ウドの大罪

 頭を使わずにお金を稼ぎたいと、バカな私は思いました。とにかく頭を使いたくない。なぜなら私はバカだから。ほら、もう同じことを二度も。私はほんとにバカなのです。
 私は勉強がちっとも出来ませんでした。物覚えも悪く、学校に居残って補習を受けても、授業に全く追いつけませんでした。クラスのみんなは私を笑いました。でもそれはまだ嬉しかった。笑うのはいい事です。でも大人になってゆくにつれて、笑ってくれる人は居なくなりました。なぜでしょう。私には分かりません。
 なぜ頭が良くないと豊かな生活が出来ないのでしょう。私は身体がとても大きいです。今まで私より大きな人間に出会ったことはありません。でもどうやら、人より身体が大きくても豊かな生活は出来ないようです。なぜでしょう。これも分かりません。
 ウドの大木、という言葉があります。何十回と言われた言葉なので、意味までしっかり覚えています。大きいだけの役立たず。結構ひどい言葉です。でも知識を一つ得られたというのは、私にとっては喜ばしい事でした。
 それにしても、仕事というのは沢山ありますね。数えきれないぐらい仕事を転々としてきた私でも、まだまだやったことのない仕事が沢山あります。でも、そのほぼ全てが私には向いていないのだと分かります。それは、頭を必要としているからです。どうして仕事はありふれているのに、どれも頭が良くないと出来ないのでしょう。私にはやっぱり分かりません。
でも最近、こんな私でも続けられている仕事があります。
 石を、運ぶのです。
 山の上に沢山転がっている、大きな石(あるいは岩かもしれません)を一つ選んで、日暮れまでに先にある大きな池(あるいは湖かもしれません)に運び、それを落とすのです。これは頭を使わずに出来る、いい仕事でした。給料は出ません。ただ石を運んだ後には、私がお腹いっぱいになるまでご飯を食べさせてくれます。そして暮らすには十分すぎる小屋を貸してくれ、毎日ぐっすりと眠ることもできます。これは紛れもなく、豊かな暮らしでした。山の上なので、人は居ません。料理を用意してくれたり、小屋を貸してくれる「おーなー」という名の人物がいるだけです。おーなーは頭が良いです。会うのは食事の時だけですが、その時によく話をしてくれます。私はバカなので、おーなーの話している内容が理解できないことも多くあります。それでも、おーなーは怒ったりしませんでした。優しい人です。そして私のことを、初めて必要としてくれた人でした。
「これは君にしかできない仕事なんだよ」
私は毎日毎日、大きな石を運び続けました。

