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食い物と多様性

僕らの食べてるものには多様性がない

前回の投稿で昆虫食の話を少しだけ書いたのですが、様々な場所で多様性の尊重が叫ばれる昨今において、食の周辺だけは多様性がそれほど尊重されていないように思えるのですよ。

食の欧米化によって、限られた食糧資源にニーズが集中していて、材料費が高騰し続けている中にあっても、誰もが同じ食生活を続けていて、新しい食糧資源には拒否反応を示して受け入れることなく「最近値段が上がったよね」「量が少なくなったねぇ」と不満を漏らしつつ口にする、みたいな。

マスコミは情報番組とやらで、話題のメニューや流行りの商品を楽しげに紹介はしますが、これまで食べられてきた貴重な食糧資源について啓蒙するようなことはしないでしょうから、そうした食べ物の存在を知る人は少ないでしょうし、マーケットの方も誰もに売れそうなポピュラーな食品を、大量に商品棚に並べて手に取ってもらうことで利益を得ていますから、珍しい食べ物を目にすることも、手に入れることも、とても少ないでしょう。

誰にも責任がある

食に関するドキュメンタリーをいくつか観て、以前から疑問に思っているのですが、業界は大量に生産して大量に消費させることで、お金を循環させて存続できています。

このシステムからこぼれ落ちたローカルな食べ物や食習慣は、どんどん消えていってしまうでしょう。

そして、エシカルやらエコロジカルやらのお題目を好んで唱える人が尊重している多様性とやらが一切ない食卓が維持されているわけです。

きつい書き方で申し訳ないのですが、このことに対しては都会に住む人なら誰もが罪を有していると思うんです。

大いなる茶番

話は変わりますけど、今朝というか、遅く起きたので昼近くの話ですが、遅めの朝食にハンバーガーを食べたんですよね。

ハンバーガーって、普遍的で大量消費の代表的な食べ物だと思うんですけど、そうしたハンバーガーのチェーン店が「SDGsがどうのこうの」って話を自社のWebサイトの中で書いているのを知って、何かのコントみたいに思えてしまったわけです。

環境負荷の高い畜産を超大規模で行って、そこから生産された畜肉に様々な加工をしてパティを作り、様々な農作物をこれもまた超大規模で生産してバンズに使う小麦やポテトに使うじゃがいも、ハンバーガーに挟むレタスやピクルス(ハンバーガーならきゅうりかな?〉を作るんですから、サスティナブルとは対極の存在だと思うんですが……。

極端な意見だと重々承知していますが、あえて書くとするなら、こうしたファストフードも含めた環境負荷の高い産業の規模を段階的に縮小していかないと、いつか僕らの食べるものはどんどん無くなっていくのかもしれません。

でも、やめられないんですよね、ハンバーガーを食べることを。

何故なら、その消費を扇動しようとマスコミが謳い、マーケットも消費させようとガンガン供給しますからね。

そして、その陰では細々と食べられていたものが無くなっていくのです。

多様性って何だろう?

そういえば、韓国では犬を食べることが本格的にできなくなりそうですが、牛は食べても許されるのに、犬は食べることが許されないというのは、個人的には奇妙な話に思えます。

まあ、感情的には難しいのでしょうが、犬を食べていた人たちが、多様性の蚊帳の外に置かれてしまうのは、とても不思議に思えます。

多様性って何でしょうね?

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