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2025年大阪・関西万博:石黒浩パビリオン:いのちの未来を見失う9つの理由

2025年大阪・関西万博の石黒浩氏のパビリオンについて、私たちはすでにマネキンに飽きてしまいました。マネキンはつまらないと感じています。

1.マネキンの過剰使用

石黒浩氏のパビリオンは、いのちの可能性を拡げるというテーマを掲げていますが、その展示内容は、すでに見飽きたマネキンやアバターの連続です。

2.時代遅れの研究

人間とロボットの関係性を探るという石黒氏の研究は、もはや時代遅れであり、社会的な意義や魅力を感じません。

3.視野の狭さ

石黒氏は、自分の作ったロボットに固執しすぎて、他の技術や視点に目を向けていないのではないでしょうか。

4.多様性の欠如

石黒氏のパビリオンは、いのちの未来という大きなテーマに対して、あまりにも狭い視野で作られています。いのちとは、人間だけではなく、動物や植物、微生物や地球、宇宙にも存在するものです。しかし、石黒氏のパビリオンでは、いのちの多様性や相互依存性、生態系や環境問題など、いのちに関する重要な課題や展望はほとんど扱われていません。

5.人間中心的な姿勢

石黒氏のパビリオンは、いのちを技術で操作し、設計し、支配するという、人間中心的で傲慢な姿勢を示しています。いのちを拡げるということは、いのちを尊重し、共生し、調和するということではないでしょうか。

6.感動の欠如

石黒氏のパビリオンは、いのちの感動や感激を与えるということにも失敗しています。石黒氏は、人とロボットのコミュニケーションがとりやすいというアバターのメリットを語っていますが、それは本当にそうなのでしょうか。石黒氏の作るロボットは、人間に似せた外見や動きをしていますが、その内面や感情は、人間とは全く異なります。

7.真の対話の欠如

人間は、ロボットに対して、自分の思い込みや期待を抱くことはできるが、ロボットは、人間に対して、本当の理解や共感を示すことはできない。石黒氏のパビリオンでは、人間とロボットの間には、真の対話や交流は生まれず、表面的な模倣や演技に終わります。

8.いのちの本質の見失い

石黒氏のパビリオンは、いのちの本質や奥深さを見失っていると言えるでしょう。

9.期待外れのパビリオン

石黒氏のパビリオンは、いのちの未来というテーマにふさわしくない、飽きた、つまらない、命の感じられないパビリオンであると感じています。

私は、石黒氏のパビリオンには、何の期待もなく、何の興味も持ちえません。石黒氏のパビリオンは、大阪関西万博の目玉となるべきシグネチャーパビリオンとして、不適切であり、失望であり、無駄であると言えるでしょう。

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