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研修とワークショップ② 日野町のまちづくりから学ぶ

研修とワークショップ②
日野町のまちづくりから学ぶ

日時:11月18日 14時~15時半 場所:あけぼのパーク多賀大会議室講師:岡井 健司(近江日野商人ふるさと館 館長)


多賀町まちづくりネットワーク会長 辻 利樹 挨拶

本日は多賀町まちづくりネットワークの講演会に来ていただきましてありがとうございます。
たがまちネットの会長をつとめております、辻と申します。 多賀町では、文化財を活用した町づくりを推進しようということで、先進事例を他の市町から伺って、参考にしていこうということで、講演会を今年度開催しております。今日は、日野町の方から、岡井さんにお越しいただきまして、日野町の事例をご紹介いただくことと、それを活かして、多賀町に参考になることを、皆さんで一緒に考えていきたいと思います。
それでは、よろしくお願いいたします。

日野町のまちづくりから学ぶ


岡井健司氏
みなさん、こんにちは。日野町教育委員会の岡井と申します。多賀町さんが、他の自治体の事例をという風におっしゃいましたが、むしろ、いち早く、文化財保存活用地域計画を策定されて、 多賀まちネットを作られて活動されてますので、我々は今、実は、計画を策定中です。多賀町さんを参考に、みんながついていこうとしているところですので、逆に教えていただきたいぐらいなんですが。
日野町で、今、まだ計画策定前の状況がどうなのかっていうことを、今日は事例紹介して、 その後、皆さんと堅苦しくなく意見交換できたらと思います。
(配布資料)「ふるさと日野学習」小中学校で取り組んでいる事例



(スライド)
日野町の取り組みをご紹介させていただきたいと思います。
皆さん、 同じ県内在住ですが、日野町って来てくれはった方おられます?
結構来てくれてますか。どんなとこにいきました?

会場

日野商人、ブルーメの丘、

岡井氏:

色々来てくれてありがとうございます。
私は普段は、教育委員会の歴史文化財担当、生涯学習化歴史文化財担当というところにおります。
事務所が、綿向神社の前にある、ふるさと館っていうところにございまして、そこの管理運営と、文化財行政は正規職員3名でやってます。多賀町さんはどんな 体制ですかね。

音田:
もうちょっと、質素な。

岡井氏:
そうですか。博物館もあって、羨ましいなと思ってますが、そしたら、日野町の概要とか、歴史、文化とか、ご存知いただいてるかもですが、一応、話の前提になりますので、ざっとご紹介してから、取り組み事例を紹介させていただきます。
概要ということで、場所はもうご存じですね。同じく湖東地方蒲生郡日野町です。
多賀町さんと一緒で、平成の市町村合併はせずに、単独の町政を選んだということで、 今現在、蒲生郡は日野町と竜王町だけで、郡同士は隣り合ってない。 孤立してしまった町が2つ残っています。琵琶湖に面していないっていうのもまた多賀町さんと一緒で鈴鹿山麓にある町。面積は117平方キロ。多賀町さんが135っていうことですので、ちょっと狭いぐらいのイメージです。
人口は約2万1000人っていうことですので、こちらはちょっと多賀町さんより大きいですかね。国道307号が同じく通っております、もう1つ、国道477号っていうのが通っています。地形は緑ばっかりですね、ほとんど山で 綿向山っていう、標高1110メートルの山のてっぺんが日野町の高山っていうことになります。 そこからすごく標高差が激しくて、平地は100メートル台ということ。山地、丘陵が大半を占める、日野川が作る谷が3つほど広がっている、そんな町になります。行政の変遷としては、江戸時代の村数で言うと、52とか、55って言ったりしてますが、55か所の村が合併して、明治22年の町村制では、1町6村って合併して、昭和30年に、日野町に、そこからはずっと日野町で推移しています。

