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観劇と戯言 文劇6(2):殉教者たちの饗宴


注釈

 私は白秋推しである。

 それはゲームや舞台のキャラクターにおいても、史実においても同様である。なので、白秋を中心にして考えたことを書いていく。

 ただの素人が無遠慮に書き散らしているだけの誇大妄想と虚言である。

 その点をどうかご容赦願いたい。


白秋は何者か?

 やはりこの作品で印象的だったのは、最後の晩餐というモチーフ。

 果たして白秋はどこから裏切り者ユダだったか。

 違和感を覚えたのは、初めの晩餐のシーン。白秋がキリストの席に腰を下ろした時だった。

 知恵者として世界を解説する、という意味であったのかもしれない。

 しかし、それを含めてもどうにも違和感があった。


 元々この作品に登場する文豪の中で白秋は異質だった。まず生きた時代が決定的に異なる。

 各文豪の生没年月日は、以下の通りである。便宜上、太宰のデータも含めた。括弧内は享年になっている。

 北原白秋 1885.1.25〜1942.11.2 (57)
 徳永直    1899.1.20〜1958.2.15 (59)
 中野重治 1902.1.25〜1979.8.24 (77)
 草野心平 1903.5.12〜1988.11.12 (85)
 坂口安吾 1906.10.20〜1955.2.17 (48)
 太宰治    1909.6.19〜1948.6.13 (38)
 織田作之助 1913.10.26〜1947.1.10 (33)
 檀一雄    1912.2.3〜1976.1.2 (63)


 生年で並べると最年長の白秋と次点の徳永の間は14年間も開きがある。また、白秋はこの中で唯一wwii終戦を見届けていない。

 属していたコミュニティにも差はある。

 白秋は生前、各界の藝術家と交流深く、文化サロンに出入りした。

 文壇(詩壇)の中心に近いところに位置し、その本は細部までこだわり抜かれたきらびやかな装丁を纏った。

 加えて、晩年は多くの翼賛詩を生み出し、国家、軍国主義へ加担した。また、プロレタリア文学(厳密にはプロレタリア短歌だが)を批判したこともあった。


 労働者のためのプロレタリア文学、はぐれ者の無頼派。

 白秋は、反体制の心を持つ彼らのキリストには到底なり得ない。


 しかしその一方で、白秋は民衆のキリストであった。

 各地を巡り、方々の民や彼らの生活文化を讃美するうたを作った。

 それはまさしく巡礼だった。

 日本という国、言葉を愛し、愛する国の民衆たちを癒し、導いた。その道は光の道だと信じていたと思う。

 先導と扇動が同じ音を持つのは皮肉なことだ。



 また、白秋の処女詩集の題は「邪宗門」である。

 邪宗門とは、キリスト教を指す。

 これは弾圧に負けず信念を貫いた隠れ切支丹たちを自らに重ね、生み出したものといわれている。

 九州の出自でキリスト教文化を身近に感じていたことも影響しているかもしれない。


 そして、2度目の晩餐の席はユダ。

 もう確定だ、と思った。

 結論としては侵蝕者が成り代わっていた、ということらしい。

 が、この世界の前提として、文学が侵蝕されるのは、その作品に負の要素があるから、である。

 では、文豪自身はどうか。

 文豪自身に負の要素があれば、その身が蝕まれることもあるのではなかろうか。

 彼は言った。

 国家のようなもの、と。

 これは紛れもなく翼賛詩人の断片であると思った。

 こんな妄想をした。

 白秋が没したのは1942年11月2日。

 WWIに勝利したのも、束の間関東大震災が起きる。太平洋戦争が開戦したその1年後、彼は没した。晩年は、愛国心を綴った翼賛歌に溢れていた。

 しかし、1945年8月15日。ことの最終的な顛末は、敗戦


 もし、現代に転生した彼がこのことを知ったらどう思うだろうか?

