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引退

お久しぶりです!!

今日は引退してしまった学生サッカーについて記したいと思います。というのも、せっかくのア式での4年間を今記さないと色々と忘れてしまいそうなので。
春からは振り返るより突き進む、忙しい毎日にしたいです。

そして、本日。
晴れて、早稲田大学スポーツ科学部の卒業が確定しました、ピース。
社会人まで1ヶ月!
宙ぶらりんな時期だからこそ、適当に記します↓↓↓




もう3月ですが、
1月21日にカラッとした冬空のもとで、大学サッカーの聖地・西が丘にて、全国ベスト4で、僕のア式は死にました。半分くらい死んだ気持ちで試合に挑みましたが、悔しい悔しい最期でした。#fuckcovid19

学生サッカーというのも、すでに社会人サッカーを新たなチームに加入し、始めているからです。(オフってる暇はありません)
それにしても、刺激的な方がたくさん居て、感心します。地方から金曜の夜に飛行機や新幹線でTOKIOに来るんですからね。それで、日曜の最終で地方に帰るみたいな、アツ苦しく1stを追求するような、まだまだ良い意味でア式に縛られた生活を送っています。

・なぜ、早稲田ア式にきたのか
・どんな4年間だったのか
・これからどのように生きていきたいのか


なぜ、早稲田ア式にきたのか

振り返るにあたって、ここから始まると思っています。なぜ、ア式へ?

サッカーとは、不思議な縁と運が巡り巡るスポーツだと思っています。
僕が早稲田ア式にきた、これた理由は、「早生まれだったから」ここまで遡ることになります。

もうじき、ようやく22歳になりますが、早生まれなことで損をしたような気になることもこれまでは多かったです。
「誕生日おめでとう」は万年オンラインだし、大学入学前に免許取れなかったり、昔は体格的に劣っていたり。

それでも、人生の転機は、「早生まれ」でした。高2の夏に出場した国体での優勝。これが人生を大きく変えました。
国体サッカー少年男子というのは、16歳以下に出場資格があり、各県基本的に高1主体でのチーム構成となっているんです。プラス、早生まれの選手が高2でも出られるというレギュレーション。しかも、決勝戦は順位を決めないというレギュレーションのため、引き分けだったにもかかわらず、「同県優勝」というね。
なんちゃって日本一、とみんなからイジられました。

また、当時の国体監督は、僕が中学進学時に「泰平、ごめんな。お前をジュニアユースにあげることはできない。」と肩を叩いたコーチでした。小6で嫌いになったコーチとともに高2の国体で日本一になりました。気を遣ってくださったのか?「泰平、キャプテンやってくれ。」と言ってくれたのは、自身の成長を実感できた瞬間でもありました。5年越しに好きになったコーチは今どこで何をしているのだろう。

この「なんちゃって日本一」という競技歴をひっさげて、お得意のお喋りと練習した文章力で面接と小論文をパスして、早稲田ア式に入りました。

そして、なぜ、早稲田スカウトの目に留まったのか?これまで不明でしたが、今回聞いてみました。

「早生まれ、高体連、主将」この3つが気になったそうです。

希少性とでもいうんですかね。Jユース主体のチームに、早生まれで根性系DFとして加入するのは、確かに苦しいものがありました。その中で、どう考えて行動するのかって、イジられ役にあえて回ったり、何でも率先してやったり、逆にペコペコしてナメられる、その辺が上手く回った感じで結果が出ました。

これは、社会人になっても一緒だったりしそう。
即席チームで何かを推し進めたり、異動ももちろんあります。その人その人で接し方や伝え方は異なってくるだろうし、その場その場で適切な自分らしさを表現しないといけないと思います。
誰かに似せるときと似せないときを上手く使い分けるためにも、色々なことに行動で挑戦してその都度調整していきたいと思います。まずは、質より量で幅広く感じていきたいです。

そういえば、国体サッカー成年男子ってありますよね。
今の僕の目標は、そこです。仕事しながら週末は都1部でサッカーやって、チームの目標達成に貢献した上で国体出て優勝したい。
少年男子と成年男子で優勝した人ってそんな多くないだろ!
目指す価値はあるだろ!
どっちも同県優勝って人はレアすぎるだろ!