人口はどことも一緒で減少傾向です。 最大は2万6000人ぐらいいた時期もあるんですが、今2万1000人で、2045年にかけて、どんどん減っていく、1万5000を切る、こんな推計が出ています。
自然は大変豊富です。 文化財の特徴としては、国の天然記念物が 5つあるっていうのが自慢です。代表的なのは、あの鎌掛谷っていうところにある天然のホンシャクナゲが、標高の低いところに群生しているっていうことで、これを始め全部で5つある、自然環境豊かなところです。
町民のこの文化財に関する、意識とか関心については、数年前に実施した総合計画に際してのアンケート調査で、非常に関心がある、歴史、文化が多いなっていう風に答えてくださった住民さんが7割ぐらいおられて、自分の町は文化財が宝やぞと、こういう認識をしてくださっている町民が多いっていうのが、非常に心強いところです。今回のこの地域計画策定にあたっても、 アンケートを実施したり、それから、ワークショップを7会場で開催いたしましたが、総計でですが、240人ぐらい参加があって、非常に関心が高かった。 参加されたのは年配の方中心でした。そこで口々に言われたのが、 次の世代になんとか伝えたいという、熱い思いを語ってくださいました。そんな住民さんが、これが宝やなっていう風に、言うてくださったことを中心に、4つの日野町の、歴史、文化を整理しています。

熊野神社 国指定天然記念物 ヒダリマキガヤの実

1つは、恵みの歴史、文化

綿向山はじめとする自然とか、農村文化、農村の祭り、暮らし、そういったものが1つ目です。

2つ目は、もののふの歴史、文化

戦国大名の蒲生氏の本願地、蒲生氏郷を輩出した場所ですので、蒲生氏とか、江戸時代には、市橋っていう2万石の小大名、あるいは、蒲生氏の城下町や、日野商人を生んだ、財閥が、 どちらにもありましたので、こういうもののふの歴史、文化っていうことで、整理しています。

3つ目は、日野商人の生み出した、にぎわいの歴史、文化

この町並み、景観とか、日野商人の歴史、そこで生まれた、芸術、文化、そういったものです。

4つ目 祈りの歴史、文化

神の祈り、仏の祈り。日野町は、人口2万1000、お寺の数が94とかで、一家上支える人口が全国的に見てもトップクラスに少ないので、人口あたりのお寺の数が逆に多いっていうことで、 これも、特徴かなって思っています。
こんな背景の日野町で、どんな保存、活用の実態があるのかなっていうのを、いくつか代表的なものを紹介したいなと思います。

1つ目は、ベースに公民館活動っていうのがあります。

先ほど、1町6村が合併したっていう風に申しました。この旧町村単位に地区公民館っていうのが置かれています。コミュニティーセンターじゃなくて、いわゆる、社会教育をどんどん推進する 公民館っていうのが、自治活動のベースにあります。もちろん、自治の基本は、大字、江戸時代の村ではあるんですが、その大字から、行政区から、公民館の実行委員というのが選ばれて、例えば、体育委員とか、 文化委員とか、広報委員っていう、実行委員が選ばれます。その実行委員さんたちが、文化祭とか、地域の運動会を企画して運営するっていう伝統が、この昭和30年以来ずっと続いてる。この公民館には、役場の会計年度任用職員が1人配置されていまして、その事務局を担う、館長も一人置かれる。旧の小学校区よりも多い数の、地区公民館というのが、日野町内に7つあります。 ここの活動が、この住民自治といろんな取り組みをベースにずっとあった、これが1つ大きいかなっていう風に思います。
その中で文化財に関する取り組みも。歴史に関するウォークラリーをその地域内でされたり、マップを作られたり、サイクリングマップとか、ウォークマップを作られたり、ふるさとのその地域のカルタを作られたり、 あるいは、絵屏風って、最近ちょっと流行してますね。 作製を含む自治活動のベースにあるか。1番目に紹介させていただきました。

2つ目は、ふるさと日野学習っていう取り組みです。


(資料参照)
制度的には、ふるさと絆支援事業っていう支援事業があります。国、県の補助金もいただいて、地域学校共同活動と言って、学校部会に、地域 がふるさと学習を一緒に推進するという風な取り組みです。 日野町だけではなくて全国的に展開されている事業で、ここ最近よく導入されているコミュニティスクールですね。非常に親和性の高い、その一歩先を行っていた事業です。多賀町さんもきっと されてるんだろうなと思います。後で伺います。

