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【観劇レポ】まあ信じてみたらええやん ミュージカル「オリバー!」

ミュージカル「オリバー!」(2021年)の観劇レポ。大阪初日公演を観劇してきました。席は2階真ん中2列目。めっちゃ見やすかったです。2021年の観劇締めくくりの作品となりました。

キャストはこちら。

概要

19世紀半ばのイギリス。救貧院で暮らす少年オリバーが、ご飯のお代わりをねだったことで売り飛ばされる形で救貧院を出、様々な人と出会っていくストーリー。原作はチャールズ・ディケンズ「オリバー・ツイスト」。

子役からもらうエネルギー

本作は非常に多くの子役がキャストとして登場します。小さい子どもが一生懸命パフォーマンスする姿だけで泣いてしまう20代独身男性。2020年に見た「ビリー・エリオット」もそうでしたが、最近涙もろくなったのかもしれない。

不遇な社会、時代の中で、豊かな生活を夢見る救貧院の子どもたち。恵まれない環境の中でも(たとえそれが盗みという犯罪でも)たくましく生きようとする子どもたち。フィクションの中とはいえ、その姿から「生きる」という力、エネルギーを感じました。もちろん子役だけでなく、他の登場人物も、みんなこの作品の時代の中で、なんとか「生きよう」と必死な役どころばかりです。

僕がミュージカルを見に行く動機は、「現実から離れたフィクションの世界に浸る」ことです。仕事、今までの人生、昨日食べたご飯、ありとあらゆる現実を忘れて、ただひたすらに脳と心を潤す空間に包まれるという至福の時。
それが観劇後の現実で活力になるとか、あまり考えないのですが、今回は終演後、「ああ、明日から頑張ろう」と思いました。たくましいパフォーマンスを見せてくれた子役キャストたちに拍手です。

信じてみな

観劇後は規制退場で自分の順番が回ってくるまで、余韻に浸りながら頭の中で作品を振り返ります。あの曲好きやなあとか、あのキャストのあそこが良かったなあとか、あの場面はこんなメッセージ性を感じたなあとか。

そして今回。「ああ、やっぱりソニン様すてき!」とか、「市村コメディは面白いなあ、アドリブ入ってたんかなあ」とか。振り返っているうちにふと湧いた疑問。

「あれ、この主人公何かしたっけ」

僕の中で、主人公のオリバーに感情移入をしてなかったのもあるかもしれません。ついでに言うと、大体マンガやドラマでも、主人公より脇役の方が好きだったりします。ん?それはまあ置いといて。

ストーリを順に思い返しても、オリバーが自分でアクションを起こしたのって、お代わりをねだったところ以外あったっけ…?なんであんなにナンシーに気に入られてたんやっけ?

確かに純真で気立てのいい子だとは思いますが、僕の中でピースがハマっていない感覚がありました。母親の実家に引き取られることになって、豊かな暮らしをできるのも、偶然といえば偶然…。あれ、オリバーって結局恵まれた子?

退場を待つ間ずっと頭を巡らせていたのですが、割と早くに規制退場の順番が来たので退館。歩きながらも考えます。そして劇場の外に出て、ポスターを見た時にハッとしました。

「信じてみな、泣くより前に」

本作のメイン曲、キーメッセージでもある文章。ああ、僕は大事なことを忘れていたと。この文章を目にして思い出しました。オリバーは、周りの人をとにかく信じて、そしてその信じたことをもとに自分なりに行動してみるという子なのですよね。「何でもやるよ」の言葉(曲)の通り。

人を信じること。考えたことや教わったことをまずやってみること。どちらも言うは易しで、なんと難しいことではないかと。今を生きるためにできることをやる。たったこれだけのことを実践するのに、僕らはどれだけ労力を割いて、あるいは実践するのをあえて避けるために労力を割いていることか。

そう思った時に、現代の自分とリンクしたのがフェイギン。彼はギャング団の子どもたちを使い捨てとまでは思ってなかっただろうし、それなりにある種の愛を注いでいたとは思うのですが、「人を信じる」というとてつもなく勇気のいることをしてこなかった。だから年齢を重ねた今更、人生をやり直せるかと「最初から考え」てみても、どの選択肢も「ああダメだ」となる。

「信じるという勇気」「行動する勇気」を持つことがいかに難しいかを実感した時、オリバーはやっぱり主人公やったなあと、思うに至りました。南下したっけ?ではなく、一番難しいことを自然とやっていたのですね。

背景を読み取る力

オリバーのことを振り返った時にもう一つハッとしたのが、背景を読み取る力が衰えていたなということ。

セリフや歌詞、あるいは表情、演技、舞台装置といった様々な要素に直接的に表れているものだけでなく、その背景、言葉にならないものを読み取る力は、エンターテイメントを楽しむにあたりとても重要だと思います。

ミュージカルで言えば、例えば原作があったとして、その原作すべての場面を場面として出せることはまあないわけで、人や場面を削ったり、あるいは特定の人物に集約させたりする。その結果、演出・表現をする側にも背景を解釈して演じる、表現することが求められるし、そして何より、観客側にも解釈をする力が求められる。

と、偉そうに書いておいて、自分ができていなかったなと。背景を読み取ってなくて、ただ実際に目の前で流れていくストーリを、演技を見ていたから「あれ、オリバーなんかしたっけ?」という疑問が湧いてしまったわけです。

少し話は飛躍しますが、最近何かにつけて、言葉尻だけが切り取られて、行間を読まないという場面が、増えてしまっているなあと思います(これは自戒も込めて)。

今時グーグル先生に聞けば、インスタントにある程度の答えが返ってくる時代なので、探している答えもすぐ見つかるし、見たいところだけを見ることもできる。それって便利さの享受である反面、「不幸」なことだなあとも思いました。行間を読む力がないというより、読もうともしていないかもしれません。

背景や行間を読む力の大切さを改めて感じた作品でもありました。

総評

不確実で先の見えづらい現代、そして人とのつながりについて何かと議論がある現在。「人を信じる」という勇気と、「行動してみる」ということの大切さを教えてくれる作品でした。後半の文章は脱線しましたが、2021年観劇の最期にふさわしいフィナーレ。

シリアスな場面もあり、コミカルな場面もあり。そしてたくましく生きようとする人々の姿に元気をもらえる作品です。これを書き終えている頃には無事、千穐楽を迎えているでしょうか。長く愛される作品になりますように。

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