社会的健康

現代の日本人にとって、健康は最大の関心事のひとつといっていいだろう。事実、テレビや雑誌には健康をテーマにした特集がひんぱんに組まれて人びとの関心を惹きつけている。健康によいということでさまざまな食材が紹介され、効果があると喧伝されていろいろな健康法が話題にとりあげられている。世界一の長寿国として知られる現代の日本に、そのような過剰ともいえる健康ブームが生じているのは、現代人のそうした健康願望、健康志向のうらに、健康に対する不安が潜んでいるからではないだろうか。

しかもここで関心がもたれているのは、もっぱら肉体的な健康と心理的なストレスくらいであるように見える。肉体的な健康の確保(もちろんそれは大切なことだが)と心理的ストレスの軽減さえできれば、それだけで健康だといえるのだろうか。

もちろん、健康と疾病との間には明確に区別できる境界があるわけではなく、健康と疾病とは連続的につながっているものである。身体の内部においても、病気の臓器はほかの健康な臓器とつながっているし、機能的にも関連しあって働いている。だから健康と疾病とをどこかで画然と区別して理解することはできない。しかしそれにしても、まずはそもそも健康とはいったい何なのか、どのようなものなのかを理解してから、健康について考えることが必要だろう。

国連の専門機関である世界保健機関( WHO )は、その憲章前文に健康の定義を示している。
それによると、

●健康とは身体的、精神的、社会的にみて完全に良好な状態であり、単に疾病あるいは虚弱の不在状態ではない。

ここで重要なのは、健康というものには身体的健康と精神的健康に加えて、「社会的健康」という3つの次元の健康があり、それらすべてがバランスのとれた状態にあることが健康だと考えられていることである。たんに障害がなく病気でもないというだけでなく、健全な社会生活を営んでいることも、健康であることの要件なのである。したがって最近、マスコミなどで話題になることが多い独居老人の孤立死とか、若者の引きこもりといったものも、社会的健康という観点から問題がある。

ところが、しばらく前の内閣府の調査によると、40~64歳の中高年の引きこもりの人は61.3万人、
15~39歳の若年青年層の引きこもりを加えると、じつに100万人を超える規模になるとする見方さえ出ている。ちょっとした中規模の都市、たとえば千葉市の住民すべてに匹敵する人口が、引きこもり生活をしているのに等しいということだ。しかも加えて、日本では毎年2.5~3万人もの自殺者を出している。

これはもはや、日本社会の病理現象といえるのではないか。病んでいるのは日本社会ではないのだろうか。


(参考文献)
・K・ローレンツ「自然界と人間の運命 PARTⅠ :進化論と行動学をめぐって」谷口茂訳、思索社

#エッセイ #健康 #引きこもり


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