スローガンを日野は、掲げておりまして

「日野を学び、日野で学び、日野から学ぶ」

ということで、 地域のことを地域で地域の人から学ぶ、そんなスローガン、学校教育現場で、いろんな授業がなされています。
代表的なので、例えば、町探検って言って、小学校3年とか6年生は地域を歩いて回る活動をしていますが、その時の講師になるのは、我々、行政職員もいるんですが、その場所は、お寺のご住職とか、神社の宮司さんとか、 あるいは、近所のおっちゃんとかおばあちゃんが先生になって、ここはなっていう風に案内をする、 そういう風にして、地域住民が関わります。郷土料理とか、祭りばやし、食文化とか伝統芸能を地域の方に学ぶ、名人に学ぶっていうような取り組みもされています。
例えば、鯛そうめんっていう伝統的な料理があるんですが、作り方を、伝統料理を継承する会っていう団体のおばあちゃんが学校へ行って、 子供たちと一緒に作る、そういった取り組みがなされています。
名人に弟子入りっていうのも一緒で、藁細工の得意なおっちゃんに来てもらって、小学生と一緒に体験する、そういった取り組みがされています。その総体がふるさと日野学習一覧になるのですが(資料)。
例えば、祭ばやしを笛の名人が小学校に行って、子供たちに教える。年間に10回ぐらい行って、最後はやっぱり演奏できるようになるんですね。できるようになったら、それを披露する場がまた設けられている。そういう風な、取り組みがされています。
(スライド、日野菜の栽培の写真)
日野菜はまさに、日野町原産の野菜で大変誇りにしていますので、全ての小学校で、栽培と調理実習がされていたりします。
(スライド写真)
西大路小学校、ブルーメの丘のあるところですが、 お茶が名産ですので、新茶が出る季節には、子供たちが茶園の人と、近所のおっちゃんおばちゃんの指導で摘みに行って、最後、お茶を飲むまでの体験をしています。
(スライド写真)
竹細工の体験をしている。 このように、地域住民が学校に入って、講師となる、地域住民が子供たちを見守る、そんな取り組みが、全ての小学校、特に3年生以上と、中学校3年生まで、断続的に繰り返す、そういった取り組みをしています。 子供たちは、最初は習うばっかりなんですが、だんだんと主体的に考えるような場を設けるようなプログラムを特に先生を中心に考えてくださっています。6年とか中学校3年生になると、 子供たちが考えた町の課題と提言を、プロポーザルしてくれるような場がありまして、その発表会に、地域の人とか行政職員、議員が見に行く、あるいは議場でその発表をする、 そういった取り組みがされています。
なので、子供たちに、ふるさとの誇りと将来の町、どんな町であってほしいかなっていうことを考えてもらう、きっかけを作る、これが1つ。
もう1つは、大人もですね、これやってると、すごい自分の居場所、 なんていうか達成感がある、そういう、大人も子供も自分の居場所と目標が見つけられる、そういうような、非常に効果がある取り組みだなということで、この日野町の歴史文化、 文化財の保存、活用地域計画の大きい柱の1つに据えていきたいなという風に思っています。
今、2つ大きく紹介させていただきましたが、公民館がベースにあって、 もう1つは、その地域、行政も入る形で、今度は、学校舞台に活動を展開しているというのが、今のふるさと日野学習でしたが、 もう1つは、各種団体の取り組みも、非常に活発だなっていうことで、特徴的なものを、いくつかご案内します。