 それでも彼はその愛国心を貫けるだろうか。

 国のために死ぬことは素晴らしい、とうたえるだろうか。

 もし戦後の世界線に転生してしまったからこそ、自身に負の要素が生まれた。

 その結果が侵蝕者に侵されたあの姿だったのではないだろうか。


 安吾が織田作の死を受けて書いた作品のひとつ「大阪の叛逆」にこんな一節がある。

 小説に面白さは不可欠の要件だ。それが小説の狙ひでなく目的ではないけれども、それなくして小説は又在り得ぬもので、文学には、本質的な戯作性が必要不可欠なものであると私は信じてゐる。

大阪の叛逆 1947

 白秋の影の部分を成り代わった侵蝕者としたことで、そこに一種のエンタメ性、非現実的面白さが生まれる。

 鑑賞者の怒り、悲しみ、憎悪、嫌悪の対象は白秋から侵蝕者へと移る。

 彼を助けたい、解放してあげたい、という気さえ起きてくる。

 そして、ラストの"導くひと"としての白秋がより際立って輝き、光を放つ。


 演出、個々のキャラクターの描き方、ひとつひとつの言葉選びには、3を観てからずっと脱帽してばかりである。



"ことだま"について

 白秋についてもうひとつ。

 文豪とアルケミストという世界において、武器とは自身の文学、すなわち言霊である。

 彼は銃を扱うので、まさに言弾といった感じだ。

 もし、侵蝕者が単に成り代わっていただけあれば、言霊を込めて使用しなければならないあの銃を扱えるだろうか?

 そして最後、片手に日本刀、片手に自身の武器を携える姿は、軍国主義とともにある翼賛詩人に見えた。

 そうするとやはり成り代わっていたというよりも、白秋の軍国主義的愛国心の化身と思わずにはいられない。



それぞれの立つ場所

 考察を好む人間は、最後の晩餐というモチーフを目にした際、まずキリストとユダに注目すると思う。

 疑り深いオタクなので、これは視線誘導ではないか?と疑念を抱いた。

 もしかしてユダよりも周りの配役に注目すべきではないのか?

 そう思い立ったので、それぞれの文豪と聖人とを照らし合わせてみることにする。

 注釈。何かを語ろうとする上で、原点(原典)を通過しないのは不義理である。が、聖書は旧約のかなり序盤、誰々は何歳で何人の子どもを産んだ、という記述があまりに延々と続くもので読むに耐えず、挫折してしまった。

 ので、こちらの2冊を参考にさせていただいている。

 「光彩のアルストピア」は、第一章に最後の晩餐についての考察が書かれている。ダ・ヴィンチの最後の晩餐がどのようにして描かれたかのか、という点にフォーカスしている。


 「最後の晩餐の真実」は、キリストや聖書の専門知識がなくても理解してもらえることを目的としている、とある。科学的観点から磔刑の日付を分析するなど、楽園まで辿り着けなかった哀れな人間でも理解しやすくとても面白く読ませていただいた。


 本題へ戻る。

 最後の晩餐の構図は何度か繰り返された。

 元になったのは、おそらくダ・ヴィンチの最後の晩餐と思われる。

 ダ・ヴィンチの最後の晩餐の席順は、以下の通り。左から右の順へ並べてある。

 バルトロマイ
 小ヤコブ
 アンデレ
 ユダ
 ペテロ
 ヨハネ
 キリスト
 トマス
 大ヤコブ
 フィリポ
 マタイ
 タダイ
 シモン

 対して、劇中の配置は以下の通り。同様に左から右の順へ並べてある。

 1回目

 徳永
 中野
 草野
 白秋
 織田作
 安吾
 檀

 2回目
 草野
 侵蝕者
 侵蝕者
 白秋
 侵蝕者
 侵蝕者
 侵蝕者(太宰)
 侵蝕者
 徳永
 侵蝕者
 中野
 侵蝕者
 織田作

 3回目
 侵蝕者
 白秋→侵蝕者
 侵蝕者→白秋
 侵蝕者
 織田作
 侵蝕者
 侵蝕者
 侵蝕者
 侵蝕者


 完全に再現されているのは2度目の晩餐時のみである。しかし、1度目、最後の晩餐スタイルで食べよう、という発言がある。そのため、明らかに人数が足りない場合でも、この構図と思われるシーンは数に含めた。

 特に気になったのは、中野と草野の配置である。

 もし、白秋の違和感に気づける者がいたとしたらそれは中野だと思っていた。

 正直バチバチにやり合うと思っていた。彼は齋藤茂吉ノートの中で、これでもかというほど白秋をこき下ろしている。


 中野の作品で読んだことがあるのは、上記の作品のみである。しかもノート八だけである。現金なオタクだ。(その時のことはこちら)


