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大澤真幸とフェルナンド・ペソア

いくつかの覚書き。大澤真幸『私の先生 出会いから問いが生まれる』読了。社会学者の大澤真幸が自分にとっての「先生」たちについて語った論考集。「先生」を「答え」を持っている人としてではなく、「問い」を誘発する人、として定義しているのが面白かった。あとは、ルソーの一般意志に関する解説は大変勉強になった。

エクセルのVBAをUdemyで勉強し始めている。いったんVBAでプログラミングの面白さを実感した上で、Pythonに戻ろうと思う。こちらの講義が大変わかりやすくてお勧め。

ディスコの株価が購入価格の1.5倍に達したので売却。半導体関連もかなりバブリーになってきたので、慎重に様子を見たい。基本はオルカン、個別銘柄の購入はあくまでも遊び。ちなみに、勉強がてらに買ってみたイーサリアムは購入価格の27倍にまで急上昇。こちらはこちらでやはりバブリー。

少しずつ暖かくなってきたので、そろそろジム通いを再開させようかと思う。さすがに、毎月のジム代がもったいなくなってきた。

フェルナンド・ペソアの『不穏の書、断章』をちびちびと読んでいる。

主体の分裂、ということに関して、そういえばこの人のことを忘れていた。アントニオ・タブッキを介して知ったペソアの存在。冒頭のペソアへのオマージュの顔ぶれを見るだけでも、心が躍る。タブッキ、ボルヘス、カルヴィーノ、オクタビオ・パス。

宇宙のように複数であれ

『不穏の書、断章』

わたしとは、俳優たちが通り過ぎ、さまざまな芝居を演じる生きた舞台なのだ

『不穏の書、断章』

自分のものではない印象を私は生きる。諦念のうちに自分を濫費する。私は自分自身であることのうちでさえ、他人なのだ。

『不穏の書、断章』

“Je est un autre.”
私は一人の他者である。
 - Arthur Rimbaud -

自分の右手を見た時に、それがもはや自分の右手であると感じられなくなった時、自由は訪れる。自分と自分の間に隙間を作ること、複数の自己の間のずれを生成し続けること、自己を決して一つに同定しないことが、恩寵をもたらすように感じる。

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