見出し画像

お父ちゃん④

今日は、僕が生まれて初めて、父と1対1の行動となる野球観戦に行った。

父は酒好きだが、流石に、この歳になり自分の酒癖の悪さや、これまでの酒での失敗、そして僕が成人してからの間にあった僕との揉め事のせいもあり、私の前ではもうあまりお酒を飲まない。

今日も入場前に「ビール買おうか?」と言っても「いや、ええ」と、今頑張って働いている建設会社の現場で雨の日に、久々にビールを飲んだけど寒くておいしくなかったから。

みたいな事を言って、今日の曇り空を見上げながら上手に断っていた。

2.〈コタツ投げ選手権>

今から書く事は僕が小学校一年生の頃からの記憶だが、その頃、母が週に1回の趣味であるバレーボールに行っていた。

父が晩酌を始め出すのが仕事をしている時であれば、それを終えて18:00か18:30位だっただろうか。

母が居ない時は特に酒のペースがすすみ、帰ってこない苛立ちと併せて19:30頃から様子がおかしくなり、20:00~20:30くらいには完全に出来上がって、まだ帰ってこない母への愚痴の独り言が出て来だし、訳の分からない怒鳴り声を始め出す。

その時は20:30過ぎても母がなかなか帰ってこず、だんだんおかしくなってきた父に「おい、ビールこーてこい(買って来い)」と頼まれ、近くにある島一番で武闘派”カーボおっさん”という店主の居る酒屋に、もう飲まなくていい筈の酒を、小学校1・2年生の僕が震えながら買いに行くのである。

本当はそこで、その腕っぷしのある”カーボおっさん”に、今の父の状況を告げて助けてもらいたいのだが、不思議な事にそんな荒くれ者の父でも親は親。

島一番の武闘派”カーボおっさん”に助けに来てもらおうものなら、父がコテンパンにやられて大怪我をしてしまうだろうというような庇う気持ちが出て来て、告げる事が出来なかった。

そんな震えている僕の体を見て”カーボおっさん”が「お前、震えちょるんじゃなーんか?」と聞いてきたが、僕は必死でそれを隠し、大瓶2本を買って帰ったのだった。

家に帰ると、低い天井にぶら下がった四角い照明カバーがスッポリなくなり、裸電球一個になっていた。

その四畳半程の狭い部屋、一人で酔っ払ってコタツを投げていたのだ。。

いくら大工だからといって体力が有り余っていたのか、ハンマー投げ、砲丸投げの種目はあるが、コタツ投げは聞いた事がない。。

もし、”コタツ投げ選手権”があったのなら、父は島でそこそこ上位にいけるだけの十分な練習は出来ていたであろう。

父は晩酌する時、酔っ払ってくると、大声で2階にいる僕を呼ぶので、下りていかないと眠っている弟を起こしてしまう事になる。

そこで僕が晩酌の相手をして父の機嫌を取っていた。

でも、たまに酔狂はするけど何故か僕はその父との晩酌の時間がそんなに嫌ではなかった。

それは多分、少し遅くまで起きていられる事や大人の男の行動を見れるという事であったり、野球好きの父とのテレビ観戦も一つの楽しみだった。

酔いは回ってくるのだが、江川卓の投手時代、引退を決意した事で有名とされる試合で、相手チームの選手にホームランを打たれるシーンも、リアルタイムで一緒に観ていて、父が「こういう時に江川は打たれるんよ」というのをズバリ当てたのを覚えている。

こんな破天荒な父ではあったが、僕は幼心に少し尊敬もしていた。

スピンオフ🥊に続く









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?