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「好きなことをやれ」という落とし穴

Ciao!
こんにちは、いくにです。
今日は久しぶりにちょっとした考察?考え?に関する記事です。最近イタリア関連ばっかりだったからね〜


さて、今回は最近巷でよく言われているあの言葉。

「好きなことだけをやれ」

について話していきたいと思います。


好きなことが、一生好きとは限らない。

全然関係ないねっこちゃんの写真で癒されよう

私はおそらく側から見て、「好きなことだけをやって生きている人間」だと思います。20代後半で留学したり、仕事も漫画家としてやっていたり、趣味だと言ってカフェで働いたり…。見る人から見ると、羨ましく思う環境かもしれません。

「好きなことだけをやろう!」
この言葉は基本的にポジティブで、励ましの意味や背中を押す意味合いを持って言われている言葉でしょう。私も20代なかばまでは「そうだそうだ!」と全面的に共感していました。

だけど、その言葉に翻弄されて「好きなこと探し」に疲れてる方、いませんか?


私は比較的早い段階で好きなことを見つけ、漫画という“好き”を仕事に頑張ってきました。そして今発連載を終えさらなるレベルアップを求められる機会も増えたり、また将来のことをふと考えた時…

「私は本当にコレが好きなのか?」

と疑問に思うことが増えてきました。
それは単にやることが難しくなって辛いからとか、そんな単純な理由も含まれていると思います。でも、途端に不安になりました。

だって、好きだと思って選んだこれが、好きじゃなくなったらどうしたらいいのでしょうか?辞める?嫌々続ける?それは【好きなことをやる】に反しているのでは?

キャリアチェンジするにも、また別の好きなことを見つけるまでにかかる時間は未知数です。なら私は好きじゃないことを、これから数十年やらなきゃいけないのか…?


「好きなこと」が更新されていくことは当たり前です。
そして、「好きなこと」が簡単に見つからないのも当たり前です。

この世の中にはあらゆる事柄で溢れている。私が知りもしない仕事、趣味、たくさんあるでしょう。最近は海外で『鞭パフォーマンス』を楽しむ人がいるというニュースを見て驚いた記憶があります。(鞭って、音速を超える人類初の武器って言われてるらしいですよ。(どうでもいい))

それなのに「好きなことだけをしなきゃ」という考えに囚われて、自分が現段階で知っている物の中から“好きなもの”を探そうとしてしまう。そして見つからなかったら、好きなものを見つけて楽しそうにSNSに載せてる人を見て落胆する。

「あの人はあんなにキラキラして生きているのに。私の人生は不足している。」そんなふうに感じてしまう。

漫画という“好き”を見つけていた私もいつしか「好きなことをしなきゃ」と思い詰めて、《描くか描かないか》の二択を自らに課していたような気がします。

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日本生まれのイタリア大好き漫画家です。好きすぎて留学してました。漫画をきっかけにイタリアに興味をもち、5年以上とあるカフェでバリスタとして勤務していました。