赤い実

小説『オスカルな女たち』38

第 10 章 『 暴 露 』・・・2


     《 真実を語る 》


10月も下旬になると、過ごしやすいというよりは肌寒い朝が多くなった。
「今日も院長さま自らお掃除?」
休診日である木曜の朝、いつものように駐車場の掃き掃除をしていた真実(まこと)は、かがめていた腰を伸ばし「あぁ。…おはようございます」と声の主を振り返る。
なんとなく、今日はそんな気がしていた。
実に1か月ぶりの、裏のご近所さん〈高尾濃子(たかおのうこ)〉との御対面であったが、この日は朝から顔を合わせるような気がしていたのだ。
「こないだはどーも」
真実の脳裏にすぐさま彼女のタキシード姿がよみがえる。1ヶ月前とは思えないほど鮮明に、恨めしいほどに強く焼き付いていた。
「あんなところで会えるなんて…。真実先生、やっぱり人気者だった」
あの晩のことを思い出しているのか、濃子は嬉しそうに空を仰ぎ見た。
「そんなことないですよ。そちらこそ、結構なモテっぷりで。パートナーがやきもきしてらしたじゃないですか」
そうあの日、彼女には同伴者がいた。彼女より幾分背の高い、更にほっそりとした肢体にてらてらと光を帯びたパープルのキャミソールワンピースを身にまとったショートカットの女性。
濃子が真実と会話をする間中ずっと、熱を帯びた視線を彼女だけにそそいでその姿を追っていた。
「あら、どうだったかしら…?」
(しらじらしい…)
あれはカップルにありがちな〈ヤキモチ〉を思わせる仕草だった。
「真実先生も。如月さんとご一緒とは…意外でしたけれど」
いろいろ考えをめぐらす頭に水をかけるような濃子の含み笑い。
(知ってて言ってやがる…)
「あぁ、同級生…なんで」
同級生…と言ってしまって、違和感を覚える。事実ではあるが、他に言いようがない。
「そう…? わたしはてっきり」
(てっきり? なんだっていうんだ…?)
「暇に飽かせて夜の街を散歩してたところを、無理やり連れていかれたんですよ」
聞かれもしないことを自分から、なにやら言い訳しているようで落ち着かないが、とにかく誤解されたくなかった。
「そんな。ムキにならなくても…ふふ…」
「べつに…ムキになんかなってませんよ」
言っているそれこそが墓穴を掘っているとは気づかない。
「よくいかれるんですか? あぁいった…」
あぁいった集まりに…そう言おうとして語弊があるかと口を閉じる。
「アンドレ会のこと?」
含み笑いをしながら、意味深な視線をくれる。
(通称なんだ、それは)
「そう、ですね。はじめて知りましたけど…」
あくまでも「初めて」を強調する真実。決して常連だとは思われたくない。

