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浅間山の麓から 第4話 サラリーマン時代を振り返る「能力と出世」の話

「能力と出世」の話

40年近くサラリーマンとして競争社会で働き、今少し客観的に思うのは、能力があるだけでは出世できないということだ。

私は人事を長くやってきた。仕事柄ものすごくたくさんの面接をした。その数は3000人を超えるだろう。また、多くの能力のある人を見てきたし、人の出世(処遇)に関わってきた。その中では、能力があると思う人でも偉くならないケースもたくさん見てきた。

能力があるということはもちろん出世(処遇)の上で重要な要素の1つだが、それだけで出世できるわけではない。出世する時には仕事ができること以外の様々な要素が影響する。

例えば周りの人との関係、タイミング、会社の思惑、家庭の状況など。これらを”運”と言ってしまえば「出世には運の存在が大きい」と思う。例えばある上司が辞めなくてはいけない個人的な事情があった場合、その後釜は身近な人で埋めることがある。すぐ辞めなくてはいけない場合、その人は身近にいる人を後任として強くプッシュする。そのほうがことが円満に進むからだ。

出世(処遇)においては、力のある人の意見が選考プロセスにおいて大きな影響を持つ。採用と違って人事異動は、そのポジション周辺の当事者たちの色々な事情がある場合が多い。

私がいた外資企業においては、日本側と本社側が一緒になって評価をするので、言葉や文化の違いも合わさって尚更このようなことが起きやすい。本社からは細かい事情が見えないからだ。運も実力のうちという言葉がある。むしろ運こそがその人の将来を決める大きなファクターではないのかと思う。

もう1つ大きなファクターは、出世(処遇)に関わる当事者の価値観だ。出世するためには当事者が出世したいという意欲を強くもたないといけない。

出世には責任の増大が伴う。ただ給与条件が良くなるということではない。その重荷を受け止める覚悟が必要だ。例えば、出世したいという意欲が強くない場合、何となくそのことが発言に出てしまう。出世の条件としてどこかに異動しなくてはいけないとか、そうでなくても何らかの条件がでた場合に前向きに受け入れられるかどうか。結局、その人が岐路にあたってどんな考えを持っているかが大事なのだ。

そもそも出世することが個人として良いことなのかどうかという議論もあるだろう。サラリーマン生活に何を求めていくのかが問われている。もちろん、仕事をする以上向上したいと思うのは当然だし、能力を最大限発揮したいと思う。多くの人はこのことに自己承認欲求の達成を求めている。だからサラリーマンである以上、出世(処遇)の問題は避けて通れない。

個人的なことを振り返れば、自分のサラリーマンとしてのヒストリーにも色々な出来事があった。言えることは、良いも悪いもなく、自分はこういう道を選んできたのだということである。その自覚があれば後で後悔しないだろう。100人いれば100人の物語がある。



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