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そもそも「オリジナル」な映画は存在するのか

アーティストは必ず、誰かの作品に影響を受けている。“オリジナル”は創れない。このトピックでは、アーティストが行使できる権利を、知ることができる。クリエイターとアーティストたちの創作活動は劇的に、表現範囲を広げることができるだろう。

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太一(映画家):アーティスト業界情報局
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 あなたの作品は、オリジナルではない。 』

「オリジナル」という言葉を“独創性”と理解していると、怪我をする。オリジナルとは“本物”という意味であり、「最初の原物」だけを指す。

創作活動に従事する我々アーティストは実のところ、日々、法的な危険に晒されているのだが多くがそのことに、気付いていない。今日まで穏やかに生活してこれたのは、奇跡的な幸運に恵まれているか、無名だからだ。

他の作品、アーティストのみならず生活の中で出逢う著作物やあらゆるアセットから受けた影響はすべて、貴方の作品に“2次使用”されている。創作者である貴方は意図的であろうと無意識であろうと、ライセンサーの権利に抵触している。

貴方の作品は、「オリジナル」ではない。あなたはライセンサーを相手に、自作のコンテキストを証明できるだろうか。観客と批評家に堂々、胸を張れるだろうか。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:ドキュメンタリーは、著作権法の“例外”を駆使して成長し続けられる

本年02月、HBO製作の作品は、ウディ アレンによる性的虐待を調査するドキュメンタリー映画だ。同月その作品は、ウディ アレンの無許可音声を使用していたことを巡り、本作監督が、スカイホース パブリッシング社より著作権侵害の訴訟を起こされた。

しかし、4ヶ月経過した今も、進展はない。

「フェア ユース」と呼ばれる“著作権外での素材使用権利”を示す概念により、過去20年にわたりドキュメンタリー映画は、成功を続けている。ドキュメンタリーで有名なマット ティル ナウアー監督は、語る。「フィルムクリップなどの重要な素材が法外な価格で取引されればつまり、“私用できない”という事になる。“フェア ユース”が存在しなかったなら、“ドキュメンタリー”という視覚言語は失われるでしょう。したがって、“フェア ユースの原則”は、ジャンルを保存し、高めます。」

フェア ユースは、“著作権”が検閲の一形態になることはできないことを、明確にしている。既存のクリップがプロジェクトに活用されて文脈を語るならば、映画製作者、ニュース収集家、批評家、教育者などは、諸作県で保護されている作品(オーディオブック、映画、音楽、写真など)を権利者の許可無く、使用することができる。

エンターテインメント弁護士のマイケル ドナルドソンが断言する。「フェア ユースの対象外であり、著作権法で保護されているものなど、ありません。著作権法は明確に、“フェア ユースは著作権侵害に当たらない”と述べている。フェア ユースとはつまり、著作権の“例外”です。」
 - JUN 21, 2021 VARIETY -

『 ニュースのよみかた: 』

ドキュメンタリー映画の監督が無許可で使用した素材の著作権者から訴えられたが、裁判が進まない。理由は“著作権の例外”である「フェア ユース」という概念があるからだ、という記事。

日本の映画人はほぼ、知らないのではないだろうか。
使用権のライセンス供与に、高額を請求するアーカイブスがある。また、著作権法を拡大解釈する一方で、それを盾にして値をつり上げるブローカーも存在する。結果、クリエイターや映画監督、プロデューサーは言い負かされている。アーティストが法に精通することは、責務である。

『 フェア ユースとは 』

「フェア ユース」とは、著作権者の権利を侵害せずに、著作権で保護されている作品や資料などを利用する方法のこと。アメリカでは映画製作者、メディアにはよく知られている概念だ。

この概念に基づき、著作権で保護されたコンテンツを作品に利用する場合は、フェアユースであると判事から認められる必要がある。アメリカの判事は、“4 つの要素”に従い、フェア ユースの主張が有効かどうか判断する。他国では、「フェア ディーリング」という場合もある。

■ フェアユースを認められるために必須な「4 つの要素」:
① 利用の目的と特性:単なる“コピー”ではなく改変される必要がある。
② 著作権のある著作物の性質:フィクションでの利用よりドキュメンタリーなどの事実に基づく作品が有利。
③ 使用された部分の量および実質性:“ごく一部の利用”が有効だが、ごく一部でも“本質的”な場合は無効な場合もある。
④ 市場または価値に対する利用の影響:オリジナルの諸作権者が“利益を損ねない”状況。

『 素人判断厳禁! 』

ちなみに余談ながら、実に重要なことをひとつ。
自己責任、で乗り切るには実に曖昧な概念。是非、「弁護士」を起用すべき。そもそもに、アーティストは必ず、“顧問弁護士”を持つべきである。

顧問弁護士のないままに世界的な成功を願うなど、スタッフとキャスト満載のフライトを神頼みで離陸させるようなものだ。まわりのアーティスト仲間が顧問弁護士と契約していなくても、気にしなくていい。
その人物はきっと、大物ではない。

『 編集後記:』

長編映画のSCRIPT(映画脚本)、開発作業がはじまった。
世界一時停止よりも前までに3度も停止した、プロデューサーに愛されない作品だ。本作は、映画のフォーマットから逸脱しており、リファレンスを示すにも類似企画がみつからない。ただし、“オリジナル”な風ではあるが当然、そんなことは不可能だ。

映画のプランニングに重要なのは、“言葉で伝える”ことだ。だがわたしはリファレンス作品を用意できず、求められた“映画的な改変”にも、納得できなかった。参考映画を一切、示せなかったのには理由がある。本作のコンセプトは映画ではなく、「報道」であった。更にはその報道の裏側、“一次情報”という点を集めて線を描き、面を求めてストーリーを紡ぐ現場に注目していたためだ。

映画人は、報道の現場を知らない。飛び交う情報の弾丸に身を削りながらそれでも臆することなくミッションを遂げる、プロフェッショナルたちの現場を。ならばこそ描く価値があると信じてわたしは、セルフプロデュースを選んだ。ベストではないが、二度と“停止”は無い。

国際的な巨匠ジャーナリスト、物理学博士、医学博士、エンジニア、メディア、事業家、アニメーター、アーティストが集結し、“実写映画”を生み出そうとしている。SCRIPTの開発作業にはまだ、時間がかかるしかし、1年前とは状況が、世界が違う。本作の製作プロセスは都度、開示する。

本作は俳優のみならず、多くの本業、
プロフェッショナルたちが集結する本物、「最初の現物」である。

映画は“劇場公開”からの公表ではなく、その制作過程はもはや当然として、“企画の開発段階から”もう、情報が開示される時代になっている。
わたしたちは、時代に則する。

独創性を求めず業界常識に依存せず、在るがままの最先端な映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。





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