あかり

アンドレ会』…それは一見〈母校を忍ぶ集会〉ではあったが、その実〈同性を恋愛対象と見ている〉卒業生たちが集まるの同窓会だった。
快進(回診)のオスカル』の〈如月遥〉の遍歴は、噂ではなく事実だったということだ。
「毎月第4土曜は『ぐらんでぃえ』でパーティーなのよ。今月は…明後日ね」
「へぇ…」
それ以上は聞きたくないと、再び箒を持つ腕を忙しく動かす。
「いつもテーマを決めて集まるの…前回は『男女逆転』。だからわたしはタキシード、彼女はわたしのドレス…。如月さんのドレス姿も、珍しいことなのよ」
真実の都合などお構いなしに、楽しそうに話を続ける濃子。
(どうでもいい)
「明後日のテーマは季節柄『ハロウィーン』ね。イベントは皆さん力の入りようが違うの。よかったら、ご一緒しない? きっと、みんな大喜びよ」
(…だから、)
溜め息をついて、真実はゆっくりと体を起こし、
「こないだは無理やり連れていかれただけなんで、また行く理由がありません」
きっぱりと、濃子を見据えて答える。
(まして、仮装パ―ティーなんか)
言い終えて再び忙しく地面のごみを追い濃子に背を向ける。
「そう…残念」
なぜだろう…妙にイライラしている自分がいる。
そもそも休診日の駐車場の掃き掃除は、ここで医院長を請け負った3年前からずっと真実の日課だった。今まで一度も顔を合わせたことのない裏の住人と、こうも頻繁に顔を合わせるのはどういうことなのだ? なにか意図してのこととしか思えないと疑った。
「彼女は…」
ぽつりと、口に出してみる。
一緒に住んでいる青い車の方ですか? それとも…と、聞きたいことは山ほどあるが、語られたところで耳を塞いでしまうかもしれないと思った。
「えぇ…そう…」
それはどういった意味合いの相づちなのか、だが当然のこと、キャミソールワンピースの彼女は旦那さんではないだろう。
どうりで…子どもなんかできるはずはない。
(まぁ、いいけどね…)
なぜ、楓は気づかなかった!? 
一瞬、院の2階の窓を目だけで見上げる真実。
最初から知っていたのだろうか。
(それもどうでもいいか)
「ご主人は…その、」
知っているのだろうか、その第4土曜日のパーティーの内情を…腰を曲げたまま仰ぎ見ると、彼女はさみしげな表情を浮かべていた。
「あなたも、染まってしまえばいいのに…」
ひとりごとのようなその言葉に一瞬動きを止めるが、
「どうですかね、難しい問題です」
と、こちらもひとりごとのように小さく返した。
「さて、と。これから診察なんで…これで失礼します」
文化ちりとりを引き上げ軽く会釈し、まるで自分はこの会話をするために彼女を待っていたかのような退散に敗北感を感じながら、真実はその場の空気を惜し気なく断ち切った。
「えぇ、また…」
背中に投げかけられる濃子の声に、おそらく彼女と会話をするのはこれが最後だろう…と、そう確信しながらその場を後にする。
(はい、さようなら…)
「しっかし…」
染まってしまえばいいのに・・・・   
(だと? すごいこと言うな…)
軽くかぶりを振り、耳に残った言葉を振り払ってから院内に戻った。
「これから来客だから、緊急事態以外は電話つながないで…」
頭の後ろで腕を組みながら受付の前で歩を緩める。
中途半端に下ろされたシャッターの向こうに声を掛けると、電卓を打つ手が止み「はい」とだけ返ってきた。
「それと、操(みさお)先生は腰痛で午後出だからそのつもりで…」
このところ天候が不安定なせいか、肌寒い朝は決まって調子を崩すようになった。歳を理由に娘に甘えているだけかもしれないが、冬になったら更にそんな日が増えるだろうかと、勤務体制について考えざるを得ない。
(早く寝たかったのに…)
ぼやいてみても状況は変わらない。せめて今日が「休診日でよかった」と思う真実。
この日は夜勤明けであったにもかかわらず、朝から忙しくなりそうな予感がしていた。

