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『学校の「当たり前」をやめた。』を読んで.

昨年12月に発売された書籍,

『学校の「当たり前」をやめた。』

をこの年末年始に読了し,同じ東京都の教員として思ったことや考えたことなどを記録したくなったので,ここに記録しておく.

ところで,この本の著者である麹町中学校長の工藤さん,地元が私と同じ山形県!(それで,今回の帰省の折に山形県鶴岡市の書店でたまたまこの本を購入したのだが,地元出身などのポップは特になく,普通に陳列されていた…)

本を読み進めていくと工藤さんは以前,私と繋がりが大変深い教師がいた学校にも赴任していたということで,「世間は狭いなぁ」とつくづく感じるとともに何となく不思議なご縁を感じた.

さて本書の内容だが,やはり買って読んでいただくことが一番と思う.

しかし,それではこの記録が何の役にも立たないので,全体の概要をかなり掻い摘んで紹介し,かつ共感する部分は取り上げつつ,批判したい箇所について素人ながらに勇気を出して批判したいと思う.(批判箇所については,アカデミックな視点で記述しきれていないことを自分でも重々承知なので,ぜひ寛大な気持ちでお読みいただき,「それは違うんじゃね?」と言った建設的なご意見もいただければこの上なく有り難いです.スピード感も大事だと考えるので,後日大幅に修正する可能性もある点も踏まえつつ…)

本題に入ろう.

本書は第1章で,「宿題や定期考査の廃止・固定担任制の撤廃」,「運動会を生徒会主催で行う」等,これまで長年,学校教育で踏襲されてきた,いわゆるお決まりの学校行事や校則について,「手段ばかりに意識がいって,本来の目的を忘れてしまっている」点にメスを入れ,改変に至るまでの経緯や取り組みの成果について綴られている.

どの内容も私としてはおおむね共感でき,少し個人的なアレンジはあるものの,
既に実践している取り組みや次年度から自校でも導入を計画しているものなどがあった.

「冷静に考えれば,そうだよね」という事柄に対して,残念ながら未だに「これまでやってきたことだから.」とか「伝統だから(←「伝統」という言葉の解釈を誤っていると思う).」となかなか耳を貸そうとしない教員も少なからずおり,そのような諸先生方に対して,どう「ご納得いただくか」日々頭を抱えているのだが,工藤さんはどんな相手でもとことん対話し,上位の合意形成を図ることを大切にされているとのことで,その真摯な姿勢は見習うべきと感じた.

第2章では「手段の目的化」と題し,『手段の目的化こそが学校の課題である』と論じている.第1章にもあるような旧態依然の学校の当たり前に対して,どうロジカルに前向きに改変するか,「いじめ調査」や「不登校」の事例を取り上げつつ,第1章よりも深く掘り下げながら議論を展開している.

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