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味付けされた情報と生きる

近頃、テレビを見るのが怖い。

いつからかと言えば、昨年、好きなアイドルグループがメンバーを1人失った、その辺りから。

テレビでは連日、彼がコロナ禍で女遊びしてたとか、常々プロ意識が薄い行動をしてたとか、長年見ていたファンからすればジョークにもならないような、彼のイメージとはかけ離れた報道が垂れ流されていた。

彼が退所直後に開いた記者会見も、テレビでは、ワイドショーで料理しやすいところをかいつまんで放送された。

元暴走族の噺家は「こんな奴はぶん殴ってやりたいですよ!」と笑っていた。
元アイドルのコメンテーターは「こんな奴許せない!」と怒鳴った。

好きなアイドルが毎日公開処刑されるワイドショーを見るのが辛かった。

一方で、個人では最大限予防に努めている新型コロナウイルスについて、確かに予防法だとか症状だとかの有益な情報も流されるけれど、殆どはそれに付随した「この対応は誰が悪い」「このクラスターは誰の責任」なんて不毛な犯人探しに時間が費やされ、正義を理由に誰かを締め付ける流れは加速。誰かを純粋に救う情報には、ほとんど出会えくなった。


とかく現代は、情報を受信せねば生きてはいけない。

コロナウイルスについては、政府の対応や治療方法など、日夜新しい動きがあるし、地震大国日本においては、災害に関する情報の不足や誤受信は、時に命の危機を招く。

しかし、その受信する情報は、決して濁りのない純粋なものなどではない。

芸能人のスキャンダルも、命に関わる話題も、メディアという媒体を通せば、ある程度の味付けがなされてしまう。

いや、時にそれは「味付け」というレベルを超えた「偽装」に近い加工すらなされてしまう現状がある。

特に芸能人のスキャンダルなんて、それが事実だろうが嘘だろうが、享受した人間に直接に害が及ぶわけではない。
そんなことよりも、大衆は「オイしいネタ」が食べたいのだ。
それが世界の遠いどこかで誰かを追い詰めて傷付けようが、そんなことよりも、口に美味しければ、そのひととき楽しめたならば、それでいいのだ。

昨年それを身を以て知った私は、「情報」というものに人一倍慎重に過ごしていた。

…と、思っていた。


先日、森喜朗氏の失言が話題になった。

スピーチの中で「女性が会議に参加すると話が長くなる」「わきまえない女性が多い」等の発言が女性蔑視に当たるとされ、さらに「どんなことがあっても五輪を開催する」という発言は、新型コロナウイルスの流行の状況を考慮しない自分勝手な印象を与えた。

私はそのニュースに「あぁ、森さんまたやっちゃったかぁ…」としか思わなかった。

というのも、かつて総理大臣を務めていた森氏の当時の辞任の理由も、失言だったからだ。

私は当時も今も政治に明るくはないが、森氏の発言が芋づる式に問題になり、今回のように各所から責められ、辞任に至ったと記憶している。

だから今回のニュースも、まんまと「やっぱり」というニュアンスで受け取ってしまった。

まんまと、だ。


忘れられない番組がある。

「香取慎吾2000年1月31日」という、モキュメンタリー番組だ。
1999年の年末頃に、「SMAP×SMAP」の特別編として放送された。

番組スタートと同時に、SMAPのメンバー香取慎吾が、女子高生を人質に山奥の別荘に立てこもったという臨時報道番組が始まる。

ワイドショー然としたスタジオでは、コメンテーターたちが「普段の香取容疑者」についての意見交換を行う。
香取容疑者の行動には、女子高生をストーカーし誘拐する凶暴性が、日頃から見え隠れしていたのではないか―。

番組はそこから、その女子高生がストーカー被害を訴えるインタビューや、香取容疑者の凶暴性が伺えるメディアでの発言を特集して放送。

その後、テレゴング方式で「警察は香取容疑者の立てこもり現場に、強行突入すべきか否か」というアンケートがスタートする。

…が、ここで急に番組のテイストが変わる。

番組の後半に語られるのは「真実」。

実際ストーカー行為を行っていたのは女子高生側で、より香取氏の意識を自分に向けるために「被害者」としてインタビューを受けるなどしていたのだ。

番組で切り取られた香取氏の「凶暴性が見える発言」は、その発言のあとに「…なんちゃって」が付いた、完全なおふざけ発言だった。

そして、女子高生に呼び出されて向かった山奥の別荘で、女子高生の狂言の通報により、立てこもり事件として騒ぎが起きた―。

ここで、「真実」が伝えられる前に取られたテレゴングの結果が伝えられる。

「強行突入すべき」。

臨時報道番組に戻ったテレビには、警察が別荘に突入する映像が映され、その物々しい映像とともに、アナウンサーが「香取慎吾容疑者の死亡が確認されました」と伝える―。


森氏の失言が話題になったあと、ネットではにわかに「スピーチ全文を見ると、発言のニュアンスが全く異なる」という意見が広がった。

スピーチの全文を読んで、愕然とした。

失言とされた言葉は、別人の発言の引用や、前後の発言を受ければニュアンスの変わる言葉ばかりだった。

あの日ドラマで見た「…なんちゃって」の切り取りのような、そんな初歩的な味付けに、まんまと騙されていたのだ。


2021年。

昨年、同じ事務所の先輩が20年前にドラマで訴えた、それと同じ手法で編み上げられた報道に、たくさんの視聴者が「突入すべき」に投票するが如くネットを炎上させ、1人のアイドルを言葉で銃殺する光景を見た。

そして今年、似たような手法に今度はまんまと騙されて、「森氏は退任すべき」に票を投じた自分がいた。


近頃、テレビを見るのが怖い。

テレビはいつも、素材の味などぶち壊した味付けで、芳ばしい匂いを鼻先に突き付けてくる。

気を抜いていたら、まんまと口に運んでしまう。
美味しく噛み砕いて飲み込んだ向こう側で、誰かの人生が崩れ落ちる。

だからこそ、テレビに限らず情報が飛び交う現代においては、あらゆる視点からの意見に触れ、その情報の真偽を、自分で慎重に判断しなければならないと思う。

ただし、それはとても難しい。

飛び交う中には、嘘や誇張された情報も否応なく混ざるからだ。

どこかの誰かの利権争いに利用するために、世論を引っかき回す情報が、絶えず降り注いでくる。


私は、常に冷静に情報を吟味し、何かに流されることなく自分の意見を持とう―と、満足そうに伝えられる森氏の退任のニュースを見ながら、もう一度、強く心に誓った。

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