サボテン

「ごめんね、朝早くから。夜勤明けで疲れてるんじゃない?」
電話連絡を受け、玄関先で出迎える。
「そんなことはどうでもいい」
そう言ってしまって、気を遣うだろう織瀬(おりせ)に、
「いや、昨夜は比較的静かで、仮眠もとれたから…」
と、言い直した。
「仕事は? これから?」
普段と違う服装に、フリー出勤なのかと問う真実。
「今日はね、外で打ち合わせなの」
スリッパに履き替え、見上げる織瀬の顔はとても疲れていた。
「なるほど」
早朝に織瀬から「相談がある」と連絡が入っていた。だから、休診日のルーティン作業に茶々が入っても、苛立ちをあらわにせず受け流せると思った。自分らしくないことはもうしないようにしよう…そういうつもりで、濃子とのやり取りを受け入れたのだ。
「織瀬、顔色悪いぞ?」
手術入院を前に怖気づいたのだろうか…と、真実は気が気じゃなかった。案の定、
「ぅ…ん。いろいろあって…最近、よく眠れてないの」
静まり返った診察室にふたり、向かい合って座った。
「なにがあった?」
「ン~。どっから話そう」
苦笑いの織瀬。
「どっから? そんなにいろいろあったのか?」
「…そういう、わけじゃないけど」
そう言って織瀬は、少し視線をそらして考えるようなしぐさを見せた。
「もうずっと、幸(ゆき)とまともな会話がなくて…」
「いつから?」
「そう言ったら…。もう、結婚記念日のあと?」
小さく微笑む織瀬。
「そう、か…」
(なぜ言わない…!)
もう2か月以上になる。
(言えない…か…)
「織瀬。あたしの前で、ムリに笑わなくていい」
(そんな、泣いてるみたいな顔で笑うな…)
取り繕わなくていいんだ、ここでは…と、優しく肩に手を触れた。
「ありがと、真実。…日常会話はあるけど、突っ込んだ話はしないってだけ」
「当たり障りないってことか。それもそれで…」
さみしいな…という言葉を飲み込む。
「ちょきが、ね。…日曜に、体調崩して急遽病院に行くことになってね。その日ようやっとゆっくり話すことが出来たの。ゆっくり話したって言っても、結果は最悪だったけど…」
本音は「話したくない」のか、どう話そうかと「考えあぐねている」だけなのか、織瀬の態度は終始落ち着かない様子で、真実は次の言葉を躊躇した。
「ちょきは一晩病院に預かってもらったんだけど…。次の日、迎えに行くまでの間に幸と…ちょっと口論になって」
「口論? 珍しい…」
「最近、ちょっと頭に血が上りやすいの。あたしが」
「それも、珍しい…」
「うん。…幸ね、あたしに『好きな人がいるんじゃないのか』って言ってきたのよ」
(へ?)
言われて思い浮かぶのは「真田だろうか」と訝しむ。
「すきなひと…」
が、それを否定するかのように織瀬が言い淀む。
「それがね。…会社の代表のことを『ずっと好きなんじゃないのか』って、言われたの」
「スキなんじゃないのか…?」
「そう、進行形でね」
織瀬は既に鼻声で、言い終わると口元を押さえてむせた。
(ずっと…?)
「織瀬…もういい…」
当時のことを思い出したのか、嗚咽を堪える織瀬の肩に手を添える真実。だが、織瀬は首を振り、
「不倫を疑われてたのよ、あたし…バカみたい、でしょ…」
と言って体を震わせた。
「代表? 代表って、あのひょろいのか?」
真実は織瀬に泣かれるのが一番つらい。
「なん…っだよそれ…。なに言って…まさか、それで今まで…!」
(抱かなかったって言うのか…!)
「嘘、だろ…?」
それとも、
(抱けなくなった…か)
女医らしく、医学的なことを鑑みる。
それで結果がこれか…と、真実はこれまでのことを思い、こみあげてくるものを押さえ切れずに涙ぐんだ。
「もう、どうしていい、っか…解らなくって…あた…ぁたし…」
「織瀬。もういい、織瀬…」
真実はたまらず織瀬を抱き寄せ「もういいから」と背中をさする。
「ぅ…」
「我慢するな。我慢なんかしなくていい!」
更に堪えようとする織瀬を力いっぱい抱きしめた。
「もう。家に帰れない…って、思って…。そしたら、病院に迎えに来て…」
途切れ途切れに話す織瀬の言葉を繋げれば、愛犬〈ちょきん〉を病院に迎えに行ったまま家に戻る気のなかった織瀬を案じ、幸は病院まであとを追いかけてきたという。無言のままふたりでマンションに戻ると「しばらく距離を置こう」と言い残し、幸はマンションを出て行った。
行く当てもない織瀬にそれはそれで好都合ではあったが、手術を控え、ただでさえ不安なところに、ひとりで気まずい空気漂うマンションに残されても落ち着かずに「帰れない」「眠れない」と言った。入院期間中の間、残していくちょきんの動向も気になるし、どうしたらいいのか解らないのだ、と。
「ば、っか、やろう…!」
真実は言い殴り「なんですぐに言わなかった」と声を押し殺し、ちくしょう、ちくしょう…と小さく何度もつぶやいた。
「よくもひとりになんかできたな…それが10年一緒にいた夫のやることか?」
自分のことばっかりじゃねーか…と言及する真実に、
「あたしが、一緒にはいられないと思って…気を遣ったんだと思う」
と織瀬が答えた。
「気遣う場所が違うだろがっ!」
(よりによって…)
とその時、かすかにドアをノックする音がした。そうかと思うと、
「…真実さ~ん、いるの~?」
吞気な声で診察室のドアを開ける人影があった。
「な…(なにやってんだ)!」
その姿を捉え、織瀬を右手に抱きすくめたまますぐさまもう一方の手で「しっしっ…」と手を翻した。
「やば…」
声の主はふたりの姿を見るなり顔を引っ込め、静かに、なかったことのようにしてドアをうっすらと閉めた。幸い体を丸めていた織瀬には、真実の腕に守られていたせいか、ドアを開けた主の声までは届いていないようだった。
(あんの、バカたれがっ…!)
閉じたドアを睨みつけ、真実は、たった今顔を出した輩を恨んだ。
「ごめ…真実…。仕事、だよね」
織瀬は体を起こし、頬の涙を指でぬぐった。
「いや、違う。今のは間違いだ」
誤魔化すようにしてデスクの端にある箱を引き寄せ、織瀬にティッシュを渡した。
「…平気?」
そう言いながらティッシュで目元を押さえる織瀬に「あぁ、大丈夫」と、気づかれないようドアを睨みつけたまま真実は答えた。

