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感性を取り戻した話【随想】

ふとした瞬間に、私自身に起きた過去の出来事の理由が理解できることがあります。
今朝もふとひらめきました。

数年前、美術鑑賞にはまってしまい年に数回は関東、関西方面まで「遠征」と称して好きな作品を観るために遠出し、1日3館ほど美術館を「はしご」して巡っていました。
観覧後はSNSの美術鑑賞グループへ、専門家でもない素人がまるで競争するかのように、詳細なレポートをあげていました。
当然、展覧会図録や美術館グッズも買い込んでいました。
体力的には凄く疲れたしお金もかかりましたが、それが楽しくて楽しくてたまらなかったのです。


2020年、コロナ禍により行動制限がかかり、それは呆気なく終わりを告げました。
(それより以前に、SNSの美術鑑賞グループに美術とは関係のない写真をアップして「いいね」の数だけを競うような人達が現れ、美術熱が少し醒めていたのもまた事実でした・・。)

行動制限が解除されても、さほど観たい気持ちがわかなくなりました。
いや、観たいものは観たいですし、今でも旅行や用事に組み込んで美術館に行っていますが、以前ほど「これを逃したら、次いつ観られるかどうかわからない」との焦りがなくなったといいますか…「観られるのも観られないのも、その時のご縁」と達観できるようになったといいますか。

そして今思うのです。
乾いた喉を潤すかのごとく美術鑑賞にはまっていた時期は、昔持っていた「感性」を取り戻すために必要な時間だったのではないかと。

美しいものに心動かされる、好きなものを「好き」と言える、人が創り出したものを通してその人の気持ち、意図を感じる…そんな「感性」を、忙しい日々に追われすっかり忘れて、心が錆びついていた私がいました。
この数年間、好きな美術作品を観ることで、有難いことにそれを取り戻すことができたように思います。


オーギュスト・ルノワール「海辺にて」
昨年観たメトロポリタン美術館展に出ていた好きなルノワールの作品。
(メトロポリタン美術館のパブリックドメインから画像を拝借)



そして、感性を取り戻した私に次に何が起きたのか・・進行中につきまだ書けませんが、いつかその物語を書ければ良いですね。

こうして今、あらためて過去の「答え合わせ」をしている私です。
まだまだ「おもしろき」人生は続きます。

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