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毎週正月が来て、留学しているみたいだ|妊婦雑感

妊婦になってから、一週間がとても遅い。毎週の週数を指折り数えているからだ。今私は21週を迎えたばかりだ。妊娠には妊娠〇ヶ月のほかに、週でその経過を表すことが多い。そこに、いわゆる「週数の壁」が存在する。9週、16週、22週……それぞれ、流産の危険性が低くなる、安定期に入る、早産つまりは人として医療の対象になる、など意味合いを強く持っている。

妊婦はこの週数を数え、日々を過ごしている。私だと切り替わりの日は水曜日。水曜日の0時になると、さあっと新しい景色が広がるような気がする。少し安心し、まだ気が抜けないと気合いを入れ直し、耐え忍ばなければいけない残りの週数(40週ごろまで妊娠は続く)にめまいのするような心持ちになる。これを毎週やっている。

当然、来週にやりゃいいやと言える趣味や仕事に比べ、向き合う姿勢はどうしたって大きく変わる。それゆえ、時間の感じ方がこれまでの生活とは大きく変わってしまうのだ。

毎週正月。そんな感じがする。こんなに細切れのカウントダウンを私の母も体験していたのだろうか。新年が毎週やってくるなら、当然子への思いも強くなる。できるだけ元気でいてほしい。胎動は日に日に激しくなる。その激しさゆえに眠ることさえ妨げられる。寝るときはちょっと静かにしてほしい。ままならない他者が腹の中にいる奇跡と違和感と不思議さを抱えて妊婦は日々を過ごす。

日増しに腹が大きくなっている。1ヶ月前に買ったはずのマタニティウェアでさえ着れなくなるのではと思うほどのスピード。

こんな身体の変化を、夫は私ほどには感じることがないのだ。

私は最近、この妊娠を「留学しているようなものではないか」と感じている。身一つで異文化に入り込み、身体的な・精神的な痛みとともに、新しい知識や能力を獲得していく。環境が変わるからこそ、知覚が鋭敏になり、学習効率が思う以上にアップしていく。それでいうと、妊娠はある種パスポートがいらない留学なんじゃないかと思うのだ。事実、私は妊娠出産子育て本を毎日狂ったように読み込んでいる。次の、来月の、半年後の、来年の自分がどうなるのか。子どもが無事に産まれたとして、私がその命を守れるのか。まったくわからないと切実に思うからこそ、情報収集にも勢いがつく。不妊治療を受けているときは、まずできるかどうか分からない子どもに対してこうは真剣にはなれなかった。結果がどうなるかわからない段階では、気持ちを投下すること自体が、極度の落ち込みをもたらすリスクとなる。

それでいうと、夫をディスりたいわけではないのだが——男性側はこの留学に、産まれる前の段階では参加することができない。男女では、子育てという体験をするスタートラインがそもそも違うのだなとしみじみ思う。

例えば人は旅行をして初めてその土地のことを学習し学ぶことがある。出産前の男性が体験ができる、旅行にあたる部分はそう多くはない。検診に同席してもらう、が出産前における男性の「旅行」なのだとすると、その回数は立ち会い含めて、多くでもせいぜい2−3回といったところだろうか。

あとはベビーグッズを買う、コウノドリのドラマを見る……などいくつかありうるが、なかなか自分ごとと言えるような体験にはならないのではないかと思う。

妊婦にとってかなり辛いときもあるつわりですら、隣にいるだけだと実体験としては遠く及ばない。夫側からすれば、パートナーの通常の体調不良とあまり変わらないように見えてもおかしくはない。そんなに毎日調子が悪いことなんて続くの?と、私が男性なら思ってしまうかもしれない。

毎日狂ったように子育て本を読んでいる側からすると、「どうしてあなたも一緒になって情報を摂取しないの!?」と詰め寄りたくなる気持ちもわからなくはないのだが、それは留学してる側が「なんで英語勉強しないの!?」と国内にいる人に向かって腹を立てているようなものだと思う。将来をリアルに思い描ける人は切磋琢磨できるかもしれないが、それは人口の数%にしかならないのではないか。留学している方は差し迫った状況下にいて、そうではない方は生活に困っているわけではない。その認識の違いは夫婦がどちらも重々承知すべきだろうなと私は思う。

このような、どうしようもない環境の違いもあるにせよ、私の理解のある夫くんはかなりサポートしてくれているとは思う。非常にありがたい。それでいて、夫が毎分くるようなこの胎動を感じることも、あのつわりの耐えがたい吐き気も、このだるさも眠さも、一瞬とて引き受けられることはないのだ。

私たち女は、この身体的な苦痛と変化に立ち会い、親としての覚悟を決めざるを得ない。それが伝わっているのかどうか、どう伝えたら良いのか、そもそも伝わるもんなのか、全然わからない。本当は夫と一緒に留学をして、同じ正月を迎えたいのに。まったく性別とはままならないものだ。

赤子はそんなややこしい親の心を知ってか知らずか、モゴモゴと腹の中で自由に泳いでいる。なんでもいいから、無事に出てこいよ。今日は水曜日。予定日の8月まで、また週を数える日々が始まる。

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