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「あの日…真実が点滴を持ってきてくれた日、あったじゃない?」
「ぇ…あぁ…」
(今月頭、のこと、か…)
「あの日。ここからマンションに帰ってすぐ、幸に『子どもを作ろう』って言われたのよ」
「マジ…? 今さら?」
言葉を失う真実に、織瀬は瞬きだけで答えた。
(その気があったのか…?)
「それで、あたし切れちゃって…」
「そりゃそうだよ…ただでさえ…」
子どもは望めない…そう宣告されたその日に「子どもを作ろう」だなんて、拷問以外のなにものでもない。
(なに考えてんだ、旦那!)
「それなのに、今度は『すきなひとがいるんじゃないか』って? 開き直りじゃねーか」
幸には心底がっかりした…と、真実は秘かに心の中でつぶやいた。
「なんだか…今までのことが、全部嘘のようで。そう考えたら気持ち悪くなっちゃって…あのマンションにいるのが、苦しいの」
「そう…だよな…」
「お義母さんにも『離婚してもいい』って言われるし…」
「はぁ? なんでおふくろさん?」
(子どもができないからか…?)
「よく解らないけど『もう我慢しなくていい』って」
「我慢? 我慢てなに?」
「わからないけど…。そんな恥ずかしい話、みんなの前でできなくて…。それでこの前、つかさの家で手術の話をされたとき、場を濁しちゃったんだけどね」
落ち着きを取り戻したのか、織瀬はここへ来て初めて真実を正面に見た。
「そうか。でも…」
(それだけじゃないだろう…?)
真実はあの夜から「言うべき」かずっと悩んでいたことがらがあった。つかさの家に泊ったあの晩、織瀬の隣で横になりながら〈アンドレ会〉の話や自分の気持ちを伝えること以上に言及したいことがあったのだ。
「織瀬。…聞いていいかな」
「なに?」
「言いたくなかったら言わなくていい」
そう前置きして真剣な眼差しを向けた後、真実は静かに切り出した。
「…織瀬、妊娠してたのか…?」
「ぇ…」
途端に織瀬は顔を曇らせる。
「これまで、妊娠、したことあった?」
引っ越し前夜つかさの家で食事している際、真実には織瀬が放ったひとことが気になっていながら飲み込んだ質問があった。来週に迫った織瀬の手術入院を前に、真実はどうしても確認せずにはいられなかった。それは織瀬が行う〈膣式〉といわれる術式が〈経産婦〉であることが条件の手術だったからだ。
真実の知るうる限り、織瀬に子どもが存在したことはない。
「ごめん。立ち入るべきじゃなかった」
「ぅぅん。聞いて。…そうだよね、真実には解っちゃうよね」
「ごめん…」
「あやまらないで。その…23歳の時だった。産むつもりで会社も辞めて…でも、心音が感じられないって言われたの。その時の流産の原因が子宮筋腫だった…」
「流産…」
流産…と、口をついて出てしまったことに後悔する真実。まるで攻めているようではないかと自省する。
「ホテルを辞めたのはそれが理由か…?」
「辞めた後に解ったんだけどね。でも結果そういうことになる、かな」
「そのあと、なにもしなかったのか? その…病院ではなんて」
「筋腫は『まだ小さいから取らずに様子を見ましょう』ってことだった。定期的に検査しろって言われてたんだけど、結婚してからなんとなく幸に言えなくて、それきり。だから今回のことは罰が当たったんだと思う、きっと」
堕胎でなかったことに一瞬安堵するも、婚姻前の出来事に動揺を隠せない真実。
「だとしても…全適は厳罰すぎだろ…」
「まぁ…そうかもね」
「相手は…? ユキくん、じゃない…」
(結婚前、だもんな)
「うん」
「ユキくんは」
「しらない…言えない。…言えなかった」
結婚後「すぐさま子どもを…」と望む義母がいては、言えなかったのも無理はないだろうか。
(こういうことがあるから…!)
女はいつも苦しむのだ…と、日々の診察に憤りを感じる真実だった。
「ずっと言えずにひとりで…?」
結果、やっと落ち着きを取り戻した織瀬を再び泣かせてしまうことになった。
(本当にいたんだな…結婚前に、男。流産じゃ、元カレなんて浮かれた話はできないよな)
真実はいつか、バー『kyss(シュス)』で〈元カレ〉の話で盛り上がった日のことを思い出していた。
「これからどうする? 家にいられないなら、うちに…」
とはいうものの、真実は実家住まいで、自宅には多感な時期の機嫌の悪い娘と、腰痛持ちで詮索好きの母親がいる。少し考え、
「つかさは今、開店前で忙しいだろうし。うちはうちだし…」
早口に述べた後、頭をかきむしり「玲(あきら)んとこしかね~よなぁ」と独り言ちた。
「もう大丈夫だよ。真実に話せたから…」
すっきりした…とでもいうつもりだろうか。
「いや、ダメだ。この際、玲のとこに世話になろう。帰ったんだろ? お姫様」
それは玲の兄嫁である『巻き毛のオスカル』を差した言葉だった。そうして真実は「帰ったんだろ? 織瀬のおかげで」とニヤリとしたのち、
「玲に借り返してもらおうぜ」
そう言って立ち上がった。
「え、でも…」
引き留めようとする織瀬を尻目に、電話をかけようと携帯電話を探す真実だが、
「任せとけって…。それとも、織瀬が気まずい、か?」
はたと動きを止め、振り返る。
「そんなことないけど。玲のところだってやっと落ち着いたのに…」
「この際、玲に部屋ひとつ提供してもらおうぜ。で、しばらくあたしと一緒にいよう」
名案!…とばかりに、真実は携帯をすくい上げた。

