酒井泰幸

和歌山県那智勝浦町の色川地区でフォレストガーデンを作っています。

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【日本語訳】気候:新たなる物語(チャールズ・アイゼンスタイン)目次

(訳者からのお知らせ) 《目次》 プロローグ     プロローグ:迷宮 第1章:存在の危機     失われた真実     「彼ら」の正体     戦い 第2章:気候原理主義を超えて     他のことは関係ない?     炭素還元主義のあべこべな結末     社会の気候     原因への突進     あらゆる原因の母     コミットメントが息づく場所 第3章:気候論争のグラデーションとその向こう側     私が付くのはどちら側?     懐疑論の世界を訪れる   

    • 自然の資本(後)

      訳者コメント: ここで語られるのは、環境経済学と生態経済学(エコロジー経済学)の違いだと思います。環境経済学は主流経済学の一部をなしていて、環境汚染のように金銭的尺度で測れない「外部性(エクスターナリティー)」を数値化することで「内部化」し費用便益分析(コスパ)で評価できるようにすることに主眼を置きます。工業製品の製造から廃棄に至る全てのコストを合算する「ライフサイクル・アセスメント(LCA)」や、炭素会計などです。これと似ているようで全く異なるのがエコロジー経済学で、人間の

      • 自然の資本(前)

        訳者コメント: 著者のチャールズが「自然資本」と捉えているものは、まさに経済学でコモンズと呼ばれているものだと思います。アメリカの生物学者、ギャレット・ハーディンが1968年に『サイエンス』に論文「The Tragedy of the Commons(コモンズの悲劇)」を発表したことで一般に広く認知されるようになった概念です。かつて放牧地は誰のものでもない共有地、コモンズでした。牧夫はそこに牛を数多く放牧すれば自分の儲けが増えます。そこでおおぜいの牧夫が自分の経済的利益を最大

        • 文化の資本(チャールズ・アイゼンスタイン『人類の上昇』)訳者コメント

          Facebookでチャールズ・アイゼンスタイン『人類の上昇』の翻訳を紹介するときに書き添えていた前書きを、noteにもアップしてはどうかという提案をいただいたので、試しに本文とは別立てで書いてみます。 今回のは第4章5節「文化の資本」です。前編後編に分かれています。私たちの文化を構成している「知識」が、著作権と特許という形で囲い込まれ、所有され、金銭化されてきた流れを議論します。 今回の内容は私の生い立ちから職歴に至る流れの中に共鳴する部分が多くあったので、前書きにしては

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        【日本語訳】気候:新たなる物語(チャールズ・アイゼンスタイン)目次

          文化の資本(後)

          (お読み下さい:訳者からのお知らせ) (前半から続く) 同じような状況がイノベーションにも当てはまるのは、科学的発見の自由な利用が、その応用に関する法的所有権によってますます制限されているからです。生物医科学の領域で、従来から行われていた情報や菌株などの自由な交換が崩れつつあるのは、遺伝子操作された微生物が特許を取得できるようになった、つまり所有できるようになったからです[14]。かつてなら科学の進歩は競争よりも協力に基づいていました。人々は学術誌や非公式な交流を通じて新

          文化の資本(後)

          文化の資本(前)

          (お読み下さい:訳者からのお知らせ) 4.5 文化の資本 文化資本とは、言語、芸術、物語、音楽、アイデアなど、人間の心の産物が蓄積されたものを指します。それらが所有権の有効な対象とみなされるようになったのは最近のことであり、専門家によって大衆の消費のために生産されるようになったのも最近のことです。 狩猟採集時代には、芸術や音楽の分野で卓越した才能を持つ人もいたでしょうが、「芸術家」や「音楽家」という独立したカテゴリーが存在しなかったのは、誰もがその両方を兼ね備えていたか

          文化の資本(前)

          社会の資本(後)

          (お読み下さい:訳者からのお知らせ) (前半から続く) 何百万年にもわたって人々が自分でやってきたことの一つに、自分の子供を世話することがありますが、それは最も親密な友人や親族にのみ託される神聖な責務です。私の「いい商売のアイデア」によれば、子育ては絶好のビジネスチャンスです。〈規模の経済〉を活かした専門家ならもっと効率的にできるのに、なぜ自分でやるのでしょう? 実際、保育もここ数十年で大きく成長した産業の一つで、かつては最も親密な営みでしたが、今では職業サービスの領域で

          社会の資本(後)

          社会の資本(前)

          (お読み下さい:訳者からのお知らせ) 4.4 社会の資本 社会資本とは、生活を支え豊かにする人間関係の総体です。物理的なレベルでの社会資本は、衣食住を提供し合い、子供や老人、病弱者の世話をするなど、生命維持のための関係から成り立っています。あまり形のないものとしては、コミュニティー、友情、楽しみ、教育、帰属意識のような富があります。これらが一体となって文化的遺産を構成し、学んだ技術や習慣、人とのつながりという形で世代から世代へと受け継がれていく宝物となります。その中には前

