末寺の末事 74
着地地点、事の顛末、目的地、結果。何でも良い、何と表現してもかまわないが、やっぱりそこが具体的にならない限りに於いて、「恩」もまた具体性が見えない。
それが「恩」なのか、はたまた「仇」なのか、「有ること難し」なのか、「謝を感じる」のか、満ち足りて穏やかに安らぐ心なのかどうなのか?よくわからない。
仮に仕組みや法則性が、部分的にでも理解できたとしても、その心がわからない。自分には心があるのだろうか?よくわからない。
「なんぼう考へてもおんなじことの落葉ふみあるく」「どうしようもないわたしが歩いてゐる」「分け入つても分け入つても青い山」
山頭火は放浪の果てに、心を見つけられたのだろうか。
性悪説なのか?どうしようもない自分を知らされる度に、感謝できなければおかしいはずなのに、よくわからない。僕には性善説のような仏性は具わってないということか。
「恩」を知りたい。
to be continued
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