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行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~

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行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~1日目

行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~1日目

1.若鮎

「北町奉行御名代、澤山清司郎忠直様、御出座~~~」 ひときわ冷えた冬の空に、北町奉行名代、澤山忠直付御祐筆頭である櫻井紋次郎の声が響き渡る。尾骨に響くほどに低く、よく伸びる櫻井の声に呼応するように、軽く、涼やかな衣擦れの音が屋外の白州に響いた。

「若鮎、頭をお下げなさい。若奉行のお許しがあるまで、上げちゃあいけやせんよ」

 岡っ引きのハチに促されるままに、若鮎と呼ばれた……赤い派手

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行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~2日目

行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~2日目

 許されて奉行所を出ると、門の前で姉のお雪が待っていた。

「タラちゃん」

 姉の姿を見つけた若鮎が、うれしそうにそう呼びかけた。だが、お雪は弟にむっとした顔を向ける。

 廻船問屋の主である貞吾郎は、十人の娘達に、それぞれ魚にちなんだ名前を付けた。長女はお堅(かた)。魚を付ければ、鰹。次女は鮃で、お平(ひら)。以下、ずっとこんな調子で、十女はお雪。つまりは、鱈。

 そして待望の長男が、「鮎吉

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行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~3日目

行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~3日目

 若鮎達が家に帰ると、出戻り姉達三人が、わらわらと若鮎の廻りにやってきて、人形のように可愛らしい弟を抱きしめた。

「アユちゃん。お奉行所に捕まったって、本当かい?」

「可哀想に、怖い思いをしたねえ」

「お部屋に、とびっきりの練切とお抹茶を用意しておいたから、ゆっくりお食べ」

 貞吾郎の十人の娘のうち、六人は嫁に出ているが、次女のヒラメ(お平・四十八)は三年前に夫と離婚し、七女のサメ(お交・

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行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~4日目

行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~4日目

 風呂をでて、淳之介は今度は、大広間に案内された。入った先で、淳之介は姉たちの熱烈な歓迎を受ける。

「汚いお武家様だと思ってたけど……」

「綺麗なお顔……」

「アユちゃんみたいに可愛いのも良いけど……好色一代男みたいに綺麗な顔立ちも、いいもんだねえ……」

 それぞれの夫と別れて幾年月。もう男などこりごりだと言っていた割には、男遊びを止めない姉達だったが、居酒屋で出会う男衆にも、歌舞伎の若衆

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行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~5日目

行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~5日目

2.タラちゃん

 増田屋に拾われてきて二日経ち、三日経ち……。淳之介はなによりも、お千代とお雪母子の働きっぷりに驚かされた。

 夕餉の時間がいやに早いと思ったがそれもそのはずで、まだお天道様が登り切らないうちに女将と若女将の仕事が始まる。

 今日出航する船と、港に着く予定の船を細かく確認しながら、船乗り達のためにおにぎりを握り、荷役の若者達や船の荷を待つ旦那方に茶を飲ませる。荷物が届いたらそ

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行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~6日目

行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~6日目

 若鮎が淳之介から「竹取物語」を与えられた翌日。

 父に客が来た。同じ廻船問屋の杉田屋で、ここ最近、よく父の元に訪れているのは、若鮎も知っている。

「何しに来たの。あのぬりかべ」

 ぬりかべの妖怪……のっぺりした扁平な顔立ちで、ぶっくりと太った豊かなお腹。それを指してぬりかべのようだと、若鮎は言う。

「他人様のこと、そういうふうに言わないの」

 お雪は若鮎をたしなめるが、うまい例えだとは

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行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~7日目(イラスト入り)

行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~7日目(イラスト入り)

「なに、泣いてんの? タラちゃん」

 庭の池の傍に座り込み、優雅に泳ぐ鯉を見つめるお雪に、淳之介が声をかけた。

「泣いてない」

 お雪は淳之介方を見ず、ただ、池を泳ぐ鯉を見つめる。

「夕餉の時刻なのにタラちゃんが来ないって、お千代さんが怒ってるけど」

「……あたし、今日は夕餉要らない」

 お雪が、かすかに涙をぬぐう仕草をしたのを、淳之介は見逃さなかった。

「ご飯は女中さんたちによそっ

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行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~8日目

