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火曜日、昼12時、銀座の真ん中で全裸の僕。 短い短いロングバケーション。

所用があって、銀座まで。有給取って、電車に揺られ。
街を歩くと、本当にBARばかり。銀座で石を投げればBARに当たる、と言ったのは誰だったか。
今日はとにかく暑い(7/4)。指定された時間までは、まだ十分に時間がある。
もちろん、こんな時は、サウナだ。

選んだのは、コリドーの湯。

ビルの4階にある。
エレベーターを降りると、そこが銀座の真ん中であることを、ふと忘れてしまうほどの静寂に満ちたエントランスが待っている。
江戸紫の暖簾をくぐると、バリアフリーでそのまま畳へと続く下駄箱。驚くほど、静かだ。

静かな下駄箱。この建屋、BGMが一切ない。

受付では、下駄箱の鍵を預け、利用時間を告げるだけ。大小のタオルを受け取り、浴室へ。1時間で1800円也。強気の料金設定。

館内はどこも掃除が行き届いていて、清潔そのもの。

男湯の暖簾をくぐると、なんともいえない奇妙な感覚に包まれた。ここにも、誰もいないのだ。平日の昼から、しかもこんな暑い日に、銀座の真ん中で風呂やサウナに入る奴も、まあ少数派だろう、それはわかる。でも、それにしても。
普段は着ることのない、少しだけフォーマルな衣服を脱ぎ、浴室の重いスライドドアを開けると、そこもまた、シンと静まり返っていた。客は、なんと、僕1人だ。
普通であれば、シャワーから出る水が跳ねる音、椅子や桶が床や壁とぶつかる甲高い音、常連さんの話し声など、銭湯お決まりの音が、浴室の特別な音響によってこだましているはずだ。しかし、何も聞こえない。まるで、僕以外がこの世界から一瞬にして消え去ってしまったかの様に。あるのは、サウンドオブサイレンス。

白いタイル貼りの浴槽は、プールサイドを連想させる。

浴室は、白のタイル貼り。取りこまれた自然光と、優しい青のライティング。そのせいか、浴槽がプールに見える。誰もいないその不思議な空間に、僕は用心深く踏み込んだ。
シャワーで、夏の午前中の汗を流す。ハーブの香りに満ちたボディソープで、全身を清める。シャワーを止めると、当たり前の様に、また、静寂が戻って来る。

ほんの少しの期待を込めて、僕はサウナ室の扉を引いた。誰か、いて欲しい。この世界に、僕1人だけを残すのは、やめてくれ。しかし、その期待はすぐに、打ち砕かれる。仄暗いサウナの中、目を凝らしても、やはり、誰もいなかった。僕は諦めのため息をつきながら、ストーブの真ん前、特等席に座った。
唯一、救いがあるのは、サウナ室は無音の空間ではなかったことだ。
テレビもない、BGMもない。唯一あるのは、ストーブに高く積まれたサウナストーンに、滴る水が弾ける様に気化する音。室内は、85℃の設定。湿度が高く、体感温度はそれを遥かに超える。深呼吸を数回しただけで、汗が一気に吹き出して来る。上下2段の座椅子、多くて10人程度が入れるキャパ。ライトは、足元だけ。
ここが本当に銀座なのか、そんな疑問に、再び少しの不安と共に包まれる。受付に1人だけいた女性も、実はアンドロイドで(若くて清潔感のある女性だった)、今日が火曜日というのも嘘で、何なら、夏というのも嘘で、この世に僕しか存在しない。ここは日本でもなくて、そもそも、これは現実世界でもない。そんな、取り止めのない妄想を、吹き出した汗と一緒にタオルで拭った。このサウナ室の特徴は、温度の波のなさだ。オートロウリュを備えたサウナ室は、たいてい、一定の時間になると、水がストーンにかかり、一気に湿度が上がる。当然、体感温度もそれに比例して上昇する。しかし、ここは違う。サウナストーンには、絶えず水が滴り落ちている。一滴一滴。湿度の急上昇がなく、体にも熱が染み渡る感覚。熱の密度が安定している。その様は、僕にハンドドリップのコーヒーを連想させた。一滴づつ丁寧にお湯を注ぐ、独特な抽出方法。思わず、鼻から大きく息を吸い込んだ。

サウナから出て、真上から撃たれるシャワーで汗を流し、水風呂に浸かる。18℃と少し高めの設定。流れ込みも、バイブラもない。水風呂も、静かだ。この静けさが、体から熱を冷ます。もちろん、静かに。
先ほど感じた、浴室全体がプールの様だという印象は、湯船に浸かり、ゆっくりと揺れる調光を見上げて、さらに強い確信に変わった。何かに似ている。直感的に思い出したのは、1枚のレコードジャケット。40年前にリリースされた名盤、大瀧詠一『ロングバケーション』

外気浴スペースは、僕をほっとさせた。自然光が差す中、銀座の雑踏がそこには存在していたからだ。地上4階、この町ではこの高さがグランドレベル。電車の通り過ぎる音や、車のエンジン音。しかし、不思議と、人の話し声だけは聞こえてこない。ゆっくりとした呼吸を取り戻すと、頭の中がクリアになっていく。床以外を、白い目貼りで覆われたスペースに設置された椅子は6脚。浴室だけでなく、ここも完璧に清潔だ。全裸、夏の外気浴。

もう一度、サウナ室へ。扉を開けた僕を待っていたのは、少しの驚きと、安堵だった。その時の僕の顔は、きっとこの上なく間抜けだったに違いない。
先ほど僕が座っていたあたりに、他の客がいたのだ。僕は、彼を抱きしめたくなる衝動を必死に堪えながら、ゆっくりと、さっきとは別の場所に、あぐらをかいて座った。
客が1人増えても、やはり、静かだ。ハンドドリップの音だけが心地よく響いていた。

BARスペース。石を投げれば、ここにも。
休憩室は広く、置かれた書籍も美しいものばかり。
仮眠もできそうなチェア。

確かに、1時間で1800円は少し高すぎるか。しかし、こう考えてみてはどうだろう。
「1時間1800円で買える、銀座の特等席」
さて、雑踏に戻る時間だ。僕の短い短いロンバケが終わった。

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