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アレント『人間の条件』覚書き part 3

ハンナ・アレントの『人間の条件』、ようやく読了。言葉の洪水で、同じ話の繰り返しも多く読むのに苦労したが何とか読み終えることができた。

これまでの覚書きはこちらから。

アレントが高い価値を置く、古代ギリシアの公的空間、ポリスの在り方が、本書を読んでいて最も刺激されたところでもあった。

つまりポリスというのは、活動した人びとが自分たちの行った善い行為や悪い行為を、詩人たちの援助を受けることなく、永遠に記憶に留め、現在と将来にわたって称賛を呼びさますためのものであった。いいかえると、ポリスという形で共生している人々の生活は、活動と言論という人間の活動力の中で最も空虚な活動力を不滅にし、活動と言論の結果である行為と物語という人工の「生産物」の中で最もはかなく触知できない生産物を不滅にするように思われたのである。ポリスという組織は、物理的にはその周りを城壁で守られ、外形的にはその法律によって保証されているが、後続する世代がそれを見分けがつかないほど変えてしまわない限りは、一種の組織された記憶である。ポリスは死すべき活動者にある保証を与える。なぜなら、リアリティというのは、人びとが見られ、聞かれ、そして一般に、仲間の聴衆の前に姿を現すことから生まれてくるものであるが、ポリスにおいては、たとえ、活動者の存在が束の間のものであり、その偉大さが過ぎ去ってゆくものであるにしても、このようなリアリティはけっして欠けていないからである。もしポリスがなければ、これらの聴衆たちは、ただ活動者の演技が行われている短い時間だけそこに居合わせるだけであり、したがって、その場合には、もはやそこにいない人びとと出会うためには、ホメロスや「彼と同じ技巧をもつ他の人びと」を必要としたであろう。

ハンナ・アレント『人間の条件』志水速雄訳

複数の多様な人間がそこにいることがポリスの条件である。そのような公的空間において、人びとは活動と言論によって自らをあらわす。活動と言動が他者に見られることによって、はじめて人間はその存在を保証される。そこにリアリティが生まれる。独居において人は存在することはできない。その際に他者とは、私と対等な立場にあり、私と異なるものでなければならない。主人にとっての奴隷は私の一部ではあっても、他者ではない。

私の活動と言論が物語となり、人びとに共有されることで私という存在は永続性を獲得する。私的空間において私は生命を維持するために労働するが、労働はその時その時で消費されてしまうものであり、後世には残らない。現代とは、公的空間の永続性より瞬間の生命が、そして活動よりも労働が賛美される時代である。

アレントの論考は、現代社会を考える上で、様々な示唆に富んでいる。おそらくアレントの言う公的空間を、私も含め、多くの人が求めている。ただ、私的空間と公的空間の境目がなくなった現代において、現実世界の中で公的空間を求めるのには無理がある。職場は公的空間ではなく社会であり、そこでは生活のため、という必然のもと、上司の指示に従い労働することを余儀なくされる。自由な活動や言論によって自らを表現し、それを対等な立場にある他者に見てもらうことで自分の存在を確信する、などは決してできない。

だからこそ、SNSやメタバースといった仮想空間に多くの人がひかれるのではないか。顔を見せる必要のない、本名をさらす必要のない場所、生活の臭いの染みついた私的空間から離れたところにあるもう一つの世界の中で、自分の活動や言論によって自分のことを自由に表現する、あるいは他者の活動を見る。そこに、もう一人の私の存在がリアリティを持って立ち現れる。

ちなみに、ChatGPTに「ハンナ・アレントの言う公共空間とメタバースの関係について論じて」と入れたら、こんな回答が返ってきた。

ハンナ・アレントの「公共空間」の概念をメタバースとの関係から論じることは興味深いトピックです。アレントは公共空間を政治的な活動や自己表現の場として強調しました。以下に、アレントの公共空間とメタバースの関連性について考察します:

1. 共同体としてのメタバース:アレントは公共空間を個人が集まり、共同体を形成し、政治的な対話や意思決定を行う場所として捉えました。メタバースは現実の公共空間の拡張として機能し、異なる地理的な場所にいる人々が仮想的な空間で交流し、共同体を形成できるプラットフォームとしての役割を果たす可能性があります。

2. 自己表現とプラットフォーム:アレントは公共空間が自己表現の場であると強調しました。メタバースはユーザーが仮想的なアバターやコンテンツを通じて自己表現する場所として機能します。ユーザーはメタバース内で個性を表現し、他のユーザーとコミュニケーションを取ることができます。

3. 多様性と対話:アレントは公共空間での多様性と対話の重要性を強調しました。メタバースは異なる文化、背景、思考を持つ人々が出会い、意見交換を行う場所として機能し、新たなアイデアや視点を生み出す可能性があります。

ChatGPT4.0より出力

ただ、新しい公的空間の登場、というセリフはインターネット黎明期にすでに何度も叫ばれた。しかしそれは、エコーチェンバーやフィルターバブルなどにより、極度に偏った傾向を持つ無数の小集団を生み出しただけだった。信用することはできないが、ChatGPTに聞いてみると古代ギリシアのアテネの市民の数は3万から4万人。現代のネット民の人口とは桁が違う。一定の人数を超えたときに公的空間は成立しうるのか、ということもまた、考えていくべき問題なのかもしれない。

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