「日野町並み保存会」

平成11,2年くらい、かなり前なんですが、日本ナショナルトラストっていう団体、日本の全国組織があって、日本の景観を保存、活用しましょうっていうことを推進する団体の補助を 受けて、日野の町並み、景観を、しっかり調査したことがありました。
これを弾みに、日野の町並みを、保存、活用する、景観条例を策定しようっていう、弾みになるはずの調査だったんですが、 結論から言うと、その時は、それが、結実しなかったです。
が、この時に住民団体で、日野の街並みと景観を考える会っていう会が組織されました。この会が母体となって、30年ほど続いている団体が、この日野町並み保存会という団体です。 とにかく、町並み、景観を残したい、後世に伝えたい、 これを元に賑わいを作りたいっていうことを考えてくださっている団体で、現在は、自らこの日野商人屋敷一棟を管理して、そこをベースに活動もされています。ただ、会員は、わずか17名 で、平均年齢も60歳超えて、高齢化が進んでいる団体です。
日野町はべんがら格子が特徴的な、町屋のある、 市街地があるんですが、このベンガラ塗りの体験 とか、ベンガラ塗りを請け負って、この町並みを綺麗にしましょう、そういう地道な活動を積んで現在に至っておられます。

「桟敷窓アート実行委員会」

同じく、町並みですが、桟敷窓って、皆さんご存じですかね。 日野町に来てくださったら、こんな、板塀に、 穴空いてて、こんな毛氈飾った風景をご覧いただいたことがあるかと思います。日野祭りを見物するためのしつらえで、丁度この窓越に、向こうのお座敷から、前を行く曳山とか、お御輿を見物するための桟敷のついた窓ということなんですが。
この桟敷窓は、日野祭り、毎年、5月3日にありますが、この日、1日だけのために作られた窓です。なので、この5月3日以外は、本来、開けられることはないんですが、
いや、もったいないな、これを生かして、なんかできへんかなっていうことで、この、「桟敷窓アート」っていうイベントが考案されました。
考案したのは、この、中田穣さんというおじさんなんですが、この桟敷窓が家にある、ご主人です。この人が発起人になって、行政も観光協会も、 せっかく、こういう文化財があって、活用できる宝があるのに、こいつら何にも動きよらへんから、もう仕方がない、民間有志でやるかって言って、始まったイベントです。平成13年ですので、もう20年以上の歴史があります。
平成20年からは、最初はね、アートっていうことで、秋にこのアート作品をこの窓越しに、家の中に飾られたアート作品を見ようっていうことで始まったんですが、 2日間ではちょっともったいないなっていうことで、今度は、約1か月お雛さんを飾って、沿道の100件ぐらいの お宅が、ここに協賛して、お雛さんを飾るイベントが始まりました。
なんか知らん人も来るし、うまいこといってるなって。後から観光協会とか行政がここについていって、今は日野を代表するイベントになっています。
中田さんもやっぱりもう75歳を超えてこられて、 こういうキーマンとなる方が牽引してくださった事業が、やっぱりこう、担い手の高齢化で、次どうしたらいいのかなということが課題だなと思っています。

「日野文化懇談会」

私事ですが、日野町では、平成14年から13年かけて、町史編纂事業をいたしまして、町の歴史 を9冊の本にまとめるという事業をいたしました。私、町史編纂事業のために、雇っていただいて、そこから、ずっと、もう文化財の仕事ばっかりさせていただいてるんですが、 日野の、宝に関する情報は集まったけど、このままでは、この 保存と活用が心もとないなっていうことで、またこれ住民さんが声を上げられまして、集めるだけではない、保存、活用するための動きを次に町が推進してやるっていうことでできた団体ですので、住民さんが企画して、こういう文化講演会、多賀町でもお馴染みかと思いますが、井上ひろ美さん、文化に関する講演会をしたり、 あるいは年間2回ほどの見学会を開催されたり。今年はですね、なんと企画展までやると言うて、橋本忠太郎という、日野町出身の博物学者なんですが、 その標本と人物を紹介する企画展を、教委と一緒に開催をしたりいたしました。
文化財を保存、活用していくための団体が、平成28年に結成されたということで、現在は、会員170名を数える、非常に大きな団体に成長しています。が、やっぱり平均年齢が60超えてるかな 。こちらも、ちょっと高齢化が進んでいるというのが課題ですが、非常に活発な活動をされています。
こういう団体が、大小折り混ぜて、今、我々、行政とお付き合いする中で、36ぐらい関係団体がありますので、今日はちょっと3つだけ主だって紹介させていただきましたが、 こういう団体と、大小なり、行政と一緒に、二人三脚で取り組めているものも、いくばくかあるなっていうのが、この日野町の強みかなと思ったりします。

