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【ことば】「細く長く、」

今日は久々にゆっくりと船外での時間が取れた。そして今船内で穏やかな時間を過ごしている。

私の右手にはたまに朧月になったりくっきりと見えたり、とにかくずっと魅力的な月が見え続けている。そういえば一時期、ルナロジーにどはまりして、新月や満月、月齢やボイドタイムにすごく拘っていた時期があった。


私は何か気になるものができると、熱に浮かされたように、数日間もしくは数週間一つの物事ばかり考えてしまうタイプだ。だからずっと「熱中してすぐに飽きてしまうタイプ」と自称していたし、そんな、何事も続かない自分があまり好きではない。(noteの更新頻度を見て貰えれば分かると思う)

けれどある時、少しそんな気持ちが軽くなる、何気なく発せられた言葉がいまでもずっと心に残っている。


趣味と言えばジャニーズで、男女構わず公言していたがいろんなタイミングで少し前にそれが思うように続けられなくなった。

大げさのように聞こえるかもしれないけれど、それこそ「ただ生きているだけ」感が強くなっていった私は、新しい趣味を模索して、とりあえず少し興味があることに手を出していた。その一つに茶道があった。


お稽古の回数を重ねてから初めて他の生徒さんと一緒になり、その流れで一緒になった帰り道のこと。

知らない人と話すことは苦手ではないから、お母さんと同じくらいの年齢のその方とお茶を始めたきっかけや、いつから今の先生のところへ通っているのかなど、話は途切れない。


「でも、お茶ってなかなか続けられないでしょ」


その女性が放った言葉に反射的に共感してしまう。

何回通っても手順は覚えられないし、戸の入り方や、お茶を点てるときの順番、手の添え方など、本当に細かな動作まで決まっているし。

ちょうど(それこそ“日々是好日”の冒頭よろしく、)もう行きたくないなあとすら思っていた時期だった。

「私も若い頃に一度やっていたけど、子供が生まれて十数年あいたのよ。」


「だけどね、趣味は、“細く長く”続けるものだから。」


ストン、と言葉が胸に落ちてくる感覚がした。

こういう感覚のとき、その言葉はその先もずっと私の中に居座り続けるのを知っている。

きっとその時の私が、それと、未来の自分が一番欲しかった言葉だった。


私の一過性の熱が“細く”に該当するかを自分で審議したこともあった。

だって言葉の通り四六時中そのことばかり考えているし、好きなアイドルの動画は一日に何十回見ても飽きない。

その音楽が寝るときも目覚めのときも多分夢の中だって、頭の中に流れ続けていたって全く苦じゃないし。

それでも、それがある程度続くとフェードアウトをしていって、また違うことに目移り。

そんなとっ散らかっている自分が嫌で、ひとつのことを長く続けている人に対して強烈な劣等感を抱くときもあった。


けれどこの言葉をもらってから、大切なのはそのあとだということにやっと気付く。

趣味や好きなこと、それと自分の好きなことについて考えてみた。

そういえば一時でもどハマりしたアイドルや画家、好きな本やダイエット、カレーにコーヒーにワイン。宗教について考えることや経済のこと月のこと、パソコンのこと書くこと御朱印。それと、将来のやりたいこと。

確かに熱が冷めたりまた再燃したり、それが長かったり短かったり。列挙すると本当にとっ散らかってはいるけれど、その考えや趣味や好きなことは、いつだって同じものを繰り返していた。


これが私の「細く長く」の感覚なのかもしれない。

今、そう思うように少しずつが気持ちがシフトしている。

そうしたらいつの間にか、

これからやるべきこと、やりたいことは、その熱が来るたびにその思いや知識を成長させることなんだと思えるようになった。

これが今日改めて自分と向き合っていて、思い出したことだった。

自分が成長していく感覚って大人になると鈍ってくるものだけれど、こうやってたまに自分を見つめて認めてあげる時間をこれからも大切にしたいと思う。




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