どんな4年間だったのか

一言では上手くまとめられないけれど、

「1stになれなかった4年間だった」と思います。

僕がよく言う「waseda the 1st」(大好きな言葉)は、決して優勝とかスタメンとか、そういった意味だけではありません。真意としては、サッカー選手である前に、一人の人間として常に1stを体現すべきだ、といった早稲田くさい意味があり、そこに惚れました。
重要なのは、1stになれ、ではなく、1stであれ、という点です。1stに程遠いようなヤツでも1stになろうとすることはできる、そうでなければ、いつまで経っても1stにはなれないんだぞ、というね。悔しくて反吐が出ていた1年目には、この言葉がなかなか理解できなくて。
時間をかけて、この言葉を理解してから、僕は前に進むことができました。

常に今の自分を誇れるような姿を自身が認知できて生きられれば、それはどう考えてもかっこいいな、と。


一年目は、先述の通り、目先の1stに囚われ、自分自身が1stになるために行動した結果、チームが1stを獲った裏で、僕は一番下のチームでワーストしてました。

二年目は、外池イズムにハマって、少しだけ自身の強みをチームに活かせる気がして、チームと自身、双方の1stを上手く行き来することができました。意図的に意思を持って囚われ、その狭間で戦い続けた結果、関東リーグ1部優勝。おもろいシーズンでした。外池さん、あっぱれ。

三年目は、チームも個人も安定期に入った気がしてしまって、変化に変化を加え、イレギュラーですら変化と無理に捉え、目を逸らし続けた結果、「歴史的残留」という造語を外池さんがつくってしまうシーズンになりました。個人としても絶対的な存在になれるわけもなく、13試合出場。ハンパもんを体現しました。

四年目は、三年目があったからこそ、同期で議論を重ね、チーム的には総じて悪くなかったと思います。それでも、1stにはなれなかった。ちょうどなれなかった。シーズンを通して、やり切れた気は100%ではしていないし、余力というか「もっとやれたかな」と思います。
ア式には何も残せず、ア式から自身に「これからの人生で1stになれ」と課され、引退しました。


これからどのように生きていきたいのか

1stでありたいな、と思います。
waseda the 1st は人生において大切な言葉です。
そして、挑戦的に生きていきたいです。

入社予定の会社には、早稲田ア式の先輩に導かれたようなもので、まだまだサッカーの縁や運に左右されることもあるかと思います。
サッカーがここまで繋いでくれた人生をいよいよ自分の足で歩んでいくことに!!

何歳まで働くことになるのか、考えるだけでこれまた反吐が出そうです。

それでも、サッカーを始めたあの頃に目指した「プロフェッショナル」を違うステージにはなりますが、目指していきます。
信頼を得ては失って、トライにはエラーがつきものであるということをサッカーが教えてくれました。
挑戦的だからこそ、時に見せてしまう失態。
それでも、見せてしまった失態があるからこそ、今度こそは、とまた一歩を踏み出せるのです!!


仕事で言う「プロフェッショナル」って何だろう?って話は、新卒の若造が考えることではないのかもしれません。目先の仕事をしっかりとこなしていくことでしか次は見えてこないですし、そのくらいコミットして積み上げていきたい!
サッカーを始めた時もまずはリフティングからってね!


早稲田大学ア式蹴球部は、再び、僕の人生を変えてくれました。

サッカーではないステージへ、また成長できそうなところに連れていってくれました!ここからが本番!サッカーで創られた自分自身を社会で発揮して、誰かに還元する時がやってきました!誰かの明日への活力になってみせます!


今後とも、よろしくお願いいたします!

工藤泰平

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