北国にお住まいの方には(もうあるかもしれませんが)人感センサーつきのトイレ暖房、おすすめです。暖かさは、本当に大事。

仕事が待っている筈なのに、うつろな目でギリギリの状態のなか簡単なパズルゲームをして幻のようにも思える元気を待つしかない。論理思考も瞬発力も集中力も文字を読む能力も、もちろん書く能力も根っこから失われています。一日の長さが緩慢になり、昼と夜となく細切れに睡眠をとることになります。仕事の合間の昼に寝て、夕方にまた寝て、起きたら食べて吐くだけの6時間。それを経て、やっと早朝にもう一度寝られます。おかげで数日間の境目が曖昧になり、今何月何日を過ごしているのかが分からなくなります。お風呂に入るのも2-3日に一度、ギリギリの余力ができたときにしかできないほどの辛さでした。いわんや仕事をや。

私はライターや編集などの領域のフリーランスとして働いており、数社とお付き合いさせてもらっています。ややタイミングは早いのですが、思いのほかつわりがひどいこともあり妊娠3ヶ月ごろに子どもを授かった旨を共有しました。温かく祝福いただき、良い意味で驚いたことを覚えています。なるほど命を授かるということは、このように喜ばしく受け止めてもらえるものなのだと、社会の優しさを骨身に沁みて感じました。

一方で、パフォーマンスがまったくと言っていいほど出ない自分にも歯がゆさを感じます。余力がなく、提案が全然できない。というか、通常の業務もままならない。締め切りの延長をお願いし、Slack上で土下座の絵文字を繰り出すごとに、後頭部あたりがすり減っていくような心持ちになります。

一見、謝るべきではないようなめでたい状況だったとしても、通常業務のころの自分を鮮やかに思い出す当人としては、平謝りするほかありません。「普通に働けず申し訳ございませんでした。期待させて申し訳ございませんでした。すべては私が仕事の都合を考えずに命を授かった結果です」……と相手にとっては聞きたくもない卑屈さが全開になりそうなところを、なんとか理性で押しとどめる日々。子どもが欲しいと願ったからこそ不妊治療をして妊娠したはずなのに、呆れるような精神状態になってしまう自分にも嫌気が差します。

妊娠前に「幸せとはすなわち楽しく得意な仕事ができることだ」と考えていた私は、価値観の転換を余儀なくされます。とっくのとうに仕事自体がままならないわけですから。ここら辺で、そろそろ人生の優先順位を入れ替えなければなりません。

不妊治療をしていたときにこの部分の折り合いがついていれば良かったのですが、終わりの見えない不妊治療の最中では「なんとかならなかったときのこと」を考えて、むしろキャリア形成に精を出さねば、という心構えになります。ひとたびタイミングをとれば自由にお酒も飲めずカフェインも摂れず寿司も食べられず、いそいそと毎日葉酸サプリを飲み、これは妊娠初期の症状かもしれないとあらゆる体調不良に過敏に反応し、妊娠検査薬の無駄打ちを重ね、実現しないかもしれないと心で唱えながら先々の予定を入れたのち、生理が来た瞬間にすべてが元通りになる生活は、それはそれですがるものがないと難しい。修行不足と言ったらそれまでですが、つわりのような「うまくいったとき、かつ、仕事ができない状況」はまったく想定できていませんでした。

まだ私一人分の一個体として行動できる今のうちから体調がどうにもならないだなんて、産まれてしまったらどうするのだろう。今も不安に襲われています。働きながら子育てをすることって、本当にできるのだろうか?第二子がもしできたとして、これ以上のつわりが来たら?もし産まれてくる子が障害を抱えていたら?保育園に入れなかったら?世の中のワーキングペアレントなるものは奇跡に近いものなのでは?もし子どもが順調に育ったとしても、私にとって仕事をすること自体が贅沢で、今後は一切考えてはいけないことなのではないか?

もちろん心の中に「そんなことはない、希望を持つべきだ!女だけが働けない社会に自ら加担するんじゃない!」と叫ぶもう一人の私もいますが、つわりによる吐き気に襲われるたびに、少しずつ彼女の声は小さくなっていきます。これまですべてがコントロール下に置けると思っていた私の身体は、もうそうではありません。私の指示では到底出さないであろう吐瀉物大量出荷体制を強いてくる身体が、今後も反乱を起こさないとも限らない。今後は、不測の事態に備え、ある程度身体(あるいは子どもの)の言いなりになり、大事をとって柔軟に休めるような環境が必要です。これは、他者との合意をとりながら、人の力をリソースとしてすべてをコントロール下に置くという前提のもと、施策を繰り出していく「仕事」という営みと、かなり相性が悪いのではないかと感じています。

もちろん、そうではないと信じたいという気持ちはまだ持ち続けています。すでにワーキングペアレントとなった諸先輩方におかれましては、ご意見や体験談を、ぜひお聞かせください。

