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多(おお)の森~太安万侶のふるさと~

もしもこの日本に「古事記・日本書紀・万葉集」がなかったら、と考えると、ちょっとどころかだいぶさみしい。

むろん歴史に「もしも」はないし、ワタクシメ実は「古事記」も「日本書紀」も「万葉集」もしっかり読んだことがないので、大口は叩けないが。

たまたま機会があって、その「古事記」を撰録した太安万侶(おおのやすまろ)が生まれ育った「多(おお)」の地を訪ねたので、ここに記録する。

多集落は、盆地を北流する飛鳥川と寺川に挟まれた低平地にある。結構大きな集落。周囲は田園が広がって、山も丘陵も、地傍の変化は何もない。

「多(おお)」の歴史
弥生時代前期〜古墳時代後期 多遺跡
飛鳥時代   百済系渡来人多く住む(団栗山古墳)
       太子道(聖徳太子)が多集落の西側を通る
奈良時代   下ツ道が多集落の東側を通る
(中略)
昭和31年〜現在 磯城郡田原本町大字多
(田原本町観光協会の案内板から抜粋)

古い立派な住宅のたてこむ多(おお)の集落を抜けると、広がる麦畑の先にかなりの大きさの森が見えてきた。鎮守の森だ。

森の中に太安万侶を祀る小杜(こもり)神社があるらしい。

森まで来た。そこだけ樹はなく「太安万侶記念碑」が。

古事記献上1300年記念で建立されたものと思われる。

御影石の碑はピカピカ。古事記1300年は平成24年(2012)なので、10年は経っている。しっかり維持管理されているのでしょう。

さらに森に入ると、お社が見えてきた。

小杜(こもり)神社
その佇まいは慎ましくも神々しい。この中の方が古事記を編纂し、残されたのだ。

お参りしておきましょう。

こうしてひょんなことから偶然訪ねた多の地であったが、あらためて「古事記」も読んでみたいもの、という気持ちになったところで、小杜神社を後にした。


(おまけ)
道行く途中で見かけた植物やオモシロ景の写真を載せて今日の記録とする。

おしまい

2023.5.1