見出し画像

振り返り、前を観る

余りにも遅すぎる2023年の記録。こんなに…… こんなに読んだかな…。確かに去年は今までの人生と比べて躊躇っていた事を沢山していたので、その分自分の寄る辺になる言葉を探していたと思う。

この上位3人以外にも、沢山の人の記事を読んだけれど、1番読んで救いになったのは、げんにびさんなのかな、やっぱり。彼を観ていると背筋がピンとするというか、襟を正さなければという気持ちになる。スマナサーラ長老が「Atthakkhāyī(先輩のような友)」という事を言っていたが、彼のような人を言うのだろう。仏道への意思がブレても、また戻って来よう、戻らなければと思わせてくれる。なんというか、一言でいえば敵わない。私が直接関わった事のある人の中で、智慧において彼より優れた人を知らない。


さて、最近の私はというと、人生初のアルバイトに応募して、人生初の履歴書を書き、人生初の面接を終わらせ、採用された。17日が研修日なので、今日は役所で転入届を提出してきた。

飲食店の接客なので長髪は悪かろうと、こちらも人生初の美容室に行った。散髪が嫌いすぎてもう半年近く行っていないのに、不思議とくすぐったくは無くてホッ。出先での書き物が多かったのだが、あまりにも自分の字が悪筆すぎる。おえー。職員さんよく読めたな。申し訳ない。

何もかもが初めてだったので、母とこんなやり取りをして、ようやく受かっている事に気づいた。

お仕事を探している時、パートナーさんに「4、50代のおば様しか居ない職場が良い」と言ったら「それはそれできついよ」と言われた。そうなのかなあ、個人的には父性との付き合い方を知らないので、母性的な人格の人の方がまだコミュケーションを取れる気がするのだが。

その後「和食屋とかの方が真面目だから気に入られそう」と言われた。悪くは無いかもしれない。やるなら接客が良いなと思っていた。品出しや厨房も考えたけれど、1番自分の働く姿が想像できたのが接客だったから。

実家にいた頃の劣等感は、稼ぎが無い事だった。家事もやるし、看病もするし、お金の管理もしていたので、家族コミュニティそのものには所属出来ていたが、結局家庭の1番大きな問題は金銭だったので、それに対して直接的に解決できるような事を何も出来ていない自分に対しての劣等感があった。

16になったら、頑張って外に出て働けたら良いなと思っていた。2年前の10月にケースワーカー等を通じて外との関わりが増えてきて、自分はこんなにも対人恐怖が強くなっていたんだと自覚した。大勢の人と2時間お喋りをして、帰ってくると疲れが酷い。人に認識されると身体が極端に緊張するらしく、帰路に着く頃には節々が痛み頭痛がする。

ゴミを出しに誰かと鉢合わせても、レジの会計でもソワソワするし、労働は、到底無理だとは思わなかったが、出来ることならやりたくなかった。憂鬱が意思に勝っていた。それからズルズルとああでもないこうでもないと自分への言い訳で伸ばし、気が付けば18に。

どのみちこの履歴書では、若さと時間に余裕があることぐらいしかメリットを提示できないだろうし、正直練習のような気分で行った。ある程度的を絞って応募して、ひとつふたつ受かれば、働き口さえ見つかればそれで良いと思った。

面接へ向かう最中、思わず泣きそうになったが、人前だったのでぐっと堪えた。思っていたよりもずっと良い結末で終えられて、帰り道で我慢しきれず泣いてしまった。悲しくてじゃないよ、感動して泣いていた。これまでの自分と、今の自分に。

去年の1年間全てが無ければ、今年も何ひとつとして変わらぬ日々を過ごしていたと思う。


面接の日の帰り、図書館に寄って、パートナーさんに頼まれた本を借りてきた。せっかく寄ったので、自分も一冊。家に着いて、昨日の晩に作った親子丼を食べた。味付けに失敗して薄くなってしまったが、胃には優しいだろう。

大峯顯師の本は初めて。昔流れてきた浄土真宗botのブックマークしたツイートで名前だけ知っていた。

本当は和讃を読むシリーズが読みたかった(無かった)

この4ヶ月の間、母との間で色々とあり、その間にパートナーさんとの関係の中で自己の問題に突き当たり、板挟みになって正直かなり苦しかった時期があったが、ようやく気に病むことなく前を向けそうだ。先ずは労働と瞑想だな。車の無い生活が思った以上に不便なので、免許も取りたい。

共同生活を行って、いかに自分が正しさに固執した競合的な尺度で物事を観ようとしているのかが分かった。人間は、自分が相手を裁いていることに気がついていないものなんだ。無意識的目標を意識するって、親しい人との日常会話でこれ程難しいことは無いな。

善い人になりたい。善い人を増やす為に。私がこれではダメなんだ。