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「真実さん、そろそろ話を詰めてほしいんだけど」
観劇のオスカル』こと女優の〈弥生すみれ〉、本名〈花村弥生子(やえこ)〉が出産のために入院して早一ヶ月が過ぎ、妊娠も26週目を迎えていた。
「そんなことより…! なんなんだよ、さっきのは!」
ひとまずマンションで待っていてくれ…と織瀬を見送ったその足で、真実は特別患者が陣取っている〈ファミリールーム〉に直行した。
「ぇ? あぁ…だって、今日は休診日じゃない? だから、だれもいないかと…」
「休診日だって、急患は来るの…! 用がありゃ内線で呼べばいいだろう、この部屋には電話がついてんだから」
勢いに任せて声を荒げる。が、
「急患? だったの…?」
と、疑いの眼差しを向ける弥生子。
「あ…?」
「悪いとは思ったけど…立ち聞きしちゃった」
「はぁ!?」
「大きな声出さないでよ…っ。真実さんが悪いのよ、わたしのお願い、ちっとも聞いてくれないから。こっちだっていい加減焦るじゃない」
「それにしたってだろ…!」
「だから、怒鳴らないでよ」
(よくもそんなことがいえたもんだな…!)
「でも彼女…ちょうどいいんじゃない?」
弥生子はいや~な笑みを浮かべてそう言った。
「なにが…!」
「もう、怒鳴らないでって言ってるのに」
顔をしかめてのけぞる弥生子は、それでも口を閉ざさず、
「彼女、子ども欲しいんでしょ?」
言われて真実は、
「どこまで聞いた? どっから聞いた?」
小声ではあるが、いつも以上に鬼気迫る勢いで弥生子に詰め寄った。
「ぇ…だから…。ごめんなさいって」
「そうじゃない『なにを聞いた?』と聞いている」
顔が怖いわ…と前置きし、弥生子はおずおずと、
「…流産して、罰が当たって、子どもができない、んでしょ?」
(充分すぎる話じゃねーか!)
なにやってんだよ、あたしは…と、自分を責めざるを得ない。
「ねぇ真実さん。事情はどうあれ、彼女、子どもが欲しいのよね? だったら…」
「ちょっと待て! そんなのあんたの一存じゃ決められない。織瀬にだって…」
「おりせ?」
(しまった…!)
「なんでもない」
なんでもなくはない。
「おりせ…って、七浦さん? 七浦さんだったの?」
「あ~あぁ~あ~あぁ~あたしってやつは…!」
うろうろと病室を歩き回る真実。その姿を目で追いながら、
「とにかく真実さん。真実さんが話を進めてくれないなら、操(みさお)先生にお願いするしかないんだけど…?」
これは「とどめの一発」だった。
実際、弥生子のお腹はどんどん大きくなるし、年内あるいは年明けには生まれてくるだろう命。先延ばしにするわけには行かなかった。真実自身先延ばしにしているつもりはなかったが、心の準備が必要だった。
(悪あがきもここまでか…)
「わかったよ…」
真実は、神妙な面持ちで病室を後にした。

