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日本人とダイバーシティ&インクルージョンは相性が悪い?

「日本でもダイバーシティ&インクルージョンの推進が求められる。」
最近、知識人や経営陣、政治家なんかがよく口にするフレーズ。

ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)とは、厚生労働省によると

「年齢や性別、国籍、学歴、特性、趣味嗜好、宗教などにとらわれない多種多様な人材が、お互いに認め合い、自らの能力を最大限発揮し活躍できること」

厚生労働省オフィシャルウェブサイトより


これはホントに、めちゃくちゃ大事。心の底からそう思う。

しかし同時に、日本でこの概念を、広く一般に浸透させるのは並大抵のことではないと感じている。いま、個人的に考えていることを記録する。

日本でD&Iが語られる文脈

新聞やテレビ、SNSなどでダイバーシティ&インクルージョンの必要性が語られる文脈は、例えば以下のようなもの。
・女性がもっと活躍できる社会を実現するため
・少子化で深刻な労働力不足が予測されるなか、外国人労働者を広く受け入れる必要があるため
・性的マイノリティも生きやすい社会になるため

で、これを聞いたら、
・うちの職場には、好きで契約社員やってる女のひと多い、とか
・外国人労働者が働くような職場なら必要だね、とか
・まわりにLGBTQの人いないから関係ないなぁ、とか
他人ごとにしちゃう人が多いんではなかろうか…?想像なのですが。

多様性は人がつどえば どこでも発生する

多民族国家とは違って、同質性に重きがおかれてきた日本では、多様性を受け入れる大切さは実感しにくい。
でもそもそも多様性って、民族や性別の違いどころか、個人が2人以上いると自然に発生するもの。ひとはそれぞれ、性質も考え方も違う。

それを前提に、お互いを開示しあい、違いを知り、認めたうえで手をとりあうすべを探る。それがダイバーシティ&インクルージョンの基本なのではと推察する。なので、国家の民族性云々に関わらず、ダイバーシティ&インクルージョンは、ひとが集えば必ず意識されるべきものなのだ。そのため当然、日本でも推進される必要がある。

日本特有の問題

けれどわたしが思うに、その実現を阻むあまたの問題のうち、日本特有と思われるものがふたつ、予想される。

自分を開示する能力

ひとつは、日本人の多くは「自己開示」が苦手であるということ。
ダイバーシティ&インクルージョンには、相手を受け入れるだけではなく、自分自身の考えを言語化して、お互いを調整することが大切。
受け入れるだけでは自分自身に無理が生じ、破綻してしまう可能性がある。

「思いやり」という勘違い

ふたつめは、「一人ひとりの違いを尊重する」ことが、「思いやり」と同列に解釈されてしまう恐れがあること。
相手と考えを開示しあったうえで尊重する「思いやり」なら良いが、
「相手はこう思っているだろう」という推し量りのもとにほどこされる「思いやり」は、押し付けの可能性をはらんでいる。
ダイバーシティ&インクルージョンへの第一歩は、違いを認識することである。言わずにわかる以心伝心、のような、良かれとおもって先回りして決めつける価値観は、ダイバーシティ&インクルージョンと相性が悪い。


こんなふうな課題があるのではないかな、と、このところ考えている。
同調圧力の強いこの国で、ダイバーシティ&インクルージョンの重要性がそれぞれに腹落ちして、実現にむけて取り組める日は途方もなく遠い。。。
まずは自分が、開示し合って尊重する、の筋力を鍛えたい所存です。


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