太刀魚エミ

元現代アートギャラリー勤務。 対話型鑑賞の元祖、アメリカVisual Thinking…

太刀魚エミ

元現代アートギャラリー勤務。 対話型鑑賞の元祖、アメリカVisual Thinking Strategiesファシリテーター育成コース修了。 3歳の女の子と猫との暮らし。 Instagram:https://x.gd/7r9nZ

最近の記事

美しいものを集める人生

帰宅前、3歳娘と近所の公園に立ち寄る。今日も、走って、跳ねて、ふとしゃがんで、気まぐれに遊具に登って、何をするでもなくただ公園を満喫する。 ここへ来るたび、大きな木の根っこの上や、連なるブロックの上を、落っこちないようバランスを取ってそろそろ歩く。いつも娘がわたしに後ろへ並ぶよう指示して、たった二人の列をつくる。各々じぶんの足を見つめながら、ゆっくりと進む。娘は一歩踏み外すたび、「片足だったら落ちてもいいんだよ」と言う。 ということを風呂に入りながらぼんやり思い出し、ああ、

    • 日本人とダイバーシティ&インクルージョンは相性が悪い?

      「日本でもダイバーシティ&インクルージョンの推進が求められる。」 最近、知識人や経営陣、政治家なんかがよく口にするフレーズ。 ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)とは、厚生労働省によると これはホントに、めちゃくちゃ大事。心の底からそう思う。 しかし同時に、日本でこの概念を、広く一般に浸透させるのは並大抵のことではないと感じている。いま、個人的に考えていることを記録する。 日本でD&Iが語られる文脈新聞やテレビ、SNSなどでダイバーシティ&インクルージョンの必要

      • ホックニー『はじめての絵画の歴史』

        子どもがいつか読むかな、とデイヴィッド・ホックニー展で購入しておいた絵本『はじめての絵画の歴史』。大人にこそ、十二分に読み応えがあった。 絵をつくること、みることは、人間の習性「絵」ときくと、美術館にかけられた作品を想像しがち。でもホックニーは、「絵」を「言葉」と同じくらい身近なものととらえて、わたしたちの日常にぐっと引き寄せてくれる。「絵」は人が生み出す平面をさし、PCやスマホ、雑誌、新聞、本など、身の回りに溢れている。絵画もその延長線上にあるのだ。 彼は、作家がひとつ

        • 「ドリー・ベルを覚えているかい?」

          ひさびさのクストリッツァ作品に胸躍らせ映画館へ。 初めて観る、監督の長編デビュー作「ドリー・ベルを覚えているかい?」 ジプシー音楽にシュールなショットの連続。 これこれ!のっけからクストリッツァ感満載でうれしい。 終始テンポよく、ユーモアが漂っていて、つらくても淡々と生きる人間の強さにグッときた。 人には信じるものとユーモアが必要、むしろそれだけでいい。生きる知恵としてのユーモアを見せつけられて、ああ、わたしもこうありたいのだ、と目が覚めた。 映画館を出ると、世界がすこ

        美しいものを集める人生

          池田剛介「絵画を辿る 20世紀美術の描線分析」 絵画を「みる」を深掘りするWEB連載

          アート鑑賞について考えをめぐらせる日々。 作品解説みたいな知識提供じゃなくて、もっと根本的に、みる行為そのものを深める方法を模索している。 そんなとき、グッとくる文章に出会った。 美術作家・批評家の池田剛介さんがフィルムアート社のウェブマガジン「かみのたね」(美しいサイト名!)に寄稿連載している、『絵画を辿る 20世紀の描線分析』。抱き続けていた違和感を、すでに序文で明確に問題提起してくれている。 わたしたちには、よくわからないことに耐える力がない。わたしが芸術がその抜け

          池田剛介「絵画を辿る 20世紀美術の描線分析」 絵画を「みる」を深掘りするWEB連載

          3歳児の眼を、耳を、借りる日々

          子どもと遊ぶリビング。小さな音でオスカー・ピーターソンをかけ流していた。「ラッパがうたってるね。」粘土をこねる子どもが言った。耳をすますと、トランペットとのセッションだった。 ラッパが歌ってる。トランペットのソロを人間のボーカルと同じふうに受け取るのだな、と意表を突かれた。人によっては当たり前の受け取りかたなのかもしれない。けれどわたしは童謡〜J-POPという日本の一般家庭によくある流れで音楽に触れていたせいか、若い頃はボーカルのない音楽はつまらないと思い込んでいた。3歳に

          3歳児の眼を、耳を、借りる日々

          アートは実物を見なければ意味がないという幻想

          ことのところ美術館になかなか行けない。インターネットの画像や本で作品を見て、考えをめぐらせている。 アートは実物を見なくちゃね! かつてはわたしもこう考えていた。確かに、見られるならそれに越したことはない。でも時間的または地理的な制約で美術館に足を運ぶことができない人も多数いるなかで、実物を見なければ意味がないと言ってしまったら、「芸術のちからってそんなもんか」と思わざるを得ない。現物じゃないと無意味、これってもしかしてアートを見くびる考えかたなんじゃないか。 インスタレ