 2度目の晩餐、中野の位置はマタイ。

 ここで中野の人となりを少し調べてみた。

 中野は、熱心な共産主義者であった。

 1932年に治安維持法違反により投獄。1934年、彼はこの信条を転換することを条件として釈放を許された。

 政治思想を転換すること、これを転向という。そして、マタイもまた、転向者と呼ばれている。


 また、この作品で登場した中で白秋に一番近い性質を持つのは草野である。

 2度目の草野の立ち位置はバルトロマイにあたる。

 バルトロマイは、皮を剥がれて殉教したといわれている。共通点を見つけることができなかった。強いていうならばカエルの捌き方は、皮を剥ぐことからはじまる?わからない。有識者がいらっしゃれば教えてほしい。

 草野の人となりについても少し。

 草野は中華民国南京国民政府の宣伝部長を務めていた。この政府は当時中華民国の日本領地下を治めていたといわれ、彼は翼賛を賛美するような作品も生み出している。

 ここから推測するに1度目の晩餐は、ヨハネだろうか。

 とすると、1度目の晩餐は敗戦前。2度目以降は敗戦後を表現しているように思う。


 また、3度目の晩餐の白秋。

 この配置転換が妙に印象的だった。

 ユダの席に座っていたのを、侵食者と入れ替わり、ペテロの位置へ移動している。

 近づいて銃口を向けるのであれば、入れ替わる必要があっただろうか?

 キリストの磔刑の直接の原因を作ったのはユダだ。しかし、磔刑を決定づけたのはペテロの嘘の証言であった。

 また、ダ・ヴィンチの最後の晩餐に描かれたペテロはナイフ、武器を持っている。(これには諸説あるらしい?)

 武器をキリストに向けるという点でも、この白秋はペテロだったのではないか、と疑っている。


 キリストを織田作とする時、白秋のペテロは何を意味しているのだろう。

 体制派による弾圧か?嘘の証言、に着目するならば、wwii後半の大本営発表か?

 まちの人々を描く織田作を庶民とするなら、帝国を謳い上げる白秋は国家だ。

 国家が庶民へ銃を向ける、ということの比喩だろうか。



虚像と殉教


 下の引用は、白秋の最後の随筆集「薄明消息」の中の牀上記の一節である。

私の健康は思はしくない。この國家の重大事に際し、誠に申譯の無い日を過ごしてゐる。日支事變の當初以来、眼疾に祟られて立ち遅れた私であつたが、今度もまたまたさうなりはしないかと歯ぎしりがされるのである。健康ならば私の性分として、もう夙うに比島・馬來までも出かけてゐる。今日のやうに何の爲すなくして、この冬の日だまりに跼んでゐる筈はない。

薄明消息 1946


 これが書かれた日付は1月31日。おそらく1942年1月31日だろう。文中の日支事変、は日中戦争のことと思われる。


 日中戦争は1937年7月から勃発しており、どうやらその頃から眼を患っていたらしい。

 では、ここに書かれた国家の重大事とは、何だろうか?


 比島はフィリピン、馬來はマレーを指す。そこ、もしくはその付近で起こった国家の重大事。

 1941年11月の日米交渉の決裂と1941年12月の真珠湾攻撃から始まった南方作戦だろう。

 6月にミッドウェー敗北に触れられていないのは「太平洋の戦局此一戦に決す」とされたからだろうか。


 命が尽きようとするその時まで国と国家のため何かを為そうとした白秋はまるで殉教者のように感じた。

 そして、1943年2月のガダルカナルでの大敗。この時もまた、国家が語る戦勝国の姿は虚像だった。


 殉教者、というのは、自らの信仰のために命を落とした人間のことを指す。

 信仰というのは、大きな思想だけには留まらない。

 例えば、誰かの為の自己犠牲。あるいは、自らの信念、価値観を貫くため。

 それらを抱いたまま、それらを守るために自ら死を選ぶこともまた殉教といえるだろうか。

 芥川。太宰。薬物の常用を一端として命を失った織田作。自ら死を選んだ文豪たち。

 彼らはある種の殉教者だったのだろうか。


 もし、死が救いやひどく崇高なものに見えたとしたら、それは大抵、魔が差した時なのだと思う。精神あるいは肉体に不具合が出た時に見える虚像だ。


 彼らの生は、虚像に翻弄され続けたのだと思うとやるせない気持ちになる。


あとがき

 色々な資料を極薄くではあるが、漁りながら場面場面の邪推をしてみた。戦争史を遡るとやはり疲れる。芥川の手記なども大分こたえた。読み返す気力もない。

 まだ綴っておきたいのはやまやまだが、しばらく休憩してから再開することにする。

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