          社会の資本(前)

          匿名性という力

          (お読み下さい:訳者からのお知らせ) 4.3 匿名性という力 金銭化された人生が孤独なのは、私たちの人生に関わる人々を匿名の役割分担者へと落とし込むからであり、お金のやり取りはその性質上、恩義(obligation)を一般的に伴わないからです。お金が支払われ商品が引き渡されれば、取引は終了です。将来の関係に結びつくものはありません。これで各当事者の義理は解消します。 経済的安定を得た状態とは、全ての義理を帳消しにするだけのお金があり、誰かの好意や贈り物に頼る必要がないと

          匿名性という力

          群衆の中の孤独

          (お読み下さい:訳者からのお知らせ) 4.2 群衆の中の孤独 お金が共同体の解体に深く関わっているのは驚くことではありませんが、それは匿名性と競争が私たちの知るお金に元々備わっているからです。お金の匿名性は、その抽象性の働きです。貨幣の歴史は実体的な物から価値がだんだんと抽象化されてきた歴史です。初期の貨幣はそのものに本来備わる価値を持っていて、携帯性、貯蔵性、普遍性があることで他の価値ある物とは区別されていました。ラクダであれ、袋に入った穀物であれ、壺に入った油であれ、

          群衆の中の孤独

          「我」と「我が物」という領域

          (お読み下さい:訳者からのお知らせ) 第4章:お金と所有4.1 「我」と「我が物」という領域 所有物という観念は個別ばらばらの自己に自然発生します。デカルトの客観主義が世界を自己と他者に分割したように、所有物の観念は世界を私の物とあなたの物に分割します。ガリレオの唯物論が、実在するのは測定可能なものだけだと主張するように、経済学はあらゆる価値を貨幣単位で表します。 我が物にしたいという衝動が生じるのは、人との実感できる繋がりを断ち切り、私たちを「宇宙で独りぼっち」にして

          「我」と「我が物」という領域

          この宇宙に独り

          (お読み下さい:訳者からのお知らせ) 3.8 この宇宙に独り 物にすぎない粒子に決定論的な力が作用する世界がどれほど不快なものであっても、生存闘争に根ざした生物学、経済、心理学が、いかに気の滅入るものであっても、ここ数百年もの間、私たちには信じるに足る代案がなかったように思えます。宗教の教えがどうであれ、直感がどうであれ、科学が私たちに教えてきたのは、「悪いけど、世の中ってそんなもんだよ」ということです。リチャード・ドーキンスの言葉を思い出してください。「我々が見ている宇

          この宇宙に独り

          生命の起源(後)

          (お読み下さい:訳者からのお知らせ) (前半から続く) ネオダーウィニズムが主張する生物発生と進化の、もう一つの重要な特徴は、そこに目的や意図の無いことです。レプリケーター(自己複製子)はタンパク質被膜などの機能を発達させようと計画したわけではありません。新たな突然変異は偶然に起きたのであって、それが生き残れたのは、この新たな形態がより上手に生き残り、複製できたからに他ならないのです。進化とは、複製可能な分子の空間を、無作為にあてどなく探索することです。現在、私たちが目に

          生命の起源(後)

          生命の起源(前)

          (お読み下さい:訳者からのお知らせ) 3.7 生命の起源 デカルトやルメトリの予想に反して、生命現象は長い間、ニュートン的決定論や還元主義が指し示す悲惨な結末を拒んできたようです。生命の驚くべき秩序と複雑さは、単純で決定論的な物理法則とは相容れないように思われました。この複雑さはどこから来たのでしょうか? 生物の仕組みはあまりにも細かく調整され緊密に結合しているので、17世紀の考えでは、生命は外部の優れた知性によって設計され組織されているに違いないと思われていました(し、

          生命の起源(前)

          機械の中の幽霊

          (お読み下さい:訳者からのお知らせ) 3.6 機械の中の幽霊 宇宙を客観的なものと主観的なものに分けるガリレオ的な考え方に従えば、次の段階は定性的なものを定量化することによって後者を完全に排除することでしょう。これは多くの分野で達成されています。例えば音は、数多くのサイン波に落とし込み、それを(シンセサイザーで)足し合わせると、どんな自然音でも再現できます。同様にあらゆる視覚体験は、赤、青、緑の成分を表す数値からなるピクセルの有限配列のデータセットで模擬できます。そう、私

          機械の中の幽霊

          現実を落とし込む(後)

          (お読み下さい:訳者からのお知らせ) (前半から続く) 何かを宇宙の他の部分から切り離して本当に理解できるものでしょうか? 400年前に現れた科学という文化は「可能だ」と言います。私たちは現実の組織性を解体することによって現実を探求します。断片を分離し、変数を排除し、外部の影響を遮断するのです。こうして昆虫学者は死んだ「標本」を研究室に持ち帰り、地質学者はサンプルを持ち帰り、生理学者は死体を解剖し、化学者は世界の混沌とした不純物を取り除き精製された物質を求めるのです。この

          現実を落とし込む(後)