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僕のご都合主義の当事者性に。@おの

みなさん、おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。
T A I D E Nのおのです。

さぁ、休読日です。サクッと休んでくださいね。
僕もお盆明けでなんだか疲れてしまったので、
今日はいつもよりも言葉を少なく、
吐き出そうと思います。Let’s休読ですよ。


ここ数日、夏なのになんだか寒い日が続いておりますね。
オリンピックの熱気とともに、なんだか夏が去ってしまったような感覚に陥ります。

ミーハーな僕はなんだかんだ言って、
オリンピックでの日本代表選手のみなさんの活躍を拝見して、すごく胸が熱くなりました。

あんな大きな舞台で、あの重圧に耐えられる精神も、
あの舞台に立つために血の滲むような時間を積み重ねてきた努力も、
その一瞬一瞬に全力を注ぐことができる集中力も、
文化祭のスポットライトすら緊張してしまって何もできない僕には、
何一つ持ち合わせていないものでした。

オリンピック開催の是非については別途議論するべきだと思いますし、僕が何を言ったところで何にもなりませんが、出場された全アスリートに、困難な状況の中でやり遂げた運営とボランティアスタッフの皆様に、心の底から敬意を表したいと思います。

さて、改めてですが、今週のテーマは「五輪」。
冒頭にも書きましたが、オリンピック閉会式が終わってなんだか夏の終わりを迎えてしまったような雰囲気が漂ってますね。(僕だけでしょうか)
僕自身、これまで仕事として五輪に触れる機会も何度かあったのですが、広告物にオリンピックの文言を入れるためには、下記のようなハードルがあります。(簡単に。)

①広告主が大会のスポンサー企業であること
②広告物の最終的な意匠を大会組織委員会に提出し、承認を得ること。

正直めちゃくちゃめんどくさいので、仕事としてはもう関わりたくありません。

ちょっと脱線しましたが、その際「五輪」ではなく「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」と正式名称で書くように組織委員会から指摘を受けます。
そもそもオリンピックのことを「五輪」と略称し始めたのは古く1936年からなんですって。(僕も今回知りました。)

オリンピックを五輪と呼んだ最初の人は、元読売新聞社の記者でありJOCの委員をつとめてこともある川本信正氏です。日本がオリンピックに参加したのは、1912年のストックホルム大会からですが、日本でオリンピックのことを五輪と言うようになったのは、1936年のベルリン大会の後から。ベルリン大会後、オリンピック関連の記事が増えた際に、「オリンピック」の6文字を略すことができないか、と、当時、読売新聞の運動部記者であった川本氏に紙面編集の担当者が相談してきたことがきっかけとされています。
川本氏は、オリンピックマークの5つの輪と剣豪宮本武蔵の著「五輪書」から考案した「五輪」という日本語表記を考案。「五輪」以外に、「国際運動」や「国際運競」、「万国運動大会」といった表記も検討されたものの、担当者が「五輪」を気に入り、1936年8月6日の紙面で使ったそうです。
読売新聞だけでなくほかの新聞社も、五輪という日本語表記を使うようになったことで「オリンピック=五輪」が定着したとされています。
https://halftime-media.com/sports-market/olympic-symbol-meaning/

ここで思ったのは、すごく当たり前かつ今更なんですけど、
僕がオリンピックを語る時には、文脈的にパラリンピックを内包、無意識に省略してしまっていることが多かったなと振り返って思ったんです。でもよく考えたら、パラリンピックのマーク「スリーアギトス」って全然5つの輪じゃないんですよね。でも今回、別にオリンピック・パラリンピックの歴史について語りたかったわけではないんです。笑


ただ、シンプルに、
いつも当たり前だと思ってたことって、全然当たり前ではなくて

自分の中にある無意識の優位性の観点から物事を見てしまうこと。

自分がどのような状況にも置かれる可能性や危険性を孕んでいることを忘れて、今いる立場からだけ物事を見てしまおうとすること。

そんなシーンが僕の日常生活には溢れてるんだなと改めて感じる出来事でした。

あるいは、無意識のうちに考えることから逃れて、何も感じないように見てみぬふりを、心に蓋をしてしまっていること、と言ったほうが適切なのかもしれません。

さらに言えば、オリンピックに沸いたこの期間だけ、日本国民というアイデンティティを消費してしまうような自分がいたなとも思います。

全ての選択に想像力を持つことは難しいと思うし、たぶん不可能でしょう。
でも、僕は一人の人間として、どんな時でもその言動や判断に自分自身の当事者性を忘れたくないと思ったんです。

僕が僕であるために、僕自身が何を選ぶのか、
誰のどんな苦しみや痛みに、嬉しさや喜びに寄り添えるような人間でありたいのか、僕が選び取っていきたいと思った。

そんな瞬間でした。

こんな、ご都合主義の僕の当事者意識に。
怒りと親しみと自戒を込めて。



いつにも増して意味不明な文章になってしまいました。
このテーマはまたの機会にしっかりと文章にしたいなと思いました。

今週は本当に休読日和だったのに、読んでしまってもらってすみません。
今週で決心はついたはずです。来週は絶対に休読しましょう。
それでは。

ぶん:おのこうた。

P.S.
昨日のわっせのnoteが素敵(表現が正しいかはさておき)だったので、ぜひ多くの人に読んでほしいなと心から思いました。そのnoteを読んで思い出した記事を貼っておこうと思います。
https://d4p.world/news/2775/
改めて読むとかなり今回影響を受けているなと思います。

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