玄関のかえる

その夜、自宅に戻った真実は軽く荷造りをした。
加えて織瀬の事情を話し、落ち着き先が決まるまで放ってはおけないのだ…と母親を説得した。
「自分の子どもの面倒も見れないのに」
そのくらいの皮肉は覚悟していた。だが、同じ産婦人科医として織瀬の状況を思えば、頭ごなしに反対もできないのも計算の上だった。
「それはそっちの方が得意だろうが…」
実際真実が院長になってからの操は、自分自身仕事を優先してきた手前孫娘である〈美古都(みこと)〉の身の回りの世話のほとんどを請け負っていた。家事を苦手とする真実には好都合であったが、ここにきて思春期の娘はいろいろと感じることがあるのか、ことあるごとに母親である真実に突っかかり、しばしば祖母である操の手を煩わせていたこともあり、
「しばらく顔合わせない方がいいんだよ」
という真実のひとことで、納得せざるを得なかった。
「それから、操先生…」
真実が自宅で操を「先生」と呼ぶことは珍しいことだった。ゆえに、
「なんだいあらたまって」
こちらも「なにごとか」と身構える。
「特患のことだけど…」
「なんだいまた問題かい」
呆れて真実を見上げる。 
あたし、を望んでる」
真実はあえて、含んだ言い方をした。
「あんたを?」
それは「主治医として選んだ」ことかと考える操だったが、真実の神妙な顔つきにその程度ではないことを鑑み「まさか」と目を見張らせた。
「そういうこと…」
真実があえて口に出したくない言葉。それは、
「里親、かい…」
と、操は重く口を開いた。
「そういうこと…」
座り込む操を見下ろし、真実は繰り返すだけだった。
〈里親〉に関して、デリケートなのは真実だけではない。操とて同じ気持ちに違いないのだ。それゆえここまで言えずに引っ張ってしまった。
「どうりで…。なんかおかしいとは思ってたよ」
静かに答え、黙り込む操に
「だから、しばらく考えたい」
真剣な眼差しで答え「美古都のこと、頼むわ」と言い残し、真実はボストンバッグを担いで家を出た。

吉澤産婦人科医院が「里親制度」に関して精力的に活動し始めたのは、まだ内科医院だった祖父の代の頃だった。真実は38年前の初冬のある日、院の玄関口に置き去りにされた乳児だったのだ。そして当時学生だった操が引き取り、育てた養子だ。
操には結婚の経験がない。ゆえに真実は私生児で、父親がいないのだ。






まだまだ未熟者ですが、夢に向かって邁進します