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【 第一線アニメーターが、コミックを描く ③ 】:イメージ共有できるのか

アニメーション業界の作画と、実写映画界の演出。
異なる2つの業界が生み出す「コミック」の世界。前代未聞のプロジェクトは互いの業界常識を越え、イマジネーションを共有することができるのか。

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太一(映画家):アーティスト業界情報局
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 企画会議は、混沌から 』

ふたたび早朝07:00より、
第一線で活躍する現役アニメーターとのオンライン企画会議がはじまった。NETFLIXオリジナル「YASUKE」(※04月29日配信開始)を終えた直後らしい。雨薫る朝だったが夜通しの我々はすがすがしさも余所に、本題へ。

タイトルは、まだ決めていない。
仮題として「XXX」としている。

「第一線のアニメーター」が描く「コミック」を、「実写映画界の監督」が演出する企画だ。最先端の国際映像製作スタジオNOMAに所属するメンバー同士ながら過去にたった一度だけ、JAXAのブランデッド ムービーに参加願ったきりで、他に共作はない。

『 シンプル、という強さ 』

互いの近況を探る肩慣らしの情報キャッチボールに、口火を切ってみる。

「この作品“XXX”は、何かに似るのかな」
「似ますか? 前例がないですからね、この座組みは」
「そうだね。アニメと実写映画が組むのに、創るのはコミック。無いね」
「しかも、本物の映画俳優に演じて貰うんですよね。それは楽しみだけど」
「そうだね。アニメーター本人にカメラを担いで貰って、演者の空気を切り撮ってもらう。もちろん、プロたちも撮影してるから心配はいらない」
「心配ですよ。似るんですか?」
「ん?」
「他の作品に似るなら、負けだとおもいます」

アニメーターは時に、シンプルな言葉を選ぶ。
一気に間合いを詰められるとわたしは手の甲に、チクッと刺激を感じる。
ワクワクがはじまる。

『 アニメーション業界の情報共有 』

アニメーターたちの言葉は、直球だ。残酷ですらある。
もちろん彼らに悪気があるわけではなくむしろ、相手を想っての判断だ。結論から文脈を説く、英語圏の社会人と似ている。

しかし、留意する必要がある。
彼らは、自らを説明することに、まったく慣れていない。
全身アーティストの彼らは常に作品の中から互いを観察し、情報を共有している。“会議”、ではなく。

具体的には、第一原画から作画監督を経るループの中で、一枚づつの“絵”、その周囲の空欄に単語レベルの手書きメッセージを添えながら、この絵を受け取って作業を続ける次の相手に、情報を送っている。まるで“文通”だ。自分たちが受け取るのもまた、この“手書きメッセージ”なのだ。

『 絵と言葉 』

一方、
我々実写映画業界の人間たちは、膝をつき合わせて言葉をつむぐ。オンラインであろうと顔を見ながら、「たとえ話」を駆使して、情報共有を図る。

時には映画監督でありながらまるで“弁士”かと想えるほどに、言葉が達者な人物も珍しくは無い。巨匠の発した一言一言が名言扱いされて、取り上げられるのも理解できる。映画監督は、たとえ話のプロフェッショナルだ。

「絵」と「言葉」、
アニメーションと実写映画の共同作業には先ず、“共通言語”を求めねばならないことに気付いた。探すしかない。このまま突き進める作業量では、無いのだから。

『 このコミックの正体を探す 』

急げ。いま言葉の球は、実写映画側の我が手にある。
緊張に、顔面がヒリつくのを感じる。

“ヒントを読み解け”、心がそう言っている。
これはわたしが日常的に行っている、雑な思考法のひとつ。

「他の作品に似るなら、負けだとおもいます」

相手の言葉には必ず、意図がある。
意図の裏には必ず、本心が隠れている。しかし、意図と本心がイコールであることは少ない。相手の言葉が本心では無い。本心を探せ。

わたしは、アニメーションと実写映画の互いから等距離にあると想われる「写真」と「絵画」を例に選んで会話を続けた。

「写真」には、アンリ カルティエ=ブレッソンと木村伊兵衛の両巨匠のストリートスナップについて。「日常の中から切り取っているようにみせる“演出”、それは罠を仕掛けて獲物を捕らえる技術。偶然や奇跡などではあろう筈も無い、直感と次の瞬間を読む技術が生んだ成果なのだ」とぶった。

我々のコミック「XXX」に、
“ナチュラルに見える演出”が効果的かどうかを、確認したわけだ。

『 アタマを放棄せよ 』

次に「絵画」を。ミケランジェロと葛飾北斎の、創作に対するストイックさを照らした。「若くして才能を証明した天才ミケランジェロはパトロンからの要請に終始苛立ち、傍若無人な人柄から生涯孤独であった。一方北斎は晩年に己を“画狂老人卍”と名乗って妖怪を自負する奇人。金銭に無頓着で創作以外に無関心、礼儀作法の逆を生きた化け物だ。どちらも“鬼”だとおもう。どうかな?」などと。

「XXX」に、
“業界常識を捨てて没入”することを理解するかどうか、確認したわけだ。

アニメーターの返答はまた、シンプルだった。
「どう描くか、決められないですからね、どうせ。“描けるかどうか”なので。ペンが走らなければまぁ、それっぽく描きます。良くはならないです」

わたしは、アタマを使うことを放棄した。
この戦いに必要なのは、心の声、それだけのようだ。

会議が続く。

あぁ、ところで。
まだ日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際News:次の脅威!出版社が、映画化に効果的なコミックの採掘競争を激化

「コミックは、何世代にもわたって生きるIP.(知的財産)を生む理想的な媒体です。」MARVELを破産から巨人へと導いた編集長アクセル アロソンが断言する。アロソンは更に、潜在的な投資家やビジネスパートナーにとって魅力的な新興出版社の代表を兼任している。アロソンの出版社Artists, Writers & Artisansと競争相手たちは、従来のコミックよりも、シンプルな原作に焦点を当てている。これらの作品はビッグネームの作品と比べれば小さいが、映画やテレビには最適であり、むしろ打ってつけだ。キアヌ リーブスが共同製作した「BAZRKR」の大成功シリーズ以来、出版社はコミックをリリースしないうちに、映像化の製作契約を結びはじめている。編集長のアロソンは断言する。「IPホルダーとして出版社がこの映像化事業の分野で本当の成功を手にする唯一の方法は、コミック、その作成者、そしてそのファンに対して、忠実であることです。近道はありません。」パンデミックさなかに超大作の製作停止や劇場公開延期が相次いだ背後で、出版社とスタジオは、インディーズ出版社のコミックタイトルの争奪戦を行っている。「魅力的なコンセプトとストーリーが無ければ、メディアは生きられない。コミックが求められている。企業が、映画、テレビ、ゲームを創るために」- APRIL 16, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 編集後記:』

“コミック”の歴史は古い。むしろ、我々のような他業界の人間たちが参入することは許されないだろうしかし、時代が動いている。コンテンツ不足の波は、駄作と奇跡を生む。我々は奇跡を信じず、全く新しいソリューションを生み出そうとしているそれは“コミック”という形を借りた、
「映画」である。

紙とレンズの先に続く、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。


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