 「日野曳山保存会」

県指定の無形民俗文化財、曳山祭りの保存団体さんですが、この保存団体は、曳山16基ございます。16町から選出される理事を中心に活動されています。 普段の活動は、おはやしの伝承っていうことで、さっきのおはやしを子供たちに教えたり、稽古したり、 あるいは、これまで5か年にわたって、祭りばやしの共演会っていう、大演奏会が開催されたんですが、そういう普及啓発活動をずっとされてこられました。
令和2年の 文化庁の補助金、「令和2年度文化庁文化芸術振興費補助金」の補正山祭りのデジタルアーカイブ事業っていうのを開催をいたしました。 今まで、この団体はホームページを持ってなかったんですが、この活動の一環で、保存会のホームページ(https://hinohikiyama.com/)も立ち上げることができました。

具体的な中身は、この保存会の呼び掛けで、古い写真ありませんかっていうことで、半年にわたって、 写真を町民さんから、提供を呼びかけて、約1000点の写真が集まりました。これを保存会の皆さんと教育委員会が一緒になって整理をして、 その中で、予算の関係もあったので200点厳選して、これをデジタル公開しようっていうのがこの取り組みの内容です。

ちょうどコロナ禍でした。文化庁さんは、このコロナで、祭りの火が全国的に消えたらいかんということで、この民俗文化財に対する補助金が、すごいどかっとばらまかれた。これをチャンスと捉えて取り込んだ事業です。 整理した写真は、タイトルをつけて、解説。その解説も住民さんが考えてくださいました。 写真と一緒に、一応、検索システムで、テーマとか、何町とか、場所っていう風な形で、横断検索ができるシステムが出来上がりました。
ここ2年間ですが、 一応、15000 回ぐらいの閲覧があったっていうことで、一応、責任は果たせたなって思っています。もしかしたら、会員ばかり見てるかもしれませんが。将来に備えて、このジャパンサーチ(https://jpsearch.go.jp/)っていう、デジタルアーカイブのフォーマットに則った整理の仕方もしてあり ますので、こういう、ちっちゃい取り組みですが、団体さんと行政が連携してできた取り組みが進んでいます。

近江日野商人ふるさと館

食体験事業っていう事業をしています。日野商人の本宅屋敷で、
(スライド写真)
器は漆なんですが、 日野商人がかつて潤った、関東へ持っていった商品の代表的な商品が、この日野椀と 呼ばれる、漆器と、丸薬、薬やったんですね。かつての日野の特産品であった、漆の食器を使って、 日野祭りで提供される、ご馳走の鯛そうめんを中心とする伝統料理を、ここで食べられるっていう、こんな体験事業を、この館のオープンの時に考案をして。誰か、この料理作ってくれる人 おれへんかなって言って公募したところ、

「伝統料理を継承する会」

という、地元主婦による団体が手を挙げてくださいました。ほぼボランティアでの活動ということになっていますが、
(スライド写真)
ご婦人方ですね、この人たちが日替わりでやってきて、料理を作ってくださっています。ふるさと館には、なかなか本格的な厨房が整備されておりまして、免許を取って、この方々が提供する、そんな取り組みです。

出てくるお料理は、
(スライド写真)
鯛そうめんですね。四季折々のお惣菜ということになりますが、 なかなか好評をいただいていて、もう8年目の取り組みになります。
この伝統料理を継承する会の皆さんは、町ににぎわいをもたらしたいな、食文化を次世代に 提供したいな、こんな思いで、活動をしてくださっていて、さっきのふるさと学習の調理実習の派遣とかも行ってくださっていますし、あと、 行政から委託をして、食文化調査っていう、聞き取り調査をしていただいて、それをまた、この、お膳料理に反映する、そういう取り組みもお願いをしています。