行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~8日目

「そう、そういえば俺、まだお雪の鯖の味噌煮を食べてない」

「そういえばそうだね。寒鯖の季節だし、明日の朝餉に作ってあげるよ」

「ありがとう」と呟いてから、淳之介はお雪の手を取る。

「で、お雪が居てくれないと、俺は今日の晩飯で使う海苔の佃煮がどこにあるかすらわからないんだけど……大広間に一緒に来ない?」

 淳之介の言葉に、お雪が小さく首を振る。

「アユと喧嘩したの。また、男に戻れっていっち

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行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~9日目

行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~9日目

「へえ! あんたたち二人がねえ! いいじゃないか、いいじゃないか」

 早速、お雪の話を聞いて、お千代が満足げに大きく頷く。

「でも、十三日を過ぎて淳之介様が死んでなければ……だけど」

 少し恥ずかしげに俯いて、お雪は母にそう伝える。

「……女の魅力……を、あんたが使うのは無理だからねえ……」

 美人と名高い自分に少しも似たところのない、小柄で赤ら顔の猿のような顔立ちの夫を、小さく可愛くま

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行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~10日目

行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~10日目

 翌朝、まるまると太って美味しそうな鯖の味噌煮が膳の上に乗っているのを見て、貞吾郎が目を見開く。

「……これ……船頭さんにおだしする鯖じゃねえのかい」

「それはそれ。これはこれですよ、旦那様。船乗りの皆さんには、もっと美味しそうな焼き魚、ご用意してますから」

 お千代がにこにこと笑って、貞吾郎を座らせる。

「今日の朝餉はお雪が作ったんですよ。食べてやってくださいな。旦那様、お好きでしょう?

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行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~11日目

行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~11日目

 お雪から、淳之介が自分の許嫁になったと報告を受けて、若鮎が目を見開く。

「な、なんでそんなことになったのよ!! 淳之介様はあたしのだって言ったじゃない!!」

「だって。淳之介様、男の子に興味ないって言うんだもん」

 しれっとそう言ってのけるお雪に向かって、若鮎が「きい!」と声を上げて、手ぬぐいを噛む。

「あ、あと、あんたがこの増田屋を継ぐ気になったらね。淳之介様、増田屋を継がなきゃいけな

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行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~12日目

行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~12日目

 お雪の許嫁と決まってからの、淳之介の朝は早い。というよりは、貞吾郎の朝が早すぎた。

 お天道様も登り切らないうちに淳之介に与えられた部屋に現れて、たたき起こす。冬の寒いのはキライだというのに、寝間着をひんむいて庭先に放り出し、乾いた布で身体をこすらせる。

「こういうのは、健康になる根拠なんてどこにもないんですよ! 今、寒すぎて死にそうだ!!」

 そんなことを言って怒る淳之介に、「お前、ほっ

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行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~13日目

行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~13日目

3.通夜 お雪がもう十年ほど抱え続けてきた言いようのない不安は、「貞吾郎の死」という最悪の形で、的中した。

「タラちゃん、どうしよう……」

 本来なら、遺族代表として葬儀を切り盛りしなければならない次女のヒラメが、お雪にしがみついて泣き崩れる。サメもアジも、そんな姉にすがって泣き崩れるだけ。嫁に出た姉たちは、父の死は哀しむものの、お客様然として誰も葬儀の手配を手伝おうとするものはいない。

 

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行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~14日目

行列の出来る北町のお奉行所~ようかん~14日目

 通夜が終わって、寝ずの番を買って出た淳之介を貞吾郎が眠る広間に残し、家族がお千代の部屋に集まる。

「やだよ」

 お千代の話を聞いて、お雪が大きく首を振る。

「なんでそんなわがまま言うの。勇太郎さん、ものすごくかっこいいんだから」

 次女のヒラメがお雪を諭す。

「勇太郎さんがあたしたちの義弟で……一つ屋根の下……」

 ウットリとした目で、サメとアジが勇太郎に思いを馳せる。

「素敵じゃ

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