最近街ブラして思ったこと
熊本で「街行こうぜ」
と言えば「下通り」「上通り」を指す。
私は専ら「上通り」派で絶妙なゆったり感が好きだ。
同窓会か何かで久しぶりに会った友人が
「久しぶりに目的もなく街行きちゃー」
※熊本弁で「◯◯したい」
と遠い目をした友人が妙に印象深かった。
ああ、そう言えば学生の頃とかよく街ブラしてたなー
懐かしい。と同時に何か感情が蘇る。
今回の旅のテーマは「街ブラ」
久しぶりに緩い感じで、街ブラするが如く旅していきます。
街ブラの思い出
あなたは街ブラと聞いたら何を思い出しますか?
楽しい思い出、馬鹿した思い出、大抵若い頃のキラキラした頃を思い出すのではないでしょうか?
または「場所」を思い出すかもしれません。
私は結構色々な所に住んだことあるので、それこそ結構街ブラして来ました。
東京なら下北沢、高円寺。
福岡なら大名。沖縄なら国際通り。
どこも独特の雰囲気あって面白いですよね。
でもやっぱり記憶に残るのは
「誰と」「何をしたか」で、その二つが合わさると
強く記憶に残る気がします。
時間と街ブラの関係
最近よく考えてみると、目的を決めて街へ行くことはあっても「街ブラ」はしてないなって気づきました。
そうか、街ブラって時間と気持ちに余裕があってはじめて成り立つことなのかもしれない。
そうすると、だいぶ街ブラってしてないかも。
でも、無理に時間を作ってそれをするのも何か違う気がする。そしたらやっぱり「気持ちの余裕」が尺度かも?
って考えを巡らせること自体、既に時間に囚われていることに気づく。
うーん、だいぶ「社会人」とやらになっている。
今だからこそできる街ブラ
でも何だかんだ言って「街ブラしたい」と思って、最近妻とデートしてみたりする。
気分で良さげな店でランチして、お洒落な店に入ってみて、最後はカフェでお茶して帰る。
意識して自然と触れ合うのもいいけど、街は街でやっぱり楽しい。
それに、学生の頃程あんまりお金のことを考えなくていいから、わりかし楽しめる。
(お金ないならないで楽しみ方あるけど)
今って在宅で何でもできるから多分街ブラする人かなり減ったと思うんですけど、でもやっぱ私はオフラインが好きかも。
その場所だからこその雰囲気。
それを五感で感じる。
そのとき、その場所、今の自分で。
ああ、贅沢な時間。
まとめ 人生という旅をぶらつこう
「自分は何の為に生まれてきたのか?」
よく思春期で(今の子達は考えない?)このテーマにぶつかる気がする。
何の為に勉強するんだろう?
何の為に進学するんだろう?
何の為に就職するんだろう?
何かよく分からないけど、とにかく生きている。
そんな余白に、街ブラは存在していたかもしれない。
大人になると街に行くのは夜飲み行くぐらいで、昼間は用事があるときぐらいになっていく。
街に限らずとも、どこに行ったって明日のことを考えながら、限られた時間でしか楽しめない。
そんなの嫌だなー。
老後の年金暮らしとか、多分今の若い世代はほとんど考えていない。
今を生きなきゃ。本当に最近よく思う。
見たいものを見たい。
行きたい所に行きたい。
欲しい物は手にしたい。
やりたいことは全てやりたい。
全部取りに行きたい。
自由を手にしたら
本当の意味で人生という旅をブラブラしたい。
感情の動くまま、自由自在に。
私達は税金を払う為に生まれてきたんじゃないぞー。
って反抗期気味に、今日も明日も働きながら自由を手に入れる算段をしていきます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
また次の旅でお会いしましょう。
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