妊娠初期は妊娠の事実を公開することがままならず、よってキャリアに対する不安の自己開示がそもそも難しい……という状況は、大きな社会問題なのではないかと思っています。特に、母子手帳が交付されるまでの期間の体調不良とキャリアへの不安については、誰に何をどう相談したら良いのか本当に分かりませんでした。

妊娠が分かったことや流産したことも自己開示し合えるような職場との関係性でいたいものですが、体感としてはまだ難しいのでは……とも思います。みんなが「気にしなくて良いよ!」と先に言ってくれたらどんなに楽か。妊娠・出産は不測の事態であり、産んだらその先はパフォーマンスが落ちてキャリアの脱落者となるといった嫌な見方が職場に蔓延していると、安定期と呼ばれる妊娠5ヶ月まで、つまりはまるまる4ヶ月間、誰にも何も相談できないという事態になります。相談できたとしても、自分の両親ぐらいでしょうか。

社外の友人や知り合いに頼ることも考えられますが、妊娠初期の流産のリスクがあるなかで相談するにはある程度の仲の良さが必要です。妊娠出産を経た女性社員が運良く同じ職場内にいれば、そこで相談ができるとは思います。が、そもそも女性が少ない職場の場合は難しいですし、私のようにフリーランスであれば相談する人を探すだけでも一苦労。そもそも、自分の個人的な生活について相談できるような関係性の人が、仕事のなかで一体どれだけいるでしょうか。相談して、迷惑がられては元も子もありません。

不妊治療をしていれば、さらに前の期間、1年でも2年でも、ずっと誰にも何も相談できないこととなります。タイミング法の徒労感、採卵後の体調不良、そしていつ起こるともわからない流産の可能性を抱えながら、本当の理由を説明できない休みを取得するのは……シンプルに辛いです。そもそも有給休暇の取得時に休む理由を聞いてはいけないことになっていますので説明できなくとも問題はないっちゃないのです。とはいえ、自分の状況をオープンにできないという苦しさはつきまといます。

さらに、不妊治療をしている病院は診察を受ける人が仕事をしていることをあまり想定してはくれません。唐突に明日来てくださいと言われ、呼ばれるまでの2時間が何の成果も出ないまま軽く消し飛びます。貴重なキャリア形成の機会や自由な時間を、自分の卵巣とホルモンのリズムと病院のスケジュールで踏みにじられていくのは、自分で決めたことで必要だと思っていてもやるせない。やり場のない、腹立たしい瞬間が何度も訪れます。

「産休や育休、生理休暇だけでなく、不妊治療休暇や妊娠初期休暇というものを整備しなければいけないのではないか」という、政治家のような演説が私の頭の中を何度も駆け巡ります。とはいえ私はフリーランスの身なので、提言したところで自分でなんとかするしかありません。だからこそ、会社組織で毎日のように通勤して無事に子どもを産んでいる人たちが、神のように思えてなりません。私が会社員だったころであれば、私は今のつわりを抱えきれなかったと思います(今も抱えきれてるとは言い切れませんが……)。

妊娠出産に関しては、とにかく変数が多いので、他人との比較も悪い意味で捗ります。そもそも授かった時点で素晴らしいことなのに、こんなに不安になっている自分に対し、また不安になる無限のスパイラル。自信も確信も、どこにもありません。極めつけに、日本の周産期医療は優秀とはいえ、出産時に死亡する確率もわずかながらに存在します。できることなら生きたい。生きていきたい。でもとっても不安。こんなに暗い気持ちになるのが自分だけなのか、それともみんな通る道なのかも分かりません。暗闇のなかに放り出されたようです。そしておそらく、この心細さは産んだ後にもずっと続くような気がしています。私は、ネガティブすぎるでしょうか。

不妊治療を含む、妊娠にまつわる行いをしていてまだ公表できないすべての女性は、世を忍ぶように、本音は隠したまま、何食わぬ平気な顔で仕事に邁進することとなります。唐突に休むしかなく、職場には本人の自己管理がなっていないように見られたとしても、歯を食いしばって、自分の人生に新たなメンバーを加えたいと願い、絶え間ないチャレンジを続ける人たちが安心して過ごせる社会になりますように。

私自身、まだ産んでもいない道半ばではありますが、同じ境遇の方、一緒にがんばらせてください。私なら、あなたなら、私たちなら、きっとなんとかなるはず。なんとかならなかったら、一緒に泣きましょう。

諸先輩方は、ぜひ力をお貸しください。何かの折に、悲観することはないよと、声をかけていただけたら嬉しいです。

今後も子育てや暮らしにまつわることをこちらのnoteで書いていきたいと思ってるので、良ければまた見に来てください。今後ともよろしくお願いします。

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