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死んでしまえば全ていい思い出

元義理の父親が亡くなった。

お通夜と告別式に参加して。
元義理の父親との間にあった出来事を思い出していた。

ハラワタの煮えくり返る思い出が沢山あった。
でも今は、それに腹を立てる事が出来ない。むしろ懐かしく、笑い話に姿を変えていくのかなって予感がしてる。

子供達が小さかった頃。
私の母親が、子供達だけ実家に泊りにおいでと招いてくれた。
1泊のつもりが子供達がとても楽しそうだから母親がもう1泊させるね、と言ってきた。

私は嬉しくなり、ありがとう!よろしくね!と伝えそれを夫や義理の父親に告げた。
すると義理の父親が猛反対した。
1泊で戻らせなさいって。
ワケわかんなかった。え、だって子供達望んでるよって。
義理の父親は、私の実家に焼きもちを焼いたのだ。
義理の父親と言い合いになった。私が無理やりもう1泊させますから、と言った。
すると義理の父親は子供達が帰ってくるまでご飯を食べないって
ハンガーストライキを始めた!
テコでも食べようとしない父親にうんざりし、夜遅くに子供達をお迎えに行った…。
お迎えに行く間、私は悔しくて悔しくてたまらなかった。
子供達は楽しんでいるのに!
自分の焼きもちで人を動かすなんて!

とまあこんなエピソードが他にもゴロゴロある。
その後私は同居を解消して父親とも少しずつ疎遠になっていくわけなんだけれど

イヤな思いを沢山与えてくれた元義理の父親。

ホンマイヤな思いさせてくだはったなぁと遺影を見ながら思い出していたのだけれど

腹が立ったことを思い出すのだけど
まだ死んで欲しくなかった、生きていてほしかったと思い、
そのイヤだった思い出が全て尊い経験に姿を変えてしまった。

なんでなんだろう、すごく不思議。
 
誰か死んでしまうと、その人との出来事がキレイなものに浄化されていくんだね。

いくら元義理の父親とケンカしたいと思ってももう出来ないね。

もっともっと思っていたことをそのときに伝えたかったなあ。

この経験を繰り返えさないためにも
いつでも今の自分に素直になっていることだなあ。

そこは頑張るさぞ。


 



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