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お父ちゃん⑥

前回の飲酒運転で軽トラごと海に突っ込み、奇跡的に無傷で事無きを得た父だが、その事を聞いたじいちゃんに「お前の本当の父と同じように酒で命を落とし、このかわいい孫まで同じ運命にさせるのか」と、初めて涙を流し諭されたと言っていた。

そして同じ時期、少し体調が優れないな?と思った父は、病院嫌いではあったが行ってみると「肝硬変の手前でこのまま飲み続けると、長く生きていけないだろう」、そう医者に告げられ、僕ら家族の将来のことを真剣に考えたのか、それから僕が中学生になる頃までの4・5年もの間、あんなに飲んでいた酒を一切口にせず、健康に良いと思ったのか飲み物といえば250mml缶のポカリスエットを口にしてバリバリ仕事をする毎日を送っていた。

そんな酒浸りの生活から一変して、大工の仕事に精を出していた頃の、僕が覚えている2つのエピソードを書いて次回で終わりにしたい。

4.<記憶の足跡>

中学生になった僕はボクシングの体力作りも兼ねてと思い、たまに父の大工仕事を手伝っていた。

ある夏のとても暑い日、近所の玄関前にコンクリートを流し土間を作る作業を手伝った。

砂利や砂、それにセメントだかなんだかを桶に入れ水を足してかき混ぜるのだが、父がこねるのを先ず見る。

シャツを着た背中は汗で透け、幅広い筋肉の形もハッキリと見える程だが、混ぜることがそんなにキツそうでは無く、大きな桑のような物で父はただそれを一生懸命かき混ぜる。

それから僕に代わり、同じようにこねようとするのだが、足下さえおぼつかない程力が上手く使えず(というか、そもそも、そのかき混ぜる力が無かったのだろう)、数回で断念し父に代わることになったのだ。

その時、僕は思った。

学は無く酒癖も悪かった父だが、日々こんなにも大変な仕事をして僕らを育ててくれているんだと。

それからまた苦労して混ぜたセメントを土間に塗ると、まだ完成のほぼ3分の一程。

その後繰り返し、重たい砂利や砂、セメントを桶に入れ水を足し混ぜる。

朝から始めた作業を2回繰り返し、ようやく昼飯。

とても暑い真夏に、麦茶、冷やしソーメンを乾いた食道に流し込み癒やされ現場に戻る。

と。。。

なんと、野良猫がまだ乾ききらないそのセメントの上を歩いて、しっかりかわいい肉球の痕を付けているではないか!!

僕は、その乾ききらない塗り立てのコンクリートに点々と付いた猫の”足跡のラインをしっかりと記憶”している。

あんなに苦労して作っても、自然に流れる時間や出来事には逆らえないんだなぁ~と感じ、そういったものとの共存という生活があるんだ、という教訓になる出来事だった。

もう一つは、(エピソードとしてはこれが最後)

5.<歯抜けの防波堤>

また同じ時期、中学校が休みの日に父の手伝いに行った。

1周10㎞の島の裏手にあるスペースに、許可を得た場所があるので、そこに材料などを置く小さな倉庫を作るということで、基礎は出来、その後の壁を作るのに手伝いに行ったのだが、短気な父は、僕の手伝いぶりに不満が出たのか怒り、僕も折角手伝いに行ってやっているのになんだこいつは!?とキレて、島の裏手にある現場から一人歩いて家まで帰ったのだ。

そして、その倉庫が完成間近の頃、中国地方に記録的な台風19号がやってきた。

家は古く、ゴウゴウとけたたましく鳴り響き吹く突風に併せて揺れ、今にも吹き飛ばされそう(1991年台風19号は、この島のほぼ全戸停電、暫く水道も出ず補給救助船がやってきた程だった)。

そんな中じいちゃんの家に電話しても繋がらないという事で、夜中に父が安否を確認しに行き、心配が続いた恐ろしい一夜を過ごしたのだが、翌日、台風一過といえばこの事かというように、島の空はすっかり晴れ渡り済んだ景色がとても気持ちの良い朝だった。

その日は確か日曜日か、もしくは大型台風の翌日のせいか学校は休みで、昨晩の興奮を同級生と分かち合いつつ、自転車をこいで島の被害状況を見回ったのだが、防波堤は歯抜けみたいに抜け落ちたり無くなってたり、これは凄い状況だなと島の裏側に来た時、そういえば。。

お父ちゃん⑦

最終回に続く






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