まちかど感応館

日野の観光協会がある建物がございます。旧正野玄三家という、薬ての本舗なんですが、登録文化財になっているお店自身が観光協会の事務所に なっている、観光案内所になっているっていうのが、1つ、活用です。裏に、包装場って言って、薬を包む作業場があったんですが、それをちょっと改装いたしまして、今、ギャラリーとして活用をしています。
さきほど桟敷窓アートっていう取り組みをご紹介しましたが、日野にはなかなか、工芸作家さんがたくさんおられます。焼き物とか、絵画とか、木工されている作家さんが結構いらっしゃるので、ここで、日野の作家展とか、滋賀、日野ゆかりの作家さんの、絵画、写真、いろんなアート作品をここで展示することで、芸術、観光振興、文化財の活用、そういう風なコラボレーションができてるかなと思います。この運営には、観光協会と地域おこし協力隊と、教育委員会から、私みたいな人間も出ていって、企画、運営をしています。

最後は、移住者との融合っていうところで、1つ。

日野ブルーイング

ビール工房の紹介をさせてください。
日野町って、まあまあ田舎です。で、地方なので、保守的やと、自分らも自分のことを保守的やって、やっぱり言うんですね。よそから来る人には、ちょっと1歩引いて、 大丈夫かこいつらみたいな目で見るっていう風に、皆さん、自分のことを自己評価しはるんですが、 僕はそんなことないなって実は思っています。
僕も日野町出身じゃなくて、八日市出身で、近いけど移住者なんですが、すごく暖かく迎えてくださいました。 歴史的に見ても、日野って、外の文化をこう、いち早く取り込むので、それを生かすべきだなって思ったりします。古いところでは、渡来人で鬼室集斯とかいう、渡来人をもたらした人がいたりしますが、飛鳥時代にそういう痕跡があるし、平安時代の平安仏が非常に多いのも、平安仏教をいち早く取り込んだからかなと思いますし、 中世には、鈴鹿の山を越えて、三重県と盛んに交易をしていました。
商人の一角を担って交易をしたことが、蒲生氏の城下町形成に繋がったかなと思います。江戸時代においては、もう、外と交易をして、日野商人が活躍した結果、市街地が形成されてますし、そうやって、外の文化、江戸とか関東の文化が、今も、お祭りとかにも、 色濃く反映されています。

この町中都市部においては、つい最近まででもすごい流動的で、人の引っ越しとか移住が盛んです。僕、今住んでる町内、旧市街地ですが、25件あるコミュニティで、江戸から続いている家は3件ぐらいしかない。 そう思うと、僕の実家のある村よりも、すごい流動性の高い、外の文化を摂取する地域やな思います。 その風土があって、この日野ブルーイングっていうのは、皆さん、テレビでもご覧いただいたかもしれませんが、ちっちゃいビールを、マイクロブルワリーって呼ばれるような、地ビールを生産する会社なんですが、
(スライド写真)
田中さんっていう、地元の酒屋さん、醸造の お店じゃなくて、小売のお店なんですが、彼がUターンで帰ってきて、なんかできへんかな。そこにたまたま引っ越してきたのが、イギリス人トム・ヴィンセントさん。2人、同じ町内で曳山を引っ張る町内の人なんですね。祭りで意気投合して、(3人目)ポーランド人(ショーンさん)はなんと、ビール醸造経験があった。
(スライド)
3人のやり取りが『和樂』からお借りしして、一部修正した文章なんですが。まず、ポーランド人ショーンさん。結婚した奥さんが日野の人やったんですね。アメリカで知り合って、結婚して、日本に来て、最初八日市に住んではったんですが、奥さんの実家がある日野町に家を構えはって来たら、ショーン、めっちゃ日野を気に入らはってですね、何が良かったかというと、祭りがおもろい。こんな楽しくて感動できるもんないがな。よその人の目の方が、嫌々やらされ感のある地元の人間よりも、物を見る本質があるのかな。彼は何しか 楽しかった。
https://intojapanwaraku.com/rock/gourmet-rock/183571/

そこに、田中さん、さっきの酒屋さん、イケメンが、Uターンで帰ってきたんですね。お父さんはこのお酒の店主で、町づくりをすごい推進してた、やり手の方やったんですが、 事故で早く亡くなられてしまいます。でも、その思いもあって、なんかやっぱり地元愛がある人やったんですかね。帰ってきてくれて、何かしたい。 でも、自分はまだまだ若いし、何か若者に響くような新しいことがしたいなって言って、相談したら、そのビールっていうことになった。

