テクノロジーとテクニックと
こちらの記事にコメントをいただいて、AIとは直接関係ないんだけど、思い出したというか、思いついたことがあったので、そのことを書きたい。
印画紙大切断と血まみれの左手
かなり昔の話なんだけど、僕がMacでDTPをすることに憧れ始めた頃は、まだまだアナログな部分が多々ありまして、デザインをMacで作っても、版下として持ち込む際はデータではなくて、イメージセッターから印画紙にデータを出力してものを、スチレンボードに工作みたいにペタペタと糊付けして、それに汚れよけのトレーシングペーパーを上からかけて、それを手で持ち込むという感じで入稿が行われていたんだよね。
まあ、当時はイメージセッターからフィルムに直接出力して、それを刷版に転写して印刷する場合もあったんだろうけど、僕がいた制作会社には、出力できるサイズがA3ノビまでしかなかったので、それ以上のサイズの入稿となると、従来通りの手作業が必要になっていたわけだ。
僕は不器用で、この版下作りが本当に苦手だった。
金属製の一メートル定規とカッターナイフの組み合わせは、使い方を間違えるとなかなか危険で、急いで印画紙を切ろうとして左手をザックリとやってしまうことが多々あって、そうなると作業はやり直しだし、手は痛いし、こういう時に限って血は止まらないし、本当に惨憺たる状況に陥ることが多々あった。
今はもう、おそらくダイレクトに刷版に出力できる環境が整っているだろうから、こうした苦労は全く不要で、僕の流した血や印画紙に染みついた赤い染みは、今は誰にも不要になっているだろう。
本当に素晴らしい進化だと思う。
印刷界隈の劇的な変化
前段の内容がわかりにくい&長えってクレームはあえて受け入れるとして、何が言いたいかというと、僕がDTP関連で飯を食ってた、およそ10年くらいの間に、知らないうちに印刷業界も色々な技術革新があって、やらなくても良いことがとても増えたわけです。
さらに十年ほどたった今なら、印刷に関する知識がほぼなくても、チラシレベルのものならパワポを使って作れますし、頑張れば家庭用のプリンターで手配りくらいのニーズには対応できるでしょう。
かつては電卓で図版の拡大率を計算して、デザインに使うポジのスリーブに付箋でナンバーをふって、トレペの上に指示を書いたりして、コンピューターの無い頃は、そうやって印刷物をデザインしていました。
デザインから印刷物の刷り上がりまでに、今よりはるかに多くの人たちが関わり、今より長い時間をかけて作られていたんです。
でも今は、パソコンとソフトさえあれば、サクッとデザインデータを作ってPDFを印刷会社に送れば、最短だと二日くらいで印刷物が手元に届きます。
時間と手間がかからなくなった分、携わる人も劇的に減り、コストも格段に安くなりました。
誰でも簡単にチラシを作れますから、ひょっとするとデザイナーなんかはいなくなったのではないかと思う人もいるでしょう。
でも、安心してください。
未だに紙媒体のデザインを専門でしているデザイナーはいますし、何ならその価値を再評価されてきてもいます。
誰もがチラシを作れても、クライアントが期待した効果が得られたり、クライアントの満足できるものが出来るかというと、それはまた別の話なんです。
かなり長い前置きで申し訳ない
ここから話が変わって、AIの抱える問題だとについて考えてみたい。
今の時点では、例えば倫理的な面や感情的な面において、特に画像生成AIは様々な問題を抱えている。
前で紹介した「描いた/描かない」程度の話は些細な問題で、画風をコピーされて意図しない新作を作られた絵師さんが出てくるかもしれないし、そこから生じた利益が見ず知らずの第三者に渡るとなると、元の画風を確立した絵師さんからすれば、ハラワタが煮えくりかえることだろう。
ディープフェイク的な問題なんかも出てくるし、他にも僕が思い付かないような問題が、見えないところで山積しているのかもしれない。
だからAIは厄介者なのか?
そう判断するのは、あまりにも一面的ではないだろうか。
時代がテクニックを求めなくなる
よく「AIの進化によって、様々な仕事が失われる」なんてことをいう人がいるんだけど、では「AIではなくて時代の変化で失われた仕事がなかったか?」と聞かれたら、あったと答える人が大半だろう。
AI以前にITの普及で、どれだけの仕事がなくなったかを考えてみて欲しい。
例えば、昔は「タイピスト」なんて職業があったが、タイプライターを骨董屋くらいでしか見かけなくなった今では、そんな職業はとうの昔になくなってしまった。
ついでにワープロを操作する人も、昔は職業として認知されていたけれど、ワープロがソフトとしてパソコン上で動くものになってからは、それもなくなってしまった。
AIに限らず、時代の移り変わりで、仕事ができたり消えたり、変化するのは当たり前のことなのだ。
心配しなくても、加齢によってできない仕事もできてくるから、怖がることなど何もない(自分で書いてて心が痛むなぁ)。
むしろ、AIという相棒と、どのように付き合っていくかを楽しく考えられた方が、これからは幸せなのかもしれない。
まあAIは道具なので、悪用する輩も当然いることだろうけど、便利な動画だからこそ、便利に楽しく使いたい。
そのためには、AIがらもっと進化して、今よりも完成度の高い成果物を作成できるようになるといいなと、個人的には思うんだよね。
もしよろしければ、僕にマシュマロ投げてみませんか?
あと、もしお財布に余裕がありましたら、投げ銭してくださるとありがたいです!
ここから先は
¥ 100
ミニ◯ンビ! おこづかいほしいのねん!! (「よろしければご支援願います」の意)