          アートは実物を見なければ意味がないという幻想

          いま絵画にできる、最大限。中園孔ニ「ソウルメイト」

          中園孔ニ展をみるため、丸亀の猪熊源一郎美術館へ行ってきた。素晴らしい展示だった。雑感の記録。 ひとりの作家とは思えない多彩な表現、そのうえでの中園らしさ 中園さんは25歳の若さで逝去されるまで、およそ9 年間という短い制作期間で、約600ものキャンバス類の絵画作品を生み出している。めちゃくちゃ多作。 しかも表現が多彩なのだ。絵の具を厚く盛っているのもあれば、薄塗り、擦れているような表現もあり、しかもそれらがひとつの画面上で混在していることが多い。面で画面構成したり、線の表

          いま絵画にできる、最大限。中園孔ニ「ソウルメイト」

          経験による発見、またはトマト記念日

          「いたいよう・・・」 冷やし中華を食べていた娘2歳が、右手の親指を見せてきた。爪のまわりが逆剥けのようになって、赤く腫れている。 つかんでいたトマトを皿にもどしこう言う。 「トマトをたべるといたいんだよ」 たしかにトマトは傷口にしみる部類の食べものだ。他の食材ではなくトマトが傷を痛める原因であることを、2歳でも知っていることに感心した。これまでも何度かトマトで痛い目をみたのだろうか。それとも今日、キュウリでもなく卵焼きでもなくトマトをつかんだとき特に痛いことに気づいたの

          経験による発見、またはトマト記念日

          宮﨑さん、ありがとう。「君たちはどう生きるか」

          初見で大衝撃を受けて以来、ふとした時に「君たちはどう生きるか・・・?」と自らに問うて過ごしている。 2度目の鑑賞を終えて、感想を書くことに決めた。観終えたときの「宮﨑さん、ありがとう(涙)」というはかりしれない感謝の気持ちと、彼が突きつけてくれた「君たちはどう生きるか?」という命題を覚えておきたい。*ネタバレありです 頼れるのは、自分の頭と身体。 序盤から長らく、主人公眞人の表情には生気が無い。それが一転するのが眞人が弓矢を作るシーン。画面のスピード感も音楽も急に変わる

          宮﨑さん、ありがとう。「君たちはどう生きるか」

          アートギャラリー入りづらい、を乗り越える

          アートギャラリーってなんか怖い・・・と思っていた。 現代アート業界に勤めていたが、働き始めてからもしばらくは入りづらかった。洗練された門構え、目を合わせないスタッフ、広い空間にゆったりと展示された難解な作品たち。どう考えても入りづらい。 しかしアートを見たい知りたい人にとって、ギャラリーはオアシス。今をときめく作家たちの最新作を無料で拝見できるのだ。ぜひ苦手意識を拭い去り、気楽に訪れたい。わたしの思うアートギャラリーの楽しみかたを書きしるす。 アートギャラリーって?

          アートギャラリー入りづらい、を乗り越える

          30代後半の習慣

          これまで「習慣化しよう!」と心に決めて取り組んだことは数知れず。日々のルーティン、勉強、エクササイズ。山ほど挫折した中で今も続いているものは、自分に合っていて、本当に必要に感じているものなのだろう。整理すると今の自分の状況が多少わかるかも、ということで書き出す。 【朝】 ・ベッド脇で待っている猫を撫で回す。猫の先導に従い家の中を散歩する。 ・すぐ洗顔。1日の初動がグンと速くなる。 ・ぬるま湯を飲む。胃弱のため毎朝胃がモヤモヤするが、お湯を飲むとスッキリ。 ・年中、保温ポット

          30代後半の習慣

          アートを知らない私が美術館でしていたこと

          アートと関わりのない環境で育ったけれど、学生時代から美術館が好きだった。というか美術館に通う自分が好きだった。文化に興味があることをカッコイイと思っていて、自分もそうありたかった。 美術館に行く自分カッコイイという理由だけで美術作品と対面する日々を経て、私の芸術への興味は増し、のちに現代アート業界に転職することとなった。転職してからは、自分がいかにちゃんと作品をみていないか、無知であるかを思い知らされた。でもそこから学べば学ぶほど、美術鑑賞は豊かになった。 しかし学生時代

          アートを知らない私が美術館でしていたこと

          対話型鑑賞のことー じっと、見続ける

          最後に「しばらくじっと見た」のは、いつか。 私は何かをじっと見るのが苦手。せっかちで、いつも時間がなく、情報収集の強迫観念から隙あらば文字や映像を目で追っている。何かをしばらく眺めるなどご無沙汰だった。 対話型鑑賞を始めて、静止してる対象もじっと見られるようになった。 対話型鑑賞は1990年にニューヨーク近代美術館で開発された教育プログラム「VTS(Visual Thinking Strategies)」の和名。その名の通り対話しながら作品をみる。 話しながら作品をみ

          対話型鑑賞のことー じっと、見続ける

          「となりの雑談」自分を知るためのワークを行う①

          絶大な信頼を置いているPodcast番組、ジェーン・スーと桜林直子「となりの雑談」で紹介してくれていた、自分 x 仕事を知るためのワーク。やってみました。 以下の項目を、思いつくだけ書き出す。 ①自分の感情を知るー好きなこと、上がること。嫌なこと。 ②自分の性格、性質を知るー自覚していること、人から言われること。 ③できること、できないことを知るー「靴紐結べる」レベルの小さなことから ④生活を知るーお金と時間の使い方 2時間ほどかけて、とりあえず書き出す。 筆が進まない項

          「となりの雑談」自分を知るためのワークを行う①