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野球界の丸坊主に思うこと②

結局、私は大学2年生まで丸坊主でした。
これはその大学2年生時の写真です。


丸坊主のおかげで中学、高校、大学と思春期から大人に成長する段階で、ほぼジャージで過ごすことになり、オシャレらしいオシャレはほとんどできませんでした。
何故野球界には坊主という「制度」が根付いてしまったのでしょうか?


戦前日本には、スポーツを楽しむという概念がありませんでした。
団体競技よりも個人競技が多かったというのもありますが、身体や精神を鍛えて立派な兵士や国民になるための、人間形成の意味合いが濃く、鍛錬、苦行、修行の世界だったのです。
従って、楽しむことや、笑顔は不謹慎とみなされていました。


そして、戦争が始まり軍国化が進み、戦争への意志統一を図るために、男子は全員坊主となりました。

当時既に超人気を得ていた高校野球も、もちろん例外ではありません。
むしろ模範としての役割があり、特に厳しかったと聞いています。

そう、そしてその戦争の名残が今尚続いているのです。
本来平和の象徴であるべきスポーツに、戦争の名残りがあるというのは悲しいことです。


しかしながら高野連が、「丸坊主にしなければいけない」というルールを敷いているわけではありません。

ではなぜほとんどの高校球児が丸坊主なのでしょうか?


これは各学校の部則なのです。
その部則を作っているのはそれぞれの高校の野球部監督であり部長です。


監督さんや部長先生は一体、
何に気を使っているのでしょうか?
何を恐れているのでしょうか?
何に忖度してるのでしょうか?

ただ単に昔から坊主だから?


私は何度となく、少年野球も含む野球関係者に「もう丸坊主はやめてはどうでしょうか?」と提案してきました。

そこでの答えの多くは「いやいや、うちは丸坊主にしろ!と命令した事はありません」と返ってきます。


そして「まあ、やる気の現れですけどね」と持論を付け加えます。
強い権限を持った指導者の持論がそうならば、強制しているのと同じ事です。

球児達はやる気を見せなくてはなりません。


また、幼稚園児から小学低学年の子供たちで、野球もサッカーも大好き、そろそろチームに入ってプレーしたいという子の中に、「野球は坊主にしなくてはいけないので嫌だ」と言ってサッカーチームに入る子供達が実に多いのです。

サッカーよりも野球の才能があるかもしれない子が髪型を理由にサッカーを選んでしまうのです。そんな危機的状況に対しても、新しい事を学んでいない指導者達はこう言います。
「それくらいの事で、野球辞める奴は、初めから要らん!」と。


彼らは野球人口減少の問題をちゃんと見ているのだろうか?


かく言う私も球児が長髪だったり茶髪にしたりするのは、もちろん大、大反対です。

しかし、それが校則の範囲内なら認めるべきです。いや、勧めるべきなのです。


何故なら・・・・・・次回へ

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