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二十年前の日記とケツメイシ『君にBUMP』

病気になるのは可哀想なのか/余命はこれからの人生

 三十年間テレビドラマ「水戸黄門」に出演し続けた中谷一郎さんが亡くなった。

 特別「水戸黄門」のファンではなかったが、実家の父も夫も好きな番組なので視るともなしに視ていた。「十年一日のごとく、おんなじことやってるわねぇ。」と笑ったものだが、夫は「変わらないところがいいのだ。」と話の分からん奴と言いたげに呆れ顔だった。

 それでも、こうして長い間なじんだ方が亡くなったと聞くと寂しさを感じる。

 このところ、自分が最もテレビを視ていた頃に活躍していた方が相次いで亡くなるので、今年古希を迎える実家の父に心が飛ぶ。

 父は八年前、胃がんで胃の摘出手術をした。定年退職のときに、会社から人間ドックの受診費用をいただいたので、軽い気持ちで入って小さな癌が見つかったのだ。自覚症状がまったく無かったので、「全摘」と言われも半信半疑のようだった。

 たまたま、検診に当たった医師が癌の権威だった強運でもある。言われるままに手術をして経過は良好である。術後当初は食事ができなくて苦しい思いをしたようだが、無くなった胃は、腸が代わりをしてくれるらしい。



 中谷さんは十一年前に大腸癌の大手術をして、昨年再発、今度は咽頭癌で手術をしても結果は五分五分と告知を受け手術をしない決心をしたと言う。

 父は主治医に「五年間予後を診て、再発しなければもう大丈夫」と言われた言葉を信じて、一月に一度広尾の病院に通っていた。すっかり元気になったので本当は面倒くさくて仕方がなかったらしい。丸五年を過ぎると、広尾にも足を運ばなくなった。

 中谷さんの例を聞くと、まだ安心できないのでは?という不安が高まる。



 テレビで葬儀の模様や、親しかった共演者のインタビューを視た。中谷さんの人柄のせいだろう、涙腺の固い私も思わずもらい泣きした。

 だけど、と思う。

 取材したレポーターは「壮絶な戦い」とか「辛い闘病生活」などと言っていたし、病気のため一度降板して病を押して復帰したというのだから、その辛さは想像しがたいものだろう。

 弔問に訪れた人も「何も言わずにがんばっていた」とか「これで楽になれるだろう」などと言っていた。

 一見慈愛に溢れた故人への労わりに感じるが、それじゃ中谷さんは可哀想な人だったんだろうか?

 七十数年の人生のうち、十一年間が癌という病で、人生九十年と言われる現代において、二十年もの「生きられるはずだった年月」を残して先立つ。そう考えると確かに気の毒にも感じる。

 だけど、明日の命なんて誰にも保証は無い。人生九十年なんて、絵に描いた餅だ。

 健康な私からすれば、病を抱える人は確かに苦労が多いだろう。それでも、生活の中のさまざまなシーンで、生きている喜びを感じることもあるだろうし、病気と闘うことこそが生きがいになることだってあるだろう。

 父は広尾に通うのをとても億劫がって母を困らせたりもしたが、そんな小さな諍いと仲直りの繰り返しも、ささやかな思い出として心に刻まれていることだろう。生きる喜びはそんなところにあるんじゃないのかなぁ。

 余命(余命を決められるのは神だけだと思う。医師は求められるから「余命」を告げるのだろうが、現実は流動的であり、幅が広いように感じる。もっと別の言葉があったらいいのになぁ、と思う)いくばくか、と言うが、一度しかない人生なのだから自分の命は自分だけのものだ。それを可哀想なことと否定されてしまうのはやりきれない。

 余命は残された人生ではなく、これからの人生なのである。

 先立つ人は、自分の人生を全うしたんですね、お疲れ様でした。良い人生でしたね。と言って見送りたい。

引用は2004年4月6日に書いたブログ記事だ。誤字や脱字、おかしな表現があるかも知れないけれど原文ママ、市川真間(笑)←親父ギャグのつもり

今よりマトモな文章かも…
少なくとも気負いなく素直に思うことを書いているなあ、自分。
でも、基本的な考え方は変わっていないように思う。
要するに成長してないのか⁈

2004年はどんな年だったか…
二十年前だから四十四歳、仕事は何もしていなかった。
ヒット曲は?

記憶より古く感じる歌もあれば、つい最近のように感じる歌もある。
歌い継がれているスマッシュヒットもたくさん生まれている。

ケツメイシ『君にBUMP』好きだったのを思い出した。
検索していておもしろい動画を見つけた。ケツメイシのオリジナルではなく編集された動画のようだ。


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