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雨と梅田と好き嫌い

 雨が好きだ。
 と、言ってみたい。
 だって、格好よくないか。世が疎む憂鬱の象徴に、1人だけで微笑んでるの。1人じゃないだろうって?言おうか。僕は、奥田民生の唯一の信仰者で、気弱なあの子の唯一の理解者であって、今言ったのは紛れもない真実なのだからね。同じように僕はただ、奥田民生だけを愛していてその上、気弱なあの子だけを愛している。わかるね?ちなみにファンクラブに入会しているのはGLAYだ。
 その調子で雨を加えてやろうという話なのだけど、何しろ物的証拠に欠ける。写真フォルダーを開いても、雨の日のを使おうと思った時、随分困る程度には頻度が低い。困ったな…(雨のことを文章に書いている今なので)。
 一応断っておくが、僕は雨が好きだと言ってみたくなくならない程度には、そもそも雨を嫌っていない。だから、世の大半を占める逆張り愛好家とは違うのである。全くもって。
 こんなことを考えている日は、たまたま偶然タイムリーにも、春らしく細い雨足が大変セクシーだったので、傘を持って街へ出てみようと思い立った。雨が好きだから…ではなく、雨が好きだと言うに足る体験時間を稼ぎ、かつ写真不足を補うためである。
 
 小雨でもすぐに傘を差す風習は、日本では北海道以外でしか見られないものだ。
(※雪と低温を半分は機械化、残りは気にしないことで克服した北海道の人々は、雨についても同じように半分は地下街の建設、残りは気にしないことで乗り切っている。彼らがそれでも無神経と評されないのは、さすがに無視できない大きさをしたヒグマのおかげである)
その一人でいる私は梅田駅前の傘の群れを見るうち「雨で濡れるのって何かヤじゃね?」と気づくに至った。嫌いは無関心よりも好きに近いので、今日の狙いからすれば立派な進歩である。
 雨で濡れるのって何かヤだ、と僕以上に僕の髪の毛がうるさいので一度だけ行ったことがある行きつけの喫茶店に駆け込む。なお、この一文を違和感なく読み進めてきた人は、きっと一進法を採用していてかつ、このページで使っていた数字が1だけだったので、無と有との区別の意味で採用しているであろう1の意味で捉えた結果たまたま噛み合っているのだろう。では、この奇跡を終わらせてみせましょう。2

 全員にとって辻褄が合わなくなったところで、細かいことを気にするなぁ非道民は(人に対して何という悪口を!と憤慨する読者のために予め誤解を解いておくと、字面通りのダブルミーニングであり、つまりは悪口であるだけでなく差別主義である。念のため)、と思いながら窓から交差点を見下ろす。やはりBMI0〜16(一進法ユーザーの皆さん、またもや残念でした)の雨足に合わせて、傘を閉じたり開いたり、律儀なものだ。余程雨に濡れたくないか、傘袋メーカーへの忖度か。いずれにせよ気遣い屋に変わりはない。
 なおも見下ろす。ああ、道民の優越をまたもや確認してしまった。交通工学の観点からすれば、傘を差すことで人一人の移動に要する面積が数倍に膨れ上がることは提起されるべき社会問題である。SDGs推進が叫ばれる昨今を鑑みるに、全ての傘にナンバープレートを付与した上での偶奇番号規制の導入と、一度に100人ぐらい入れる大量輸送相合傘の開発、郊外から都心への出勤にはキス・アンド・ハイド・システムの確立を提案したいところだ。
 言い換えるなら、雨の日の歩道は狭い。

 カフェを出たら狭い歩道を歩いて、当てもなくぶらぶらすると、先ほど見ていた通りの降ったり止んだりである。どうやら僕が傘を差そうとすると弱まり、畳むと本降りになる仕組みらしい。僕の今日の目当てをわかってくれているようで、大変気分がいい。誠に。
 気遣い屋の関西人たちにも抜けているところがあるようで、何から何が抜けているのかといえば、傘袋から傘が抜けてしまい、濡れそぼつ路上のあちこちに水浸しのビニールが見られるのだ。
 一つ一つの寝相はSNS映えしそうだし、発見数を賭けるのもまた一興だろう。新たなカルチャー、及び公営賭博の可能性は街中に転がっている。
 降ったり止んだりがあまりにも小刻みなので、量子力学的な説明が必要かと天を仰げば、啓示が舞い降りた。
"アーケードの切れ目を歩かないほうがいいよ。"

 かくして、僕も人並みに雨が嫌いになり始めそうな瀬戸際(地理的にはもう少し西、明石あたり)、すなわち導関数が0になったのを感じたため、散歩はおしまいにしようと思う。なにも、この文章を書いているカフェで飲み物が尽きたことと、小便がたまり作業を切り上げたいことと、文章の勢いが衰えてきたことと、全ては関係がなく偶然であり、量子力学の分野であり、天の啓示である。飽きたのだろうという邪推はナンセンスだ。
 だから、数枚撮った写真とページ数を以て、雨が好きだと言っても謗られる謂れはないし、内心がどうあれ墓場まで持っていけばいいし、死後の心配だって流石に思想の自由の保証を迫られている頃だろうから、これで僕は晴れて雨好きだ。
 せっかく雨好きを名乗るので、神がサイコロを振る代わりに、道に落ちた傘袋の個数で物事を決めているならば世界線の収束が一定のサイクルで行われていると示せるという仮説のもと、雨の日の梅田駅を毎日見張ってみようかとも思ったが、どうせ続かないだろう。何しろ、僕は雨が嫌いである。

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