練習は楽しい!
「今日も練習かー」「休みにならないかなー」「やれって言われるしやらなあかんよなー」「お腹痛いことにしようかなー」
部活動でも、習い事でも、なんでもそうですが、こういうネガティブな気持ちで練習すること、なかったですか?
僕はありました。
まあまあ、ありました。
ごめんなさい、しょっちゅうでした。
きっと最初は楽しみだったはずなんです。
長男は、スイミングとピアノを習っていますが、毎回の練習をそれはそれは楽しそうにやっています。
僕自身のことを振り返ってみても、最初はとっても楽しく練習していました。
なぜ練習が楽しくなくなるのか?
そもそも、練習とは何か?
練習とは、やらなくてはいけないタスクでもないし、ノルマでもない。
練習は、自分を向上させるためのものだったはずです。
自分を向上させることは、人間にとって快です。
練習とは本来、楽しいもののはずだったのです。
「最初は楽しかった」というのは、最初は向上が目に見えてわかるからです。
これができるようになった!というのが見えやすいから、練習=向上と捉えられます。
向上しているという実感こそが、楽しさの源泉だったのです。
自分のレベルが上がってくれば、向上はとらえにくくなります。
どこが良くなっているのか。何ができるようになったのか。
自分で明確に捉えることが難しくなってきます。
そうなった時、「練習楽しくないなー」って感じることがあるのではないかと思います。
冒頭に述べたような、ネガティブな感情。
そのままでは、ただやらされている、やらねばならないものとして練習をとらえてしまいます。
そうなれば、練習は向上ではなく、ただの作業になります。
同じことをただ繰り返す。
やらなければならないからやる。
これで向上していくわけがないのです。
向上が感じられない→練習に対してネガティブになる→向上が感じられない→・・・というループにはまってしまうと、なかなか抜け出すことは難しくなります。
練習は「練」と「習」にわけて考える
練習を分解してみると、練と習になります。
「練」は練る。
新たなことを身につける。身につけたものをより良いものにする。
例えば、クロールを身につける。よりスムーズにクロールを泳げるようにする。
「習」は習慣化。
身につけたことを無意識にできるようにする。考えなくても意識しなくてもできるようにする。
自分のやっている練習が、練なのか習なのか、まずはそこに自覚的になることが大切です。つまり、何のためにいまそれをしているのかということ。
何の能力を向上させようとしていて、どんな内容で練習をするのか。それを指導者も、指導される側も双方が共通理解し、目的を持って練習に臨めば、向上しているという実感を持ちやすくなるのです。
漠然と練習するから向上が感じられないのです。
今日はこれ、という目的があれば、大きさの違いこそあれ、その日の向上は必ず感じられます。
練習を楽しい!と感じて積んでいけば、より向上していきます。
そこには無理がなく、自然だからです。
練習を楽しくするには、向上しているという実感が常にあるような練習をすればいいのです。
宿題は向上になっているか?
僕の仕事は小学校の先生です。
子供達がやりたいことをやれるように、向上していけるようにするのが仕事です。
ここまでの話は、教室でも全く同じだと思います。
向上しているという実感がないままに何かをさせるのは、ただの作業を強いているだけです。
宿題をすることで、向上しているという実感はあるでしょうか。
宿題を練習だとするならば、学校で出されている宿題は、「習」が多い。
とにかく繰り返しやる。反復させる。
悪いことではないし、必要なことではあると思う。
だが、そこに学習者の思いがないことが問題なのです。
向上しているという実感のない練習は、いずれ作業へと落ちてしまいます。
子供達が反復が必要だと感じ、自分で選んでやっているのならば、何の問題もありません。
しかし、多くの宿題は、決められたことを決められた量やらねばならない作業になっているのが現状ではないかと思います。
ではどうするのか?
現状、僕の答えはこちらに書いてあります。
「けテぶれ」を取り入れた時、本来1番楽しいのは「れ=練習」のはずなのです。
しかし、そこが「面倒くさい」とか、「大変だ」という子供が多いのです。
それは、これまでしてきた練習が、やらされるだけの練習だったからではないでしょうか。
練習=向上ではなく、練習=作業になっていたからではないでしょうか。
何かをやらせることができる先生だからこそ、何をやらせるか、どうやらせるかには徹底的にこだわり、日々省みていく必要があると思います。
あなたがさせている練習は、向上になっていますか?
それでは。
Good Luck!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?