 私は今日も、石を運んでいました。ただ、いつもより石は大きくて重いです。太陽が近くて汗がいつも以上に出ていますし、何度も休憩が必要でした。時刻は分かりませんが、いつもより時間がかかっていることは間違いありません。日暮れまでに運ばなければなりませんが、空は既に赤くなり始めています。私は焦りました。今まで一度も間に合わなかったことはありません。もし間に合わなかったら、おーなーは私をどうするのでしょう。私はおーなーには怒られたくはありませんし、この仕事を辞めたくもありませんでした。池への一本道に、ただひたすらに石を押していきます。途中で、石を転がすと楽に運べることに気づきました。これは発見でした。なぜ楽になるのか、私には分かりません。でもそれはすぐに道を逸れて行くので、いちいち道の上に戻す必要がありました。なぜ逸れていってしまうのか。それは多分、私がバカなのでしょう。
 私は全ての力を振り絞りました。結局転がすのは止めて押していくことにしましたが、それは転がすより力が要ります。途中から腕も足もふるふると震えてきました。道を囲む木々からは、風に揺れる葉っぱの音と虫の声が聞こえてきます。私はそれに癒され励まされながら、夢中で石を押していきました。この仕事を一生続けるのだと、強く思いました。
 そしてようやく、池にたどり着きました。水面がオレンジ色に輝いています。もう大丈夫だ、と思った途端に力が抜けてしまいましたが、まだ仕事は終わっていません。池にそれを落とさなければなりません。この仕事は何のためにしているのでしょう、と食事中に一度、おーなーに訊いたことがありました。するとおーなーは嬉しそうな顔をして、長く丁寧に説明をしてくれましたが、横文字や難しい言葉が沢山で、私にはとても理解が出来ませんでした。でも、おーなーがそんな嬉しそうな顔をするのなら、私はこの仕事を一生懸命に頑張ろうと、その時に決めたことだけは覚えています。私は、重りのようになった腕に今一度力を込めて、自らの体重も使って石を押し出しました。
 そして遂に、石を池に落とすことに成功しました。
 石は飛沫を上げて池に落ち、それが身体に掛かると何とも幸せな気分になりました。これで今日の仕事は終わったのです。でも、もう立ち上がることが出来ませんでした。家に帰らなくてはなりませんが、とても身体が動きません。うつ伏せに倒れたまま、さあどうするかと考えていました。自然と、瞼が落ちてきました。眠るのはいけません。頑張って帰らないと。そう考えている間にも瞼は重さを増していきます。私は顔を上げ、身体を引きずり、池に手を突っ込みました。それはとても冷たく、一瞬でぱちりと目が開きました。水に触れている間は、何かと幸せな気持ちがしました。私の身体は土で大いに汚れています。熱っぽくて、汗もかいています。私は、池で水浴びをしようと思いました。
 地面に這いつくばったまま身体を少しずつ回転させ、右足から池に入れていきます。すると溜まった疲れが、じんわりと池に溶けていくのが分かりました。つま先を伸ばして底を探しますが、どうも見つかりません。この池はだいぶ深そうです。ただ、私は誰よりも身体が大きいので、溺れることはないと思いました。ついに両足を池に入れ、底に足をつけようとしました。
 私は、ドボンと池に落ちてしまいました。
 それは宙から落ちるようでした。見る見るうちに揺れる水面が離れていきます。それに、底がありません。池に底が無いことを、バカな私は知りませんでした。もう上と下が分かりません。光も見えません。息もできません。闇の中からひたすら苦しいが押し寄せてきます。おーなー。私は足掻いているつもりで、名前を叫んだつもりでした。でも光も音も、届きません。おーなー。おーなーの嬉しそうな顔がふっと浮かんで、すぐに消えていきました。

………………………………………

 私は、生きていました。何が起きたのか、バカな私には分かりません。気づいた時には、大きな橋の下にいました。すぐ横には流れの速い川が音を立てて流れています。全く見知らない場所でした。そして私は、人を殺してしまいました。人が、私の下敷きになっていたのです。身体を揺すって、声をかけてみましたが、すでに死んでいました。私は怖くなってその場から逃げ出しました。何でこんなことになってしまったのでしょう。おーなーはどこにいるのでしょう。空を見上げましたが、池はどこにもありません。ただ、青空に千切れた雲が浮かんでいるだけでした。おーなーは、困っているはずです。おーなーは私を必要としていました。それを思うと寂しくて可哀想で涙が出てきます。私は硬い道路の上に立ち、どこかも分からないおーなーに向けて裸足で駆け出しました。

 「ぼす」が、笑っています。暗い部屋の中、長いテーブルの端に座って、ぼすは向かいの男と話をしています。何を話しているのか、バカな私には分かりません。そしてそのテーブルの周りを、スーツを着た男たちがぐるっと囲んでいます。私は、ぼすのすぐ後ろに居ました。私は今、与えられたスーツを着て、与えられた革靴を履き、言われた通りに背筋を伸ばし、手を後ろに組んでいます。
 あれから私は、「ぼす」という名の人物に出会いました。ぼすは路頭に迷っていた私に声をかけ、さらに仕事まで与えてくれました。それは、朝から晩までぼすの側にいるというもので、頭を使わない、いい仕事でした。給料は出ません。ただ、毎食特別美味しいご飯が出て(量は少し物足りませんが)、ぼすの家にある空き部屋を貸してくれ、毎日ぐっすりと眠ることもできます。紛れもなく、豊かな暮らしでした。私はぼすが好きです。私がおーなーを探していると言うと、ぼすはきっと見つけてくれると言いました。優しい人です。ぼすからは、おーなーと似た匂いがしました。


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