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太閤辞世の句に思うー夢のまた夢ー 【随想】

本日、8月18日は太閤、豊臣秀吉が亡くなった日(慶長3年8月18日)と聞き、太閤秀吉の辞世の句を思い出した。

露と落ち露と消えにしわが身かな
なにはのことも夢のまた夢

「露のようにはかなく消えていくわが身を思うと、浪速での栄華の日々も
はかない夢のようだ。」という意味であろう。



低い身分から立身出世し、一代で栄華を極めた豊臣秀吉。
この歌を読むと、死を目前にした最高権力者の気持ちは、穏やかな悟りにはほど遠く、荒野を一人トボトボと歩くような、あまりにも「淋しい」ものであったと思う。

ふと、2019年に観たクリスティアン・ボルタンスキーの「Lifetime」展にあったインスタレーションを思い出した。干し草の匂いの立ちこめる「アニミタス」の映像といくつもの風鈴の音。限りない虚無を感じる空間に「賽の河原」を想像したが、その虚無感は太閤辞世の句に通じるようにも思う。

つひにゆく道とはかねてききしかど
昨日今日とは思はざりしを

「古今和歌集」

古の歌人、在原業平は辞世の句をこう詠んだ。
目前の死を迎えるにあたっての素直な言葉に、あかるい諦観さえも感じる。

対して、太閤の辞世に感じるのは、どんなに栄華を極めても露と消えていくしかない人間の、果てしない虚無と淋しさである。

「なにはのことも 夢のまた夢」


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