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ショートショート『本屋さんの一日』

これは僕にとって大切な存在だったある本屋さんのために書いたものです。

『本屋さんの一日』

 本屋さんの朝は早い。
 毎日夜明け前に畑に出て、収穫時期を迎えた本を見極め、背中の籠に入れる。
 陽が昇る頃には籠いっぱいの本が新しいインクの匂いを漂わせる。
 本屋さんは重い籠を背負い、えっちらおっちら歩きだす。ツグミがその背中にエールの声を送る。

 店に戻ってくると本屋さんは収穫したばかりの本を棚に並べる。
 これが結構難しい作業で、下手な並べ方をすると前から置いてある本が不満を洩らして暴れ出すことがある。そんな低俗な本と一緒に並べられなくないとか、表紙の感触が気に入らないとか、いろいろ不満を並べ立て抗議してくる。本屋さんはその言い分をひとつひとつ聞き、説得し、なんとか棚に本を収める。
 全部並べ終わった頃には、開店の時刻になっている。

 店が開くと本屋さんはお客さんの応対をする。本屋に来るお客さんというのはたいてい変わり者で、八百屋なら同じお客さんが大根を何度も買ってくれるのに、本屋のお客さんは一度手に入れた本は二度と買わない。今まで読んだことのない本しか欲しがらないのだ。だから本屋さんはお客さんが面白がるような本を用意しておく。ところが本というのは気まぐれで、お客さんに向かって「おまえになんか読まれてやるもんか」と悪態をついたりする。
 お客さんも怒って「おまえみたいな本、読むもんか」と喧嘩を始める。
 本屋さんはそんなとき、お客さんと本の仲裁をしなければならない。でもそれは、そんなに難しいことではない。一言、こう言えばいいのだ。
「本は読んでみよ。客には読まれてみよ」
 お客さんは言われたとおり本を開いてみる。開かれた本はお客さんに読まれる。すると不思議と、両者は仲直りする。

 本屋さんは毎日店の掃除をする。ときどき本からこぼれ落ちる文字を拾い上げては、元の本に戻さないといけないからだ。
 本屋さんはベテランなので落ちている文字がどの本のものかすぐにわかる。でも新人の頃はよく間違えて肉じゃがのレシピに密室トリックを入れたりしていた。
 本屋さんの師匠はそんなとき、「文字の色と匂い、そして艶を見るんだ。そうすればすぐにわかる」と教えてくれた。今もその教えを守っている。

 閉店の時刻、本屋さんは本たちに言葉をかける。お疲れさま。君は買ってもらえなかったけど、明日はきっと、君を必要とするお客さんがやってくるよ。本は本屋さんの優しい言葉を聞いて、眠りにつく。
 片づけを終えた本屋さんは、店の明かりを落とす。ドアが閉まり、静寂が本屋を包む。
 でも深夜、真っ暗になった本屋の前を通ると、かすかに声が聞こえることがある。本たちの寝言らしい。たぶん本の中で文字が寝返りを打っているのだろうと言われている。    


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