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赤ずきん

昨日更新のnoteで童話を出したので、今日もそのノリで童話について書きたい。

ほんとうに実がなくて申し訳ないのだけど、赤ずきんって他の童話と違って色気のある童話だと思っていて、それは僕には赤ずきんと狼の会話は男女の駆け引きにしか見えなくて、狼は大学生の男子、赤ずきんは経験豊富な女子高生というような力関係に感じて物語を読んでしまう。

狼は終始主導権を握っていると思い、赤ずきんの質問に答えながら、気持ちを高ぶらせ、赤ずきんに噛みつく瞬間を今か今かと狙っている。

おばあさんが狼に替わっていること、狼の敵意、これに気付いていなければ、赤ずきんはほかの多くの童話と変わらない。
善と悪、みたいなシンプルな構図だが、赤ずきんの童話に漂うのは、赤ずきんが自分を食べること、傷付けることを誘導しているかのような赤ずきんから香り立つ幼さ故の好奇心から来る危なっかしさや、身を滅ぼすことも厭わないデカダンスな姿勢から来る魔性だ。

この物語の主導権は、狼ではなく、間違いなく赤ずきんにある。

これを読んでいる方が、男性でも女性でも一度想像してみてもらいたい。

「おばあさんの目はどうしてそんなに大きいの?」
「お前がよく見えるようにだよ。」

「おばあさんの口はどうしてそんなに大きいの?」
「お前を食べるためだよ。」

なんだか純粋に訊ねている、というよりは、ピロートークのような艶ぽさを感じてしまうし、声に出すと余計にそう感じてしまう。

赤ずきんという物語が残っているのは、性の気配のするお話しであること、かつ善悪や強弱といった単純化された二元論で語れない人間の複雑で不安定な、どこか矛盾した曖昧さを含んだお話しだからこそ、現代においても読み継がれているのではないかなぁ、と僕は思って今日まで過ごしてきましたが、皆さまはどうですか?という話しでした。

最後まで読んでくれてありがとうございます。
実がないと書いて、本当に実がないのに、これを最後まで読んでくれたあなたはほんとうにイイ人な気がします。
素晴らしい1日になりますように。

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