イギリス人のトムさんは、こういう風に言われます。
「祭りは行事じゃなくてコミュニティそのもの」やと。
これ、名言やなと思ったんですが。ショーンは祭りはおもろいって言わはるんですね。で、トムさんは、けど、その祭りは、いわゆる行事事じゃなくて、もう地域そのものや いう風に言った。で、この2人が何かしたいなって思った、田中さんを後押しして、ほんな、ビールを作ろうか。

けど、田中さんは若くて、なんでもこう突き進むかっていうかというと(そうではなく)、神社の宮司さんに相談しやはった。こんなこと考えてんねんけど、ええやろうか。これがまた、つつましやかやなと思います。
ここからはもう個人的な感想ですが、 この絶妙のバランス。Uターンと、外人と地元民が祭りで繋がって、けど、この祭りは行事じゃなくて、地域やろっていうところで、まちおこしに繋がってる。こういうことを受け入れる風土が日野にあることが、やっぱり強みやなっていう風に思ったりしました。
まとめてみたいと思います。

強みは、 活発な住民活動っていうのがある。

ベースは公民館活動ですが、それを元に、大小いろんな団体さんが活動をされています。 で、そういう中であって、新しいものを需要するっていう風土が、今も流れている。そこで、我々行政もちょっとお手伝いしつつ、地域住民が中心でいろんな取り組みが進んできています。そのエネルギーの向きは、今、できるだけ学校、ふるさと学習で、次世代を育成しようという方へ向いているなと思います。 そういう1個1個の活動が、結局、大人も子供もそれぞれの活動の場所で、居場所、やりがい、 そういう風に繋がってきてるな、これが強みと思います。
ただ、やっぱり、途中も何度も申しましたが、 弱み、たくさんあります。

まず、担い手が、高齢化してきている。強いリーダーシップを持ってくださってる方とか、団体のパートナーシップで進んでいる、個性はありますが、やっぱり、牽引してくださってる方が高齢化している。その裏返しで、 やむを得ないかもしれませんが、若者とか子育ての世代の関わりが少ないです。田中さんみたいな、一部コアな年代の元気な若者もいるんですが、ふるさと学習が進んで、 子供への学びが深まってる一方で、その保護者さんって言うたら、全く関心がないんですね。ここが大きい課題やなと思っています。

この高齢化の進展によって、もちろん、限界集落と呼ばれてるような集落が出てきたりしていることも事実です。 区長さんが、もう、地元で組めなくて、区域外に住んでる区長さんが 何年も続いてる、そんな集落も出てきています。
あと、外を向いては、観光っていう意味では、あまり取り込めてない。したいかどうかの議論も十分深まっていない、情報発信もできてない、この魅力の発信ができてないなっていう風な弱みもあります。
この現状と課題を踏まえて、 ここからは、今、策定途中ですが、日野町の文化財保存活用地域計画の将来像です。

(スライド)

「日野を日野たらしめている歴史、文化を、共に守り伝え、生かし、未来へつなぐ、ふるさと日野」

っていう風にしました。
文化庁の調査官には、日野が3回も出てきますねって言われて、ちょっと、あきれられてもいますが、日野を日野たらしめているものが、歴史、文化だなっていう風なことがまず1つです。で、それを保存、活用することで、ふるさと日野、ふるさとは、使い古されたありふれた言葉ですが、自分らしさ、地域らしさを発揮して、安心して暮らせる居場所っていうことで。生まれ育った者も、よそから来た私みたいな者も、 そういう居場所にしたいなっていうことで。この3つの柱ですが、特に、やっぱり、この人材育成、ふるさと学習に力を入れて、 いい思い出を持って、あるいは、この街を支えてくれる、街を思ってくれる人を育てる、 あるいは、日野を支えてくださるファンを、外からお願いする、そういう取り組みを、今、考えているところです。
以上、事例の紹介を終わらせていただきます。ありがとうございました。

休憩後 座談会


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