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教室を運営して思ったこと

地元の手芸店でお客様の小物作りのお手伝いをしている。
もともとはミシンキルトの講座を開かせていただいたのだが、さっぱり申し込みがないので、人気のソーイング講習に入りきれないいわば"おこぼれ"を承ることになった次第。

私は洋裁を習っていないし、ミシンキルト講師の資格取得のさいにバッグなどの作り方も教わりはしているが、元来ハンドメイド小物を使う習慣もなく、ほとんど作ったことがなかったので苦手なのだ。

ここだけの話だが、一回約二時間の受講料を手芸店側と二分するので、私がいただくのは一人当たり550円、ミシンを使うため定員は三名だから満席で1650円…
割に合わない仕事なのである。

手芸店にかんたんなトートバッグやポーチの作り方を習いに来られるような方のほとんどは、日頃ミシンを触ったことがない場合が多く、少し馴染んだのでミシンキルトを始めたい…なんて考えない。
ミキンキルトをやろうと思うような方は、洋裁経験があるか、手縫いのパッチワークをされていてその発展系なのだ。
私が典型的な後者なのだし。

資格の有無はさておき、洋裁経験のある方はわざわざミキンキルトを習わない、と思う。
ミシンを扱い、洋服や布雑貨を作るスキルがあれば、本やネットで動画を見て製図と布の裁断のコツを掴めば充分だから。

ミシンキルト講師としてやっていくなら、技術を高め、より芸術的な創作活動をする必要がある。
ある程度ミシンを使える人たちを感動させ魅了し、創作意欲を掻き立てなくてはならない。


さて、ソーイング教室、日曜日は小学五年生の女児が両親を伴い、巾着を作られた。
すでに家庭科の授業でリュックサックを作っていて、器用なお子さんで飲み込みも早い。
所定の二時間を過ぎてしまい、あと少しのところだったが次回予約をしていただいた。
お客様は料金が発生するので、十分くらい延長して終わらせてしまっても良かった。

だけど、私にも私なりの矜持があるのだ。
せっかく作るのだから、いいものを作ろう。
布を吟味して、丁寧に、誰も持っていない、人が羨むような作品を。

きょう日、かんたんソーイングがしたければ、ネットに無料の情報が溢れている。
大量生産の布を使ったハンドメイド小物なら、低価格で手に入る。
人に習うのにそれらと同じものを作るのでは時間もお金も勿体無い。

そのように考えるお客様は、説明をじっくり聞いて、一つ一つの作業が丁寧だ。
店で見かけたキットを作りたかっただけ…という方はその時限りになる。
同じ料金をいただくのだが、ミシンの糸かけや製図や布の裁断を自分でしていただくか、そこはこちらでチャチャチャとやってしまうか、対応の分かれるところ。

お客様が何を望んでいるか見極めつつ対応し、いずれも手作りを楽しみ満足していただかなければ、教えている意味がない。

教室、というものを主宰して気づいたことがある。
物理的に手作りを楽しむ以外に、心の癒しを求めてこられる方が多いことだ。
私自身は資格取得が目的だったので癒やしなどは考えたことがなかった。
そういう人が空気を乱しているのかも…

私と同世代の独身、独居の方がいらっしゃる。
リタイヤしたので何か、楽しめることをと通われている。
日中、買い物などに出なければほぼ人と話す機会がないという。
手を動かしながら、子ども時代の話や親との思い出などを語られる。
歳が近いので大いに盛り上がる。

仕事先で心の病に陥り今はコンビニでアルバイトをしているという二児のママ。
都会の企業に勤め出張転勤で全国駆け回っていたが、親の介護のため帰郷し、ぽっかり穴の空いてしまった50代独身女性。

そんな人たちが、自らの手で何かを作り充足を求めている。
不特定の受講者が訪れる町の手芸店はしがらみもなく、居心地が良いのだ。

私は自宅でパッチワーク教室を開いている。
数少ない友人が来てくれている。
積極的に生徒を集めないのは、力不足であるが、予測される人間関係が煩わしいのもある。
自宅教室は密室なので、生徒同士の些細な事件で空気が澱む。それを請け負う度量がない。
先生に求められるのは、単に技術でなく懐の広い人間性なのだ。

というわけで、あまり儲からない(笑)町の手芸店のソーイング講師は、私に合っているのかもしれないと思う今日この頃である。


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