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雨の、次の日

昨日の日曜日。
休みだったので午前中にいつも歩いたり走ったりしている川縁の散歩道に向かった。
前日の雷雨の天気から一転し、青空が広がり、夏かの如く気温も上がっていた。


川縁に向かうまでの公園を歩いているときに、いつもの晴れた朝。
というわけではないということを感じた。

はじめは僕の心が、曇りや雨の天気が多くて久しぶりの太陽にただ喜んでいるのだと思ったけど、それは僕だけではないと木々や鳥たちから、散歩道にいるすべての生き物たちからも感じられた。


わたしの出番だっ!!!!!と言わんばかりに、生き物の輪郭がいつもより濃いのだ。

それはきっと雨というのは恵みであり、生き物にとって不可避な受け取るタイミングなのかもしれない。
受身であるうちに蓄えたエネルギーと充電した心、水という、水分という潤いをもらったその身体で、生き物はその心が欲するところに身体を使って、全身でめいっぱいこの世界を味わっている。



何かの制約があって動けない時期があったからこそ、さぁ今からこの世界を味わうぞ、という背筋の伸びた前向きなエネルギーを、公園の、川縁の自然から感じたのがいつもの晴れた朝と違うと思った理由だったのかもしれない。

そして僕も全体の一部であり、いることを許され、許している、包まれているような感覚は、人と人工物がほとんどの都会で感じる幸福感とはまた違う種類のものでありました。

おそらくきっと両方が人には必要で、行き来とどのくらいのバランスかが重要で、それをじぶんでわかっていること、選べることが、じぶんの、人としての、生き物としての健康と幸福感に関係しているような気がするのです。



今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
「ぼくの地球を守って」という漫画を今読んでいるからか、植物にも意識が向きます。

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