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ピンクリボンデーに乳がん患者が思うこと


がんになっちゃった!

2人に1人ががんになる言われている時代。私もいつか“がん”になるんだろと漠然と考えていました。祖母が大腸がん、父が前立腺がん、きっと私もなる。でも、それはもっと先のことだと思っていました。

更年期の‘‘ゆらぎ世代’‘に真っ只中であっても、心身ともに健やか。平穏無事に日々の生活を送っていました。ところが、6月のある日、左胸に小さなしこりを自覚。

「えっ?!これって、もしかしてがん?」しこりに触れた瞬間、血の気が引きました。そして、その発見が、がんサバイバーとなるプロローグとなるのです。

私には無縁だと思っていたピンクリボンの活動

しこりに触れるちょうど1ヶ月前。母の日に、日頃の母に感謝も込めて旅に出ました。途中、立ち寄った道の駅で、ピンクのTシャツを着た沢山の女性たちが何かを配布。

乳がん啓発のリーフレットに、アルコールのウェットティッシュそれにキャンディーの入ったパッケージを配っていました。母と一緒にそのパッケージを受け取った私は、「胸が小さいから乳がんは大丈夫だよね〜。」と言って興味は中身のキャンディー。

ただ、乳がんの自己検診方法については、一応、心得はありました。さらに、数年前に郵便局で乳がんのしこりを再現した乳房模型を触った経験もあります。しかし、自分がまさか乳がんになるとは思ってもいませんでした。

リーフレットやティッシュを配布している女性たちは、乳がん経験者なのだろうか、それとも患者家蔵なのだろうか。一生懸命、啓発活動している女性たち。

一方、休日の母の日。道の駅。多くの人々は、楽しい休日を過ごすのに夢中で、浮き足立っています。私も同じです。まだ、身の上に起こっていない出来事に対して、真剣に考えるほど人間賢くできていないのです。

私に至っては、家族にがんサバイバーがいるというのに。正直、受け取ったリーフレットは表だけに目を通して、読んでいません。なんということでしょう。この1ヶ月後に、自分が乳がんになるというのに。危機管理のなさに呆れます。


10月1日はピクリボンデー

1980年代のアメリカでは、乳がんで亡くなる女性患者が増加したそうです。このことから、“このような悲劇が繰り返されないように“といった願いを込めてリボンが作られました。これが、ピンクリボン運動という乳がん啓蒙活動の始まりです。

アメリカでのピンクリボン運動の流れを受け、日本でも1994年から、10月を乳がん月間として定め、乳がん検診が推奨されます。

ピンクリボンは、乳がんの早期発見、早期診断、早期治療の重要性を伝えるためのシンボル。世界共通で用いられています。

毎年10月1日は『ピンクリボンデー』。乳がんに関する正しい知識を広め早期発見、治療を促すという日。世界中で様々な乳がん啓発イベントが開催されています。かけがえのない命を守るために必要な知識を得る、大切な機会といえる日です。

乳がんになった私ができること

多くの方が、がんをはじめとする病気は、早期発見、早期治療が重要だと知っているはずです。

早期発見、早期治療をすることで、身体への負担、時間的負担、経済的負担が少なくてすみます。最大のメリットは、命を守れる可能性が非常に高いということです。

私は、超早期で乳がんを発見。主治医による早期診断、そして早期治療によって、命を守ることができました。

この経験を文面に残すことで、がんが心配な方、これから治療を受ける方、治療を終えたけど不安のある方への道しるべを作って差し上げられるのではないかと考えております。

医療従事者ではないので、医学的なことについて述べることはできません。しかし、がん治療を受けた者の一人として経験を述べることはできます。

私の経験を読むことによって、ひとりでも多くの方が、命を脅かされることなく、また、万が一、命の危機に直面したとしても